イステリトアの空(第14話)
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■本編
「先約?」
国宗心徹は背を向けて離れ、切り株の一つに腰を下ろす。するとそれが合図であったかのように国宗が現れたのとは反対の木立から、色とりどりの紫陽花をあしらった白い着物を身に纏った女が現れる。
女は刀を大事そうに胸に抱えており、切り株の間を跳ぶように歩き、正宗から三間ほど間合いを空けて立った。
正宗は言葉を失った。目の前に立った女ははにかんだように笑んで上気して頬をほんのり桃色に染めている。
「桜華、様」
桜華は一礼し、刀を腰帯に差した。二本差しではあるが、最初から差していた一本は打ち刀でも脇差でもない。長さは脇差ほどだが、反りがない。直刀で、恐らく両刃の剣だ、と正宗はあたりをつける。
「約束しましたでしょう。御役目が終わりましたら、真剣勝負を所望いたしますと」
だが、と狼狽える。この場に現れるのはどういうわけだ。国宗心徹が娘に剣杖のことを教えていたとしか思えない。機密事項の猫人間のことでさえも。だが、心徹は娘可愛さに法や掟を軽んじる男ではない。むしろ厳格にして叱りつけるくらいのことをするだろう。
はっと正宗は閃く。もし逆なのだとしたら。心徹が桜華に剣杖のことを教えたのではなく、桜華が心徹に教えたのだとしたら……。そんな馬鹿な。馬鹿馬鹿しい。あるわけがない。正宗は頭を振って考えを振り払う。
「始めさせていただいてもよろしいのかしら。相手は正宗様ですから、胸を借りて先手をいただけると嬉しいのですけれど」
正宗は咄嗟に刀を抜く。返答をする前に、桜華の姿は視界から消えていた。ぴりぴりとした殺気を左の首筋に感じて、刀を左側に構えると、過たずそこに桜華の鋭い斬撃が走り、甲高い衝突音が鳴る。思いの他斬撃は重く、正宗は右足を踏ん張って支える。
「さすがは正宗様。わたしの初太刀を受けられる人間はそうはいません。ここ最近では心徹くらいのものです」
桜華はふわりと風船が風に乗って舞うように下がる。正宗は青眼の構えをとるが、桜華は刀を片手でだらりと下げて持つ。隙だらけに見えるが、正宗は踏み込むことができず躊躇う。
桜華は正宗が見積もっていた以上の腕をもっているようだった。今の一撃、正宗には動きが追えなかった。しのぐことができたのは運のようなもので、天秤の傾き方によっては首を刎ねられて終わっていた可能性もある。師の国宗心徹よりも、一撃が速く、そして鋭かった。
「桜華様。貴女は一体何者だ」
正宗の問いに桜華は袂で口を隠し、くすくすと笑う。目が愉快そうに歪んでいる。
「国宗心徹の息女。そう信じて死んでいった方が幸せですわ」
言い終えると、再び桜華の姿が消える。二度目は正宗の目も慣れていた。右に跳んだのが微かに見えた。左右に跳んで死角から急所を狙う。それが桜華の基本戦術らしかった。確かに電光石火の動きで死角から急所を狙われれば、必殺の一撃ともなる。だが、ネタさえ割れてしまえば、右か左かの二者択一。そして右に動いたのが見えた。ならば対処はさして難しくない。
正宗は刀で急所を守りつつ、右に跳ぶ。予想通り桜華は右から現れる。姿勢を低く保ち突進してきて、攻撃の直前で浮かび上がるように体を起こすため、急に現れたように見える。
桜華は動きを読まれたことを悟り、舌打ちをして振りかけた刀を止めて引っ込めて飛びずさる。
その機を逃さず正宗は踏ん張って反転すると、刀を脇構えに構えて踏み込み、さらにもう一歩深く間合いに踏み込んで刀を斜めに斬り上げる。桜華は姿勢を崩している。躱せないはず。
とった、と正宗は確信した。刀が桜華の腰の辺りを捉えようとしたその刹那、刀は何かに衝突し、大きく弾かれた。今度は正宗の姿勢が崩される。慌てて両足で体を支えて姿勢を整えると、後ろに下がって間合いをとり、刀を青眼に構え直す。
桜華は腰に差した両刃の剣を抜いていた。どうやらあの剣に斬撃を防がれ、弾き飛ばされたらしいが、刀を弾かれたときの衝撃は女性の片腕の膂力のそれではなかった。練達の剣士の渾身の一撃を受けても、ああまで弾かれることはなかっただろう。
「わたしに二刀、『吸命の剣』を抜かせたのは流石ですわ。あと数年修練を積めば、遺物に頼った心徹よりも上の使い手になれたでしょうに。それだけに残念ですわ。柳沢のような俗物にほだされるなんて」
桜華が妖艶な笑みを浮かべて言うと、額を押さえた葵が正宗の隣に並んで、「あなた、帰還者ね」と桜華の両刃の剣を指さして指摘した。まだ頭痛が続いているらしい。
「帰還者? わたしはそんなちっぽけな存在ではないわ。わたしはあなたたちよりも上位の存在。その証拠に、あなた、遺物の力をコントロールできなくなっているでしょう。わたしの周囲では遺物はその本来の力を発揮できなくなるのよ。わたしが使う遺物以外はね」
桜華はあはは、と声を上げて仰け反って笑った。葵は顔をしかめて脂汗を垂らしながら「道理で」と呟く。すると葵の姿が忽然と消えた。次の瞬間には桜華の背後に移動しており、正宗にはその移動した過程がまったく掴めなかった。
葵は桜華に向かって片手をかざしていたが、自分の思った結果にならなかったのか、舌打ちして後ろに飛びずさった。それを逃すまいと桜華の鋭い斬撃が葵を襲い、彼女の薄い襦袢のような着物が切れ、腹部にうっすらと血の線が走った。
「あなたまさか、『時渡りの指輪』と『消し去りの指輪』を制御しているの。危なかったわ。その二つを発動されていたら、それだけで勝負が決まっていた」
葵は腹を押さえながら走って距離をとる。桜華はそれを愉快気に眺めて嘲笑う。
「どうやら二つの遺物を同時に展開することはここではできないようね。そして遠距離から『消し去りの指輪』の力を使わないところを見ると、接近して発動しなければ、制御ができない、そう見てよさそうね」
正宗には何のことを言っているのかさっぱり分からなかった。だが、葵が桜華すら動揺させる何らかの力を持っていることは伝わった。
「時間を自由に操作し、過去にも未来にも行ける。そして時を止めてその中で動くことができる『時渡りの指輪』。さらにあらゆる存在を消滅させることのできる『消し去りの指輪』。伝説級のその二つの指輪が見られるなんて、わたしは幸福だわ。それがわたしの手中に入ることも」
桜華の笑みが邪悪に歪む。「心徹!」、彼女はそう叫ぶ。国宗心徹は大儀そうに立ち上がると、刀を携え葵の方に向かって行く。
「そこのお嬢さんの始末はあなたに任せるわ。彼女は瞬間移動と、間合いに入った相手を一撃で殺す術を持っている。けっして間合いには踏み込ませずに殺しなさい」
国宗心徹は感情のこもらない硬質な声で「心得た」と答えると刀を上段に構えながら無遠慮に葵との距離を詰めていく。
「葵殿!」と叫んで正宗が葵の方に視線を巡らせた瞬間、死角から鋭い刀の一撃が迫ってくる。それをなんとか受けていなすと、桜華と距離をとって構え直す。
「わたし以外の女によそ見をするなんてひどいわ、正宗様。わたしだけを見てくださいな。今しばらく、二人だけのこの死の舞踊を楽しみましょう」
桜華は両手を広げて二刀を構える。懐ががら空きで、あまりに隙だらけだったが、かえって正宗は踏み込めなかった。桜華の一撃は神速の速さで降ってくる。左右の差はない。すると正面から懐に潜り込むのはあまりに危険だ。かといって左右に揺さぶっても効果があるとは思えなかった。左右の二刀でどちらにも対処できるからだ。大した揺さぶりにもなるまい。
心配なのは葵の方だ。桜華に迫った神速の動きには目を見張るものがあるが、相手を殺傷する術をもたないのでは、ただ己の身を危険に晒すだけだ。葵は武器を持っている気配はなかったし、何か武器を持ったところで相手があの国宗心徹では、俄か仕込みの武術など何の意味もなさない。かといって自分が助力に向かうこともできない。焦れば桜華の剣をしのげずに首を落とされる。正宗は唇を強く噛みしめた。
しかしこれで国宗心徹と桜華の序列、力関係ははっきりした。彼女が心徹の娘というのは恐らく偽装だろう。本当は何者なのかは分からないが、桜華こそが剣杖の首魁だ。巫女、と柳沢吉保が呼んでいたのも彼女かもしれない。
正宗は胸が疼くように痛んだ。彼女の笑みや彼女と過ごした時間のことが次々と浮かんでは消える。すべては偽りで、泡沫のようなものだった。彼女は自分をせせら笑っていただろうか、と正宗は苦笑し、刀を握る手に力がこもる。何も知らず騙されている馬鹿な男だと、彼女は蔑んだだろうか。大地を踏みしめる両足が震え、足がしっかりと地面を噛む。
ふっと微笑んで力が、緊張が抜けた。
首魁を斬る。それだけのことだ。さらばだ、桜華様。
正宗は自分の心に漂ってもやもやしていたすべての感情が一点に収束して凝固し、頑強な一つの結晶になるように感じていた。その結晶は眩く光り輝きながら、ただ一つを命じている。目の前の悪を為す存在を断ち斬れと。
脇構えに構え、待ち構える桜華の懐に飛び込む。桜華の剣のことは考えない。ただ、己の一振りに神経を研ぎ澄ませる。構えを解き、上段に振り上げると渾身の力を込めて、一切の邪念なく、刀を振り下ろした。
葵とて武術の心得がまったくないわけではなかった。異世界イステリトアで出会った武術の達人たちに手ほどきを受けてきて、常人以上に動ける自信はあった。だが葵が学んだのはあくまで基礎中の基礎に過ぎず、心徹のような達人を相手にできるほどのものではない。
葵は地面を転がりながら、ぎりぎりのところで国宗心徹の刀を避けていた。遊ばれている、と思ったが腹は立たなかった。相手が侮ってくれているなら、その方が勝機を見出しやすい。
国宗心徹としては、早いところ勝負を決めたいのだが、攻めあぐねていた。一つには葵の動きが素人とは思えないことが、心徹の疑念を刺激し、立ち振る舞いを慎重なものにしていた。もう一つは桜華の「間合いに入った相手を一撃で殺す術がある」という言葉が楔となって心徹の心に突き刺さっていた。ゆえに極力積極的に踏み込まずに殺す術を考えているのだが、決定的な攻め手がない。
葵にしても、相手に迷いがある内に勝負を決めたかった。剣が鈍っているうちに踏み込んで、『消し去りの指輪』で消滅させる。桜華の存在のせいで力が制限されているが、部分的にでも体を消滅させれば、致命傷を与えることは可能だ。
そもそも、桜華がもつ遺物の力を抑える能力が正体不明だった。異世界で「サカキヒト」とも称えられた葵でもそんな力を有した遺物は知らなかった。だがもし、と葵は考えたくない一つの可能性を考える。「東方の賢者」が魔王を倒してしまったせいで解き放たれてしまった存在、かつては遺物だったものが意思をもち、人の悪意を吸って魔物と化した存在。それが彼女なのだとしたら。遺物に干渉する力をもっていてもおかしくないかもしれない。
もし自分の予想が当たっているなら、と葵は冷や汗をかきながら桜華を一瞥する。あの女は確実に消滅させなければならない。それが、遍く時を旅する力を与えられた自分の責務だと固く心に誓う。
これ以上国宗心徹に時間はかけられない。一気に勝負を決める。でも、遺物の力を二つ以上同時には使えない。とすれば使うのは攻撃力に優れた「消し去りの指輪」一択。打ち込むためには、自分の身体能力と策で振り回して潜り込むしかない。
葵は心徹に向かって突っ込む。心徹が八双に刀を構える。心徹の意識は刀に集中している。足元に気を配っていないわけではないだろうが、不意を打てば崩せる。そう考えた葵は地面に手を突き、そこから線上に大地が抉れて消滅する様を思い浮かべ、心徹の足元の地面を消失させる。大きく足場が抉られることになった心徹は平衡を失して穴に倒れる。
そこへ踊りこむと、葵は心徹の頭に向かって手をかざす。頭を消し飛ばす。少々残酷なやり方だが、手段を選んではいられない。思念を集中させると、心徹の頭を吹き飛ばすイメージを頭の中に走らせる。白い閃光が走る。
勝った、と葵が確信した次の瞬間、彼女の顔が青ざめた。光が収まると心徹の頭は変わらずそこにあり、その代わりに心徹の頭のすぐ横の土壁が消失して大きく抉れていた。
(外した。コントロールも定まらないっていうの?)
心徹の刀が穴の中から伸びて葵の左肩を穿つ。心徹が不安定な体勢ながら隙を逃さず反撃に転じた。だが狙いが逸れて心臓を貫くには至らず、肩を打ち抜いたに留まった。
葵は甲高い悲鳴を上げて、地面に転がる。刀は完全に肩を貫通した。出血も多く、痛みのせいか左腕は動かすことができない。
立ち上がれ、早く立ち上がって逃げろ、と葵は自分の体に命じるが、痛みで体は委縮してうまく動かない。傷を負うのはこれが初めてというわけではない。だが、指輪の力に頼れないという不安が葵の心に重くのしかかり、迅速な行動を妨げていた。
必死に顔を上げると、そこには国宗心徹が立っていて、刀を振りかぶっていた。口が「終わりだ」と動いた気がした。刀が振り下ろされる。次に自分に襲い来る痛みを少しでも和らげるように身を縮こまらせる。
だが、国宗心徹の刃は葵まで届かなかった。鋭い金属音が鳴ると同時に葵の前に誰かが立ちはだかり、刀を受け止めている。
「何とか間に合ったようですね」
恐る恐る顔を上げると、そこには脂汗をかきながら微笑んでいる小松の姿があった。
国宗心徹は素早く刀を引くと、半身体を捻ってその反動を利用し、刀を斜め下から振り上げる。小松はその一撃を受けながらも完全には受け止めず、半歩斜め前に出て刀の勢いを逃がして受け流し、がら空きになった心徹の小手を打つが、心徹は右手を刀から離し、拳で小松の刀の鍔を叩く。小松の小手うちは刃が届かず、宙で止まる。その隙に心徹は左手一本で刀を大振りに薙ぎ払う。小松は紙一重でその刃を逃れて飛びのく。
心徹ははっと何かに気づいて飛びのく。心徹が立っていた場所に次々と短刀が投じられ、突き刺さる。心徹はその中の一本を引き抜くと、杉の木に向かって鋭く投げる。杉の木から人影が飛び降り、地面を転がる。頼蔵だった。
「ご無事で。葵さん」
「小松さん、頼蔵さん。でも、どうして」
小松は苦笑しながら、「主に命じられまして。あなたがたを絶対に死なせるなと」と心徹の間合いを警戒しながら下がり、葵の隣に並ぶ。頼蔵もまた腰に差した脇差を抜くと葵の隣に腰を落として立つ。
「でも、どうやら大した援護にはなれなさそうです」
「あっしもです。こりゃあ相手が悪すぎる」
心徹は不敵に笑うと、「小松か。懐かしい顔だな」と言いながらも意識は小松にではなく、葵に向けられていた。今の攻防で、二人は脅威ではないと判断されてしまったのだろう。
「三人がかりでくるか? ひょっとしたら勝機を見出せるかもしれんぞ」
頼蔵は舌打ちをする。「安い挑発をしやがる」
「だが、その絶対の自信が突き崩す鍵です。頼蔵さん、葵さん。私の作戦に乗ってくれますか」
小松は二人に耳打ちをする。心徹はその隙をつくことがいくらでもできたはずだが、そうしなかった。小松もまた、そうしないだろうと読んでいた。心徹は絶対の自信をもっている。どんな手を使ってこようと正面から打ち破れるという。
ようは、詰め将棋です。小松は二人に向かって笑いかけ、走り出した。葵は唇を嚙み締めた。血が口の端を伝って流れる。彼女は最後までこの作戦に反対していた。自分だけを助けるための作戦なんて、受け入れられるものか。でも、受け入れざるをえない。そうしなければ、この場の全員が死ぬ。
小松は青眼に構え、慎重に距離を詰めると、心徹と切っ先が触れるか否かという距離まで近づいたところで、刀を振り上げ大きく踏み込む。
玉砕覚悟の突撃か。心徹は落胆し、がら空きの逆胴へと刀を振って走らせる。小松は刀から手を放し、左手で脇差を鞘ごと引き上げ右手でそれを支える。
むっ、と心徹は相手の思わぬ手に動揺するが、斬撃はもう放ってしまっている。それならば脇差ごと叩き斬ってくれようと力を込める。斬撃は過たず小松の脇差をたたき割り、それを支えていた右手の指を数本斬り飛ばして掌に深々と食い込み、そのままの勢いでわき腹に食い込んだが、胴を両断することはできなかった。
(むうっ、抜けん!)
心徹は刀を引き抜こうとするが、小松が渾身の力で刀を食い止めているせいでびくともしない。にわかに狼狽していると、小松の影から頼蔵が飛び上がり、短刀を投げつける。急所を狙って制御されたその投擲は見事だが、しょせんは自分の敵ではないと、上半身を捻って短刀をかわし、首を狙って放たれた一本を左手で止めると、握りなおして小松の首筋を斬り裂き、それを頼蔵の頭めがけて投げると、短刀は頼蔵の右目を貫いて、頼蔵は目から血を流しながら「あの世で先に待っててやるぜ」と言い残して倒れた。
残るはあと一人。小松ももう刀を支える力はなく、引くとずるりと簡単に抜けた。葵の姿を探して顔を上げたところで、太ももに鋭い痛みを感じて目を落とす。小松が最後の力を振り絞って短刀を突き立てていたのだった。
「無駄なことをしおって」
心徹は小松を蹴り倒すと、とどめを刺そうと刀を振り上げた。つもりだった。だが実際、刀は降りあがらず、手は痺れて感覚がなくなり始めていた。
「どういう、ことだ」
心徹は膝を突く。強烈な吐き気が襲ってくる。毒か、と気づいて、足に刺さったままの短刀を見やる。まだ感覚が残っていた左手で引き抜くと、忌々しそうに投げ捨てた。
「もう、遅い、です、よ。王手、です。私たちの」
トリカブトの毒、です。
そう言い残して、小松は太陽を思わせる眩い笑顔をにっこりと浮かべ、事切れた。
心徹は背筋を撫でる恐怖、もう何十年も感じていなかった死の恐怖を間近に感じて慌てて顔を上げる。そこに見えたのは、走りこんで、小松の体を飛び越えて自分に向かってくる葵の姿だった。
「勝ちよ。国宗心徹!」
葵の右手が心徹の胸に触れる。その刹那、桜華の影響で働いていなかった「垣間見の数珠」が発動し、心徹に未来の映像を見せた。
葵は「消し去りの指輪」を発動し、心徹の胸一帯を消し飛ばした。胸を消し飛ばされ、ぽっかりと穴の空いた心徹はゆっくりと仰向けに倒れる。
「何か言い残すことはある?」
葵は心徹の顔の横に膝を突いて耳を近づける。
「未来を、見た。わしと、血の繋がりがあるかは、分からん、が、子孫だ」
ごほっごほっと咳き込んで血の塊を吐き出す。
「長曾根が、その子らを殺そうと、していた。なぜ死んだ長曾根かは、分からぬ。だが、守って、やってはくれ、ぬか」
葵は頷いて、「約束する。指輪に誓って」と手を胸に当てる。
「最期は弟子に斬られるとばかり、思っておったが……、悪くない、最期だ。鳥のように、自由な、女子よな……。傀儡の儂には、相応しい相手だった」
国宗心徹は薄く笑っておもむろに目を閉じる。そして、二度と開くことはなかった。
〈続く〉