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イステリトアの空(第6話)

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■本編

 春洋は右に跳んで、右方向に走る。長曾根がそれを見て方向転換するために動きが遅くなった瞬間に春洋は懐から鋼の礫を出して投げつける。
 長曾根はたたらを踏んでよろけ、やっとのことで礫を仕込み杖の柄で受けて弾く、その間に春洋が間合いを詰め、低い姿勢で刀の刃を返して上向きにし、長曾根の懐に潜り込むと刀を振り上げる。だが、長曾根の革靴の底がその刃を受け止める。
 春洋は舌打ちをして、左手だけ刀の柄に残し、右手を離して半身開き、仰け反る。長曾根の一振りが春洋のいた空間を切り裂いていく。振りが遅い。これならば。
 春洋が引くと刀は靴の底から抜ける。両手で構え直して、そのまま左から右に真一文字に薙ぎ払う。
 長曾根は仕込み杖で刀を受けつつ、勢いを殺しながら左へ飛びずさる。春洋の斬撃が大振りの一撃だったため勢いが強く、長曾根は姿勢を崩して左足で踏ん張り、左手を地面につく。
 春洋は斬撃の遠心力を利用し、腰を捻って回し、刀を上段に振りかぶると、一歩踏み込んで刀を長曾根目がけて振り下ろした。長曾根が膝を突いたままそれを下から刀を横に構えて受ける形になり、甲高い金属の衝突音が鳴り響く。
「三郎さんの一家があんたに何をした。山吹師匠があんたに何をした。なぜ、殺した」
「俺の目的は国宗家の人間を殺すこと。だが、ただ殺したのでは俺の気が済まない。恐怖と絶望を与えてやらなければな」
 長曾根は競っていた力をふっと弱め、剣先を内側に巻き込むように引きつつ下がる。春洋は拮抗していた衝突点がなくなったことで前のめりになりそうになるが、踏み止まって後ろに飛び退く。そこを長曾根の薙ぎ払いが襲い、春洋の着物を僅かに裂く。
「それは無実の人間を犠牲にしてまでやることなのか」
 斬撃を躱すために仰け反った分体勢を崩した春洋は後ろに左手を突いていたが、即座に立ち上がると、刀を青眼に構え直す。右手を鍔よりではなく、柄頭よりに持ち、鍔の近くには左手を添える。
「先に何の過失もなかった俺を殺したのは国宗心徹だ。恨むなら奴を恨め」
「あんたのはただの八つ当たりだ。やっぱり、生かしておけない。あんたを放っておいたら、大勢人が死ぬ」
 長曾根は嘲るように笑む。だが表情に余裕はない。肩で息をしていた。「意気は結構だが、お前にできるのか。まあ、俺を殺しても無駄なことだが」
「できるかどうかじゃない。やるんだ。おれはあんたを斬る」
 春洋は左肩に刀を振りかぶり、前に跳ぶ。柄で首を守るように刀を立てる。過たず、そこに瞬きほどの速度で長曾根の一撃が襲ってくる。柄で受けると衝撃がきて、刀が軋むような音がする。春洋が前方に跳ぶ勢いは殺され、その場に着地する。着地と同時に柄で受けた刃を弾き、左手片手で刀を持って長曾根の首筋目がけて刃を走らせる。
 春洋の刃は長曾根の首を捉える寸前で両手で仕込み杖を構えた長曾根に受け止められ、春洋が刀を握る手が利き手でない左手だけであるせいか、力で押し込むことができない。
 長曾根は自身の刃と春洋の刀を滑らせるように擦らせて前に踏み込み、そのままの勢いで春洋の左肩を貫く。刃が肩を貫通して覗き、春洋は刀を取り落とし、後ろに弾け飛ぶ。
 尻もちをついた春洋は左肩を押さえて呻く。血が止まらない。左手には力が入らず、だらりと垂れている。
 だが、長曾根からの追撃はない。
 長曾根は口から血を噴き出し、よろよろと後ろによろめいた。首には手斧の刃が食い込んでいた。そこから止めどなく血が溢れている。
 春洋は左手の刀を囮に仕込み杖を引き付け、右手で懐に忍ばせてあった手斧を叩きつけたのだった。長曾根の意識は刀に注がれていたし、もう一つ武器を持っていることを長曾根は知らない。長曾根相手では凌がれる恐れもあった賭けだったが、うまくいった。
 長曾根の口が震えながら動き、何かを言おうとするが言葉にならない。右手を前に伸ばしながら二歩重い足取りで前に進むと、膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れた。
「終わったね。これでわたしも約束を果たせた」
「約束?」
 アオイは頷いて天井を見上げる。きっとその先にある空を見ているのだろう。春洋もつられて天井を見たが、猿の尻のような染みがあるだけの、いつもの天井だった。
「ある人から頼まれたの。あなたたちを守ってほしいって」
「誰から頼まれたんだ」
 アオイは首を振って、「それは内緒」と人差し指を唇の前に立てて微笑んだ。
「待って、にいちゃん。変だ」
 秋継が長曾根の死体を指さしながら悲鳴じみた叫びをあげる。
 春洋とアオイは弾かれたように死体の方を見る。すると死体がぼんやりと朱色に発光し、体から湯気のようなものが立ち昇っていた。
「何が起こってるんだ」
 刀を手に近づこうとする春洋をアオイが制する。
「不用意に近づいちゃだめ。あいつ、そういえば遺物を持っていたけど、使っていたようには見えなかった。もしかすると、所持者の死を鍵として発動する遺物かもしれない」
「どんなことが起こるんだ?」
「わたしが知ってるものだと、死んだ後に近くにいる人や動物に憑りついて乗っ取るものだとか、死体を中心に街一つ分を爆発で消し飛ばすものとか。でも、あの指輪は違う。あれは確か……」
 どちらにしても逃げないとだろ、と春洋が叫び、自分も肩に深手を負って痛みながらも弟に肩を貸して助け起こす。だがアオイは動かず、額に手を当て考えている。
 死体から立ち昇る朱色の蒸気は空中の一点に集まり、もやもやとした丸い雲を形作る。
 アオイは手を叩く。赤い雲からは二対の羽のようなものが現れる。
「思い出した。あの指輪。クライタスの螺旋図書館で見た禁書図鑑に載っていた」
 雲は急速に中心へと収束し、瞬く間に朱色の蝶へと変じた。蝶は光の鱗粉をまき散らしながら上空へと飛び去ろうとする。
 あれは逃がしてはいけない、直感的にそう悟った春洋は手に持っていた刀を蝶に向かって投げつけた。刀は過たず蝶を捉えたはずだが、虚しくすり抜けて天井に突き立った。
「だめだよ。あれは霊体だから、物理的な力は通じない」
「あれは何なんだ。長曾根の体から生まれたように見えたぞ」
 頷いて、アオイはふわりと宙に浮かんだ。
「あの蝶は長曾根の魂。彼が持っていた指輪は『転生の指輪』。死んだ後もう一度生まれ変わる力を持った指輪。記憶を保持したまま生まれ変われる上、一度でも能力を発動した人間は、指輪を所持していなくても転生の力が使える。禁断の指輪の一つとして太古に封印されたはずのもの」
「それじゃあ、長曾根を本当の意味で殺すことはできないのか」
 春洋は悔しそうに赤い蝶を睨みつける。斬ることさえできれば、あんな蝶など。
「そうね。思っていた以上に厄介な遺物を持っていたみたいね。来て正解だったみたい」
そんな呑気な、と春洋は苛立つ。
「心配ないよ。わたしがここにいる、それだけで解決できない問題はないんだから」
 アオイは親指を立てて笑って、天井へと急上昇する。今にも天井に届きそうだった赤い蝶に向かって手をかざすと、次の瞬間にはもう蝶の姿は消えていた。
「消え、た?」
 アオイはゆっくりと降りてきて、にっこり笑ってみせる。「だから言ったでしょ」
「触れない蝶を、どうやって消したんだ」
「それがわたしの遺物の力の一つ。『消し去りの指輪』の力だよ。この世に存在するいかなるものも消滅させる。物質だろうが、霊体だろうが、概念のような曖昧なものでさえも」
 内緒だからね、と耳打ちをする。春洋は顔が熱くなったのを感じる。
「それじゃあ長曾根は」
「彼には残念だけれど、目論見は外れて世界から完全に消滅したよ」
 そうか、と春洋は安堵の吐息をつく。
「さて、用事も済んだし、わたしは行こうかな」
 もう行くのか、と名残惜しそうな声を上げる。
「うん。これでも忙しいの。あまねく時と大地を駆けることのできるわたしにしか果たせない役割があるから」
「よく分からないが、大事な役割なんだろうな。貴女ほどの人に課せられたものならば」
「わたしはそんな大層な存在じゃないよ。わたしはわたし、それだけ」
 言いながら数珠を外すと秋継に差し出す。「それから、これは君に」と春洋には丸く、黄金色に光る透明な石を渡す。
 石は滑らかな硝子の結晶のようだが軽く、また黄金色の光は石の内側から発しているように見えた。また、中心付近には上端と下端が鋭くとがった楕円形の亀裂のようなものが浮いている。何かに似ている、と思うと猫の目だ、と春洋は思い至る。
「それは遺物じゃないけど、この世界にはとても大事なもの。その石が埋まっている森に辿り着いて、石を掘ることが出来る人を『目狩り』と呼ぶの。目狩りが掘った石のうち、大きな力を得たものを『世界のたまご』と呼ぶ」
「『目狩り』? 『世界のたまご』?」
 アオイはくすくすと笑う。
「分からなくて大丈夫。向こうでも賢者の知識とされていたものだし。ね、その石を持ってあなたは何か感じた?」
 春洋はもう一度石を眺めたが、ただ綺麗な石という以上の感想は湧かなかった。首を振るとアオイは残念そうにため息を吐いた。
「そっか。もしその石に触れたとき、石の記憶を見ることができた人がいたら、石をその人に渡してくれないかな」
「構わないが、渡すだけでいいのか」
「うん。資格のある人なら、石が目狩りのところに導いてくれるから。今の目狩りはもう限界。そろそろ交代してあげないと」
 分かった、請け負おうと春洋は頷き、石を握りしめる。
「世界の果てには『空』が待っている。でもまだ、世界には可能性があるはずなの」
 おれには難解で理解できない、と春洋は俯き、でも、と顔を上げる。
「あなたの無事を祈る。それくらいはできる」
「ありがとう。わたしは一人じゃない。それが感じられれば充分」
 ばいばい、またね。そう言うとアオイの姿は、彼女が存在していたことが夢だったように忽然と消えた。

 彼女は夢幻のような存在だった、と春洋は述解する。
「小生の長い話を聞いてくださってありがとうございます。嘘のように思われるかもしれませんが、本当のことです。まあ、貴殿が与太話と笑うならば、それはそれで構いません。小生のことはただのほら吹きとして忘れてくださればよいでしょう」
 弟は、と儂は訊いた。妙に気になってな。
「死にました。十五の年でした。流行り病に罹ってあっという間でした。小生はその村を、大学を出た翌年には捨てました。村にいては彼女との約束を果たせまいと思ったからであります」
 それがどうしてこんなところにいる、と儂は笑った。軍人ほど不自由で窮屈な存在はあるまいよ。
「随分身を持ち崩しました。博打にのめり込んで、女に金を持ち逃げされて。アヘンもやりましたし、酒も大分乱暴な飲み方をしました。身も心もぼろぼろになりながら、最早死んでもかまうものかと思いました。そのとき思い出したのです。アオイさんや弟が語った異界の話を。それがどうやら死後に行ける場所であることを。北欧の国々では勇敢に戦って死んだ者を神の館に迎え入れるという思想があるそうです。あながち的外れではないように思えました。小生も行くのならば、せめて勇敢に戦って死んでからの方がよかろうと考えました」
 春洋の眼鏡の奥の目は寂しそうだった。孤独な男の目だった。とても勇敢に長曾根に向かって行って彼を討ち果たした男とは儂には思えなかった。だが、そうではなかったのだな。
「しかし未だ果たせず、生き残っております。けれど今夜あなたと出会って、その理由が分かった気がいたします」
 そう言って春洋は懐から琥珀色に輝く球体を取り出して見せた。彼は石だと言ったが、石にしてはあまりにも完全な球形だった。キャッツアイという宝石を知っているか。その石にはそれと似た模様が浮かんでいた。だが、猫の目というよりは人間の目に、儂は見えた。
 彼が差し出すままに、儂は受け取った。その瞬間に儂の頭の中に無数の景色が流れ込んできた。活動写真を知っておるか。なに、知らんか。大きな画面に連続した映像を映し出すものでな……、ほう、今では映画と呼ぶのか。まあよい。その映画とやらを目にも止まらぬ早回しで叩き込まれたような感じだった。
 一番印象的だったのは、色とりどりの花が咲き乱れる草原の果てに聳え立った石灰のように白い塔だ。見たこともないほどの高さだった。頂上は雲に包まれ、下からは窺えん。そこには巨大な獣が寝そべっておった。勿論見たこともない獣だ。四足の獣で、全身が鱗に覆われていた。背には巨大な二対の翼があり、トカゲに似た顔で頭に二本白銀に輝く角が生えていた。
 儂は見えたものを春洋に伝えた。すると彼は滂沱と涙を流し、儂の手を取って静かに押し殺して泣いた。戸惑ったが、どうすることもできず、ただ泣くに任せていた。涙すら凍りそうな夜の中で、彼の涙は燃えるように両の目から迸り、雪の上に落ち続けた。
「失礼しました。やはり小生の目に狂いはなかった。小生はこの石をあなたに引き継ぐため、今日まで生きてきたのでしょう」
 大げさな、と一笑に付すことなどできぬくらい、顔を上げた、泣き腫らして真っ赤になった彼の目は真剣だった。
「これはあなたのものです。あなたは次の『目狩り』となる。ただそれは我らが一方的に押し付けたこと。重荷に感じるのであれば、石を捨てておしまいになりなさい。それはあなたの自由です。ですが、叶うならば、ここまで連綿と繋がれてきた意志を途切れさせないでほしいとは思います」
 さて、と春洋は肩に背負った小銃を背負い直すと、月明かりで煌めき、光の道を浮かび上がらせた雪原の方を見やる。
「小生は行きます。もうここに留まる意味もありません」
「脱走兵は銃殺だ。それに敵ばかりの異国で一人、どうやって生き残っていくつもりだ」
 春洋は頷き、「承知しております」と微笑むと、左腕を掲げ、袖を捲って見せる。そこには黒光りする数珠が巻かれていた。
「それはまさか」
「ええ。『垣間見の数珠』です。これがあったから、剣林弾雨の中を生き残ってこられたのです」
 たとえ未来を垣間見ることができたとしても、この広大な極寒の地を一人で生き残れるとは思えなかった。だが、春洋の決意は固かった。
「それに脱走兵になるのは小生だけではないのでは。あなたも、そのつもりでしょう?」
 心の中を見透かされた気がして、儂はうっと言葉に詰まった。そうだ。春洋と出会っていようがいまいが、儂はその夜部隊を抜けるつもりだった。やるべきことを果たした後にな。
「南西にある林を抜け、そのまま南下してウラジオストクを目指すとよいでしょう。そうすればきっと道は開けます」
「『目狩り』とはどこにいるのだ。会わねば、次の『目狩り』になどなりようがないだろう」
 春洋は苦笑して首を振る。
「小生にも分かりません。ですが、きっとあなたが今宵小生と出会ったように、道は示されるでしょう。小生は道標。そしてあなたが行く先で出会う人々が新たな道標となり、正しき道を示すでしょう」
 では、と小用にでも行くように気軽に頭を下げると、そのまま闇の中に消えて行った。
 儂は受け取った石を懐に忍ばせると、持ち場を離れて村の中に戻った。

〈続く〉

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