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群青の日陰

■note10周年を記念した、特別小説を

「10」という数字、それから「note」という言葉をキーワードに、10周年を記念した小説を書きました。
ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思っておりますので、いいな、と思った方はマガジン追加やシェアなど、拡散にご協力いただければ幸いです。

私はまだまだ初めて日も浅い若輩者ですが、10周年を祝いたい気持ちはベテランの方々と同じですので、公式の方からイベントやアクションがあるのを待つだけでなく、noterが持ち上げるように10周年を祝えたら、面白くなるんじゃないのかなと思っています。

それでは、特別小説をお楽しみください。

■本編「群青の日陰」

 また四月一日がくる。
 僕は十歳になり、父と母は大きなケーキと、最新のポケモンのソフトを用意して、僕の誕生日を盛大に祝う。
 僕は知っている。十歳になる年、僕の身に何が起こって、何が起こらないのかを。
 四月が過ぎ、季節が移ろい三月三十一日の深夜を越え、四月一日になる瞬間、僕の時は巻き戻り、また十歳の誕生日を迎える。永遠に、十一歳の誕生日は来ない。時の牢獄に囚われた僕は、令和六年の四月一日から令和七年の三月三十一日をぐるぐると繰り返している。
 牢獄に囚われたのは僕だけだ。他の人間は繰り返しに違和感や疑念をもっている素振りは微塵も見せないから、令和七年の四月一日に進んでいるのだろう。そして同じことを繰り返す影のようなものが残り、僕と運命を共にしているに違いない。
 僕が囚われてしまったのは、魔女のせいだ。街外れの森の奥深く、「群青の日陰」と呼ばれる庵に住んだ恐ろしい魔女。
 僕ら、いつものいたずら悪ガキメンバー五人は四月一日に肝試しと称して、「群青の日陰」に忍び込んで、小屋のものを盗んでくる計画を立てた。僕らは魔女なんていないと思っていた。子どもが森へ入ることを戒める大人の方便なのだと馬鹿にして、甘く見ていた。
 森は思ったよりも深く、途中までは獣道もあったのだが、それすら途絶えた藪の中になり、リーダー格のサトウが護身用と持ってきていた鉈で草を払いながら進んだ。
 森の中は聞いたこともないような鳥の声や、むせ返るような青臭い草の臭い、どこかから見られているような濃厚な獣の気配に満ちていて、僕らは五人押し合うようにして固まって歩いた。
 そして白樺が鬱蒼とした樹林の間を抜けていくと、大きく開けた空間に出た。そこには青い稲妻のように水を滝つぼに叩きつけている滝や、その滝の水が溜まった清冽な泉、赤い木の実が生った樹々があって、それからこじんまりとした庵があった。庵の外には焚火の跡があり、そばには立派な木の椅子と、藤籠いっぱいの赤い木の実が置かれていた。
 僕は妙にその木の実が気になった。恐る恐る近づいてみると、庵の中に魔女はおらず、しめたとばかりに僕以外の四人は庵の中に足を踏み入れて行った。僕だけが外に残り、籠の中の木の実をじいっと眺めていた。
 木の実はリンゴに似ているけれど、形がもっと球に近かった。おまけに赤色もペンキで塗ったように鮮やかな上、均一でムラがない。つやつやとした見た目は、人によってはイミテーションのようだと言うかもしれないけれど、僕にはたまらなく美味しそうな実にしか見えなかったのだ。
 そして木の実を一つ手に取った僕は、躊躇いながらも齧りついた。リンゴのようなサクサクした触感を想像していたのだが、その実は齧るとパンのように柔らかく、つるりと僕の舌の上に滑り落ちると、綿菓子のように唾液で淡く溶けてしまった。その一口の甘美なことと言ったら!
 僕は木の実の虜になり、あっという間に一つを平らげると、二つ三つと貪るように籠から次々と取り出して食べた。あまりに夢中になりすぎていたため、気づかなかった。背後の庵から上がる助けを求める絶叫や悲鳴に。
 気づいたのは、五、六個も食べた頃だろうか。ふと何か物音が聞こえた気がして、みんながどうしているか気になった。それで庵の中を覗いてみた。
 庵の中は薄暗く、深閑としていた。みんなの気配がしないのは不自然だと思ってよく目を凝らすと、ようやく暗さに慣れてくる。そして飛び込んできた光景に僕は声にならない悲鳴を上げ、尻もちをついて必死に尻と足を動かして後ずさった。
 庵の中は惨劇だった。全員原形すら留めていなかった。四肢が、首が、ばらばらになり、庵のあちこちに転がっていた。床は血の海になり、壁にも大量の血痕があった。吐き気を催すほど濃密な、錆び臭い、血の臭いが充満し、血の霧が立ち込めているようだった。その血霧の向こうに金色に光る二対の目が鋭く僕を睨みつけ、唸り声をあげた。何かの獣だ。犬、いや、狼? それにしても大きい。ライオンくらいの大きさがあった。その獣がみなを惨殺し、次は僕に狙いを定めたらしかった。
「おやめ、白郡。その子は別だよ」
 若い女の声がして振り向くと、すぐ後ろに漆黒のドレスを身に纏い、長い黒髪の女が立っていた。彼女は美しく白い肌と、獣と同じ金色の目をもっていたが、それを恥じて隠しているかのように全身に黒を纏っていた。
 魔女はしゃがみこんで僕の顎を摘まんで引っ張り上げ、口を開けさせると、口の中の臭いをくんくんと嗅いだ。そして「やっぱりね」と納得したように頷くと、僕の後ろにあった藤籠を一瞥し、「あんた、食べたね」と抜き身の真剣のように鋭い口調で訊ねた。
 その迫力と、今にも飛び掛かってきそうな獣の圧力に抗せず、うんうんと何度も激しく首を縦に振って肯定を示した。
「その木の実は『生命の木の実』だ。人間誰しも生まれてくるときに一つだけ食べることを許された木の実だよ。それをあんたは何個もばくばく食べた。つまり常人の何倍もの時をあんたは生きなきゃならない」
 僕には魔女の言っていることが、この時はちんぷんかんぷんだった。『生命の木の実』と言われたってすんなりとは受け入れられないだろう。子どもだって、そんなファンタジーみたいなことが世の中にはないんだってことぐらい、十歳にもなれば理解している。
「さて、罰として死を与えるのは容易い。でも木の実を食べたあんたの罪は一等重く裁かれなきゃならないね」
 今度は理解ができた。僕はみんな以上の苦しみ、恐怖を架せられるのだと理解して、震えあがって、小便を漏らしてしまった。魔女はそれを見るとけらけらと笑って、「理解してるね」とドレスの胸元に手を入れると、細長い小枝のような木の棒を取り出して、それを僕の髪で結わえると、同じものを手に持って掲げた。
「今日は世間ではエイプリルフールって言うらしいね。嘘をついてもいい日だとか。本当かい?」
 僕は無言で頷いた。言葉を発しようにも、喉が麻痺してしまったように声が出てこなかった。殺されるのだ、それも、四肢をばらばらにされたみんなよりも惨たらしく。覚悟なんてできなかった。でも、逃げられないということは分かっていた。
「なら、坊やには嘘のような体験をさせてあげよう。現実の中で、悠久の時をね。それが木の実を食べた者への罰だよ」
 魔女の声がどんどん遠くなって、目の前がぐるぐると回って、コーヒーに垂らしたミルクが溶けていくように景色と自分が一体となって回り、混ざり合う――そして、目が覚めた時。
 僕は再び四月一日の朝に戻ったのだった。

 初めは何が起こっているか分からなかった。
 だが、庵には行かず、惨劇が起こらなかった四月一日を過ごして、あれは夢だったのだろうかと思い一年を過ごし、再び四月一日を迎えたとき、次の学年の教室に行って僕は恥をかき、そして誕生日を祝う両親が繰り返し十歳と口にするので、十一歳だと訂正しても二人は頑なに信じず、そしてまた同じ学年で一年を過ごすうち、毎日に既視感を覚えるようになった。それも当然だ。僕は同じ一年を再び繰り返していたのだから。けれどその事実に気づくことができたのは、五回、一年をやり直してからだった。
 今ではもう、何回繰り返したのか分からない。五十回までは数えていた。だがそれ以降は数えているのも馬鹿馬鹿しくなって止めてしまった。何回繰り返せば終わり、というような一般的な刑罰とは違うのだから。
 繰り返しの中で、色々試してみた。僕が違う行動をとれば何か打開策というか、一筋でもいい、光明のようなものが欲しかった。確かに、僕の行動如何で起こる事象は大きく変わってくる。だが、それも徒労でしかない、とやがて気づくのだ。なぜなら、また四月一日がくれば、一年はリセットされてしまうのだから。どんな方向に事象を曲げても、結局は同じ流れに戻されてしまう。それには抗えない。無駄なのだ。
 だが、元の世界に、時間に戻る希望を諦めたわけではない。
 この繰り返しの世界では、「群青の日陰」には行けなかった。最初の流れと同じように、被害者としてしまうのは心苦しかったが、みんなを連れて森の奥に入ったが、どれだけさがしてもあの庵は見つからなかった。それどころか大人に「群青の日陰」のことを訊いても、誰もが知らないと答えた。
 元の世界との差異、世界の歪みみたいなもの。それを僕は「群青の日陰」に感じ取っていた。何が何でも「群青の日陰」を探さなければならない。僕はこの数回の繰り返しの中、時間を費やせるだけ費やして捜索、あるいは様々な文献で調べてみた。その中に、興味深い文献を見つけた。
 それは市立図書館の本棚の、誰も見ないような古い海外文学の小説の間に差し込まれていたノートだった。そのノートには様々な人間によるものと思われる書き込みがされており、内容が料理のレシピだったり、株や不動産賃貸など、お金に関する知識だったり、日常何気ない日々の日記や雑学、あるいは小説だったりと、千差万別だった。そこには夢や希望が書かれてもいれば、悲嘆や絶望が書かれてもいた。だがそれらに共通していたのは、誰かに読んでほしいという叫びだった。
 ノートのタイトルは『群青の日陰』だった。あの庵に繋がる情報がないかと必死に書かれている内容を読み解こうとしていると、中に短い小説で、ノートのタイトルと同じく『群青の日陰』と題された短編小説があった。それは僕と同じように時の牢獄に閉じ込められた少年の物語だった。そしてそこには、「群青の日陰」に入るための道筋が書かれていた。
 僕はノートを手に、すぐに駆け出した。学校を出て、街の中を抜けて郊外に出、深山の麓に広がる深い森の中へと足を踏み入れて行く。ノートの通りに、道を辿る。すると、二時間ほど歩いた頃だろうか、急に開けた場所に出た。稲妻のような滝、泉、そして、庵。
 辿り着いたんだ、と歓喜が僕の中を走り抜けた。辿り着いてどうすればいいかは分からない。でも、永遠に思える繰り返しの中で、僕が初めて成し遂げられた、僕にとっての偉業だった。
 庵の前の立派な椅子に魔女はもたれて、パイプをふかしていた。その足元には漆黒のビロードのような毛並みの巨大な狼が寝そべって、僕の気配を察するとおもむろに目を開いて、その金色の瞳でじいっと見つめた。
 恐怖は少しだけあったが、ほとんどなかった。なぜなら、「死ぬこと」も既に何度も試したからだ。結論を言えば、死ねば僕は強制的に四月一日に戻される。だから、ここで殺されることは恐くない。またノートを見つけ、その手順に従ってここにくればいいだけだ。恐いのは、何も手がかりを得られず犬死すること。
「あーあ、辿り着いちゃったか」
 魔女は詰まらなさそうに口を尖らせて言うと、椅子から立ち上がった。
「ぼ、僕を元の世界に戻してほしい」
 目を伏せて考えていた魔女、金色の目に黒く長いまつげがかかっていた。その目が正面から僕を見据えると、遮るもののなくなった金色の瞳の美しさが、一際増しているように思えた。
「あんたは罪人だ。何かを要求する立場にはない」
 ぴしゃりと魔女は冷たい口調で僕の言葉をはねつけると、深いため息を吐いた。
「とはいえ、ここまで辿り着いちまうとはねえ。結界を張っていたはずなんだが」
 魔女は狼のそばに腰を下ろすと、その腹に凭れるように膝を折って座り、艶々した狼の毛を慈しむように撫でる。
「いいよ。あんたを元の時間に戻そう」
 魔女は諦めたように言った。狼が彼女を気遣ったのか、切なそうな鳴き声を上げる。「ありがとね、白郡」と彼女は狼の頭を撫でる。
「ただし、元の時間軸に戻ったら、一人でここへ来な。余計なのは連れてくるんじゃないよ」
 魔女の鋭い眼光に気圧されながらも、「ど、どうしてですか」と問う。
「あんたは『生命の木の実』を食べちまった。もう元の生活には戻れないんだよ」
「そんな」
「安心しな。あたしの元で学べば、人間の生活に溶け込めるようにはなる。ただ、それまで少し辛抱がいるってだけさ」
 この永遠を繰り返すくらいなら、いずれ人間の生活に戻れるというし、その方がましかなと考えていると、魔女は再び木の枝を二つ取り出し、一つを僕の髪に結わえる。
「しかし、あんた。土壇場の運が強いんだね」
 魔女の言っていることの意味が分からず、首を傾げる。
「もうあんたの寿命は尽きる寸前だったんだ。この一回の繰り返しを終えたら、あんたは死んでたよ」
「だって、木の実を」と、僕は急激に全身が冷えて息苦しさを感じ、喘ぐように言った。
「言ったろう? 常人の何倍もの時を生きると。つまり不死身になったわけじゃない。一年一年繰り返すたびにあんたは寿命を消費してたんだよ」
 そんな。じゃあ、元の世界に戻っても、一年しか生きられない。一気に絶望の淵へと叩き落とされた気分だった。
「心配ないよ。だからあたしのところに来いって言うんだ。あたしの元には何があると思ってるんだい?」
「あ、『生命の木の実』。でも、それを食べたらいけないんじゃ」
 魔女はからからと笑って、「あたしがいいと言えばいいのさ」とウインクしてみせる。
 そんな身勝手な、と思ったが、僕が生き延びるにはそれしか方法がなさそうなので、魔女の言うことには大人しく従っておこうと思った。
「悠久の時を生きてみた感想はどうだい」
 僕は疲れたように項垂れて首を横に振った。
「あの繰り返しの中で抱いた感情を、言葉で言い表せません。でも、孤独、ということだけが、ずっとついて回りました」
 魔女は頷いて寂しそうに笑って、「あたしの気持ちが少しは理解できたかい」と言うと、僕がえ、と訊き返すのを恥ずかしそうに顔を赤らめて遮った。
「ん、あんた、それ。なに持ってるんだい」
 魔女は僕の持っていたノートを指さした。「これですか」と魔女に差し出して見せると、彼女は受け取ることなくノートをじっと見つめて、やがて得心がいったように頷くと、「なるほど。そういうことかい」と呟き、「そのノート。元の場所に戻しておきな」と有無を言わせない口調で言うので、「分かりました」と意味が分からず戸惑いながらも頷く。
「それじゃあ、間違いなくあたしのところに来るんだよ」
 魔女が念を押すので、僕もはっきりと、力強く「分かっています」と頷いた。
 また意識が回転し、景色と僕が一つになって、溶け合う――。

 僕は四月一日に戻ったことを確かめると、学校には向かわず、真っすぐ「群青の日陰」を目指そうと思って、魔女との約束だったノートのことを思い出し、市立図書館に向かった。
 平日の昼間ということもあってか、人は少なかった。図書館員は僕の姿を認めて眉をひそめたが、何も言ってきはしなかった。奥の書架に向かい、ノートを戻そうと場所を探し、海外文学の棚だったなと思い出して目的地を見つける。棚の最下段、端の二冊の間。
「あら、あなたが使ったのね、そのノート」
 鈴なるような声が響いて、ぎょっとして顔を上げると、長い黒髪の少女が立っていた。制服だが、近隣の学校では見たことがない形の制服だった。彼女の目も、眩いばかりの金色だった。その目に射竦められてしまうと、魔女の前に立っているような感覚になる。
「き、君は……」
 彼女はにっこり笑うと、「あら、誰でもいいじゃない」と言いながらすれ違い、僕の肩に手を置いてかがみ、耳元でそっと囁く。
「わたしがあなたに興味があるの。それだけで十分よ」
 彼女は僕の頬にキスをして、くすくすと笑った。
「あなたとはまたいつか会う気がするわ」
 じゃあね、と手を振ると、彼女の足元に纏わりつくようにしていた黒い子犬に、「行くよ、白郡」と言って去って行った。
 僕は頬に残る柔らかな唇の感触を思い出しながら、雑念を振り切るように激しく首を振った。
 ありがとう、そう呟きながらノートを書架に戻し、僕は魔女の元へと向かう。

〈了〉

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