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四姉妹の話~青(ブルー)~

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■本編

 大陸東端の地よりさらに東の果てにある島――イルダリア。そこはこの世の最果てとも呼ばれ、大陸で住むところを失った難民や人の中で暮らしていけない犯罪者などが最後に辿り着く希望、あるいは絶望、とも称せられる島だった。
 今その島に、空のように青く長い髪をなびかせ、海よりも深い群青色の瞳をもった女騎士が降り立とうとしていた。
「オセアン隊長。本当に我らの探し求める者が、この地にいるのでしょうか」
 年嵩の、顔中に傷跡を残した歴戦の勇士然とした中年の男が、若い、まだ十代とも見える少女のような騎士に声をかける。
「いる、とわたしは考えている。『大罪の魔女』はこの地にいると、中央聖神殿の司祭長が神託を受けたのだ。疑う余地はあるまい」
 少女、オセアンは年頃に似合わず低音の凛とした声で、年嵩の屈強な男を前にしても物怖じする様子はなかった。
 オセアンは中央聖神殿の神託に基づき、この地に潜む、災厄の元凶『大罪の魔女』を討伐すべし、という勅命を受けて、僅かな供の者を連れてこの地へとやってきたのだった。王がオセアンの任務に許した随伴員は十名にも満たなかった。その内有事の際戦闘の役に立つのはオセアン含め四人。なんとも心もとない陣容だった。
 この任務を受けたとき、オセアンは王に「死ね」と命ぜられた気がした。大罪の魔女は遥か古に失われた魔法を用い、国一つ一晩で落としてみせると言われた怪物である。オセアンは腕には自信があったものの、相手が魔法使いではどうにもならない、と考えていた。ましてや四人程度では、犬死もいいところだ。
 王都ではオセアンの人気は絶大だった。国の武闘大会で国内外から集まった屈強な剣士たちを涼しい顔で薙ぎ払って優勝し、王国と山の民との戦争では山の民の酋長を含む、敵の中核にいた将を次々と血祭りにあげ、英雄の誉れ高くその名を呼ばれるようになった。また、可憐な少女の見た目であることも人気の火付けに一役買っており、王都ではオセアンの似姿の描かれた絵はがきやポスターが流行した。
 その人気に嫉妬したのがまだ年若い王だった。賢王と称せられた先代の父親から王位を引き継いだばかりで、何の実績ももたなかった王は、次々と快進撃を続けていく若き女騎士のことが気に入らなかった。最初は騎士を手籠めにして懐柔し、騎士の人気を自分のものにしようと目論んだが、オセアンは国家に忠誠を誓えども、王の意のままにはならなかった。それどころか、王の傲慢な振る舞いを廷臣が侍る中で声高に指摘するなど、正義感の強い彼女は、王にとって瞬く間に邪魔な、危険な存在に変貌していった。そしてオセアンの方でもまた、王がそうして自分を疎んじている、というのを感じながらも、彼女の在り方を変えようとはしなかった。
 そんな中、国中に虫が大量発生し、麦や野菜などの作物を食い荒らし、全国的な飢饉に見舞われた。虫が食物を食い漁り、食べ物を求めて路傍で死んだ人間の肉を、別の虫が食い、さながらこの世の地獄絵図のようだった。
 中央聖神殿は未曽有のこの窮地に対し、「大罪の魔女の呪いである」との神託を受けたと発表し、大罪の魔女は東の果て、イルダリアに潜んでいるため、国は勇士を派遣してその首をとり、この危機を鎮めるであろうと宣言した。
 そうして選ばれたのが、隊長として国の英雄オセアン。経験豊富だが傭兵上がりのため疎まれた、顔に傷ある中年の騎士、ジョルジュ。若年だが剣の腕に優れた、しかし独断専行の多い、騎士に昇格したばかりのエルド。バランスのとれた優秀な騎士ながら、男性騎士と揉め事ばかり起こす女騎士、ステラ。この四人が前衛を務め、それ以外の人員は後方支援に回る。いずれにしても、騎士団でも持て余すような問題児ばかりを詰め込んだ部隊というわけだ。国としては、失っても痛くはない、という人選なのだろう。
「なんだかじめじめして、暗い雰囲気が漂った島だな。鬱になりそうだ」
 エルドがそう言うのも無理はなかった。島には重苦しい雲がかかって、日差しがないどころか、湿った冷たい風まで吹いていた。近海には岩場が多く、波が押し寄せて岩に砕け散る音が、より空気を寒々しいものにしていた。
「あんたが鬱になることはないわよ。そんな繊細さないもの」
 ステラが鼻をふん、と鳴らしてエルドを一瞥し、先に立って歩き出す。
「まあそんなぴりぴりするな。隊長、まずは宿へ落ち着きましょう」
 ジョルジュがとりなすので、オセアンは頷いて、鋭い眼光を二人の騎士に投げる。
「ステラ。諍いは避けて頂戴。エルド、士気が下がる発言は控えなさい」
 ジョルジュの言葉には不満が残っていた二人も、オセアンの真剣で斬り捨てるような声に背筋を直ちに伸ばして緊張し、「はっ」と声を揃えて返事をした。
 一行は出立し、港から街に入り、宿を目指したのだが、その宿でもすんなりとはいかず、揉め事が起こった。宿の主人は何事で最果ての地へ王都の騎士団がやってきたのかと訝しむので、大罪の魔女を討伐するためだ、と答えると主人の顔がさっと青ざめ、お泊めできないと強硬に拒むようになってしまった。また、その情報が街中に広まったのか、どこの宿に行っても門前払いだし、どこのレストランに行ってもまともな食事はできなかった。
 オセアンは部隊の疲労が心配だったが、これ以上街を回っても徒労だと判断し、村からほど近い丘陵地帯にあった洞穴の中で野営することにした。
「何だってんだよ、こっちは魔女の討伐に来てやってんのに!」
 エルドが兜に八つ当たりをして蹴とばす。兜は甲高い音を立てて転がり、ジョルジュの足元で止まる。
「確かに。そんなにも街の者は魔女が怖いのでしょうか」
 ジョルジュが兜を拾って埃をはたき、岩の上に置くと、焚火に薪を加えながらオセアンを見やった。
「いや、街の者が怖がっているのは魔女じゃない。わたしたちだ」
「え?」とステラは理解できない、といった様子で首を傾げる。
 街の者の中、その目にあった怯えの色、あれはよく覚えのある色だった。王が自分に向ける眼差しと同じ。恐れながら憎む、そんな色。ならば、街の者にとって大罪の魔女は脅威ではなく、自分たち騎士団が脅威ということか――、オセアンは顎を摘まむように手を添えて考え込む。
「なぜおれたちを。魔女を怖がるならともかく」
 分からない、とジョルジュの言葉にオセアンは首を振った。「憶測は危険だ。判断を狂わせる」
 エルドは「ですね」と頷いてジョルジュの隣に腰を下ろす。
「情報が不足している。ジョルジュとステラは街に行って情報収集を頼む。わたしとエルドは、街の門が見渡せる場所で待機だ」
「待機、ですか?」とエルドは不服そうだ。
「そうだ。わたしの推測が正しければ、街の者が何か行動を起こす。その後をつける」
 なるほど、と納得したようにエルドは頷く。
「二人とも、くれぐれも気をつけろよ。街の者とて油断はするな」
 ジョルジュとステラは「はっ」と敬礼して、荷車に積んでおいた民草の衣服に着替え、念のため懐剣を忍ばせて街へと出立する。
 オセアンたちは街の東側の出入り口の門近くにやってくると、低木の影に身を潜め、門の様子を窺った。
「来ますかね」とエルドの声音から半信半疑なのがオセアンには分かった。こういう器用じゃないところが、煙たがられる要因なのだがな、とオセアンは苦笑し、「待っていろ。必ず動き出す」と確信をもって言った。
 すると、門から一人の商人風の男が出てくるが、簡素な荷車を自身で引いているだけで、積み込んでいる品もそう多くはなさそうだった。商いにしては軽装で不用心だな、とその様子を窺っていると、やたらと後ろや周囲を気にしたり、焦って急いでいる様子が見受けられた。
「エルド、追うぞ」
「え、あの商人をですか」
 そうだ、と頷くや否やオセアンは走り出した。平野には低木が所々浮島のように伸びている。その影に姿を隠しながら尾行すれば見つからないだろうとオセアンは踏んだ。幸いなことに、低木以外は障害物の少ない平原であるため、追跡者である自分たちには見晴らしがいい。
 商人は街道を東へ東へと向かっていた。商人が荷車を置いて休息を取り始めたタイミングでオセアンたちも足を止め、地図を広げて現在地と商人の目的地を推測した。
「このまま東へ向かうと、森に突っ込みますが」
 エルドは不審そうな目で地図を見ている。確かに、とオセアンも首を捻る。ここから北進しても南進しても、あるのは海だけだ。とすれば、東の森、古いその地図には魔牢の森と書かれていたが、そこしかない。だが、そこに何がある。
「あ、やつめ、出発するようですよ」
「よし、わたしたちも出発だ」
 オセアンたちの予想の通り、商人は街道の東端に辿り着くと、道から逸れて進み始めた。そうして一刻も進んだ頃だろうか、森の入り口に商人は立っていて、荷車から瓶のようなものを取り出すと、中の液体を自分にふりかけ、森の中へと入って行く。
 森の中では見失う可能性が高い、とオセアンたちが急いで森の中に踏み入ったときには、後にも先にも商人の姿はなく、完全に見失ってしまっていた。
 オセアンは舌打ちすると、「足跡や痕跡を探せ。そう遠くには行っていまい」と目を凝らして地面を探り始めた。
 エルドはその指示を棒立ちして聞き、しばらくそのまま気が抜けたように立っていたが、オセアンが見やると慌てて目を伏せて探し始める。
 オセアンはその様子を疑問に思ったが、今は一刻を争う、としゃがみこみ、痕跡を探る。草が踏まれて潰れていたり、折れた枝があったり、隆起した根っこに泥がついていたり。人が森の中で歩けば、何かしら痕跡は残る。
 そうして探していたときだった。オセアンは背後に殺気を感じて剣を抜いて振り返った。白銀の刃が頭上に降ってきて、オセアンは辛うじてその刃を自身の剣をかざすことで凌いだ。
「何のつもりだ、エルド」
 オセアンが鋭い眼光で睨みつけると、エルドは口角をひくつかせながらへらへらと笑って、「王命です、隊長」と剣を引いて後ろに飛びずさった。
「王命だと?」
 エルドは剣を青眼に構え直し、振りかぶって斬り下ろす。
「そうです。俺に下された密命は、オセアン隊長、あんたの暗殺だ」
 オセアンは唇を噛み締め、エルドの剣を受けてはいなしつつ、足先で円を描くように捌き、鋭い斬撃を見舞う。
 剣に長けたエルドらしく、オセアンの舞うような、変則的な動きの剣によくついていったが、次第に翻弄され始めた。
「残念だがエルド。お前ではわたしを斬ることはできない」
 抜かせ、と叫んでエルドは大きく踏み込み、剣を薙ぎ払う。オセアンは剣を立ててそれを受け止めつつ、斬撃の衝撃を活かして後方にふわりと跳び、エルドが剣を払い終わって大きく体を開いた状態になったのを見計らって地面を猛烈な勢いで蹴り飛ばし、まるで鳥が巣から飛び立つように飛翔してエルドの首筋を斬り裂いた。
 エルドの首から血が噴き出し、慌ててそれを押さえるものの、血の勢いは止まらず、エルドの体から急速に流れ落ちていく。エルドは剣を構えようとするも力が入らず取り落とし、足腰が立たなくなって崩れるように倒れる。まるで心臓の鼓動のように体が震えていたが、やがてそれも止まり、完全に動かなくなる。
 オセアンは血を拭い、剣を鞘に納める。エルドが何か密書のようなものを携えてはいないかと確かめようとして、急激な頭痛と眩暈に襲われ、片膝を突く。甘い匂いが周囲に立ち込めていた。空気が桃色に染まっているが、これは頭痛による錯覚か、と考えて手をかざすと、うっすらと粉のようなものが掌に積もった。
「まずい。これは植物の――」
 視界が揺れる。森が蠢いている。木々の隙間から巨大な花が覗く。その花は中央に大口を開けていて、そこから乱杭歯が覗いていた。
 オセアンは剣を握って立ち上がろうとしても力が入らず、そのまま眠るように意識を失って倒れた。

 これで私の九十五勝目。まだまだね、オセアン。
 目の前には幼き日の姉、ソレイユが赤い髪をたなびかせて立っていた。それよりも幼いオセアンが剣を前にして泣きべそをかいていた。
 ――これは、幼少の頃の。ソレイユ姉さまに挑んでは負けて、泣きべそをかいていたっけ。
 そもそも年の差がある分、オセアンには不利なのだが、ソレイユはオセアンの才覚を見抜いて手加減することなく剣をぶつけ合っていたのだった。
 ――結局、ソレイユ姉さまが家を出られるまで、幾度も剣を合わせたが一度も勝てはしなかった。
 オセアンはよくやってるわよ。身のこなしだって相当なものよ。大人にだって引けを取らないわ。
 ――ヴォン姉さま。足の速さでは一度も勝てなかった。わたしも自信があったのだけど。
 ソレイユが少し大人げないわ。オセアンはまだ十歳なのよ。
 ――ああ、テェール姉さま。テェール姉さまの知識や頭脳には、どれだけ勉強しても及びませんでした。
 ――わたしは姉さま方の得意分野を相手にしては敵いませんが、姉さま方以外には負けないよう修練を積んでまいりました。今の、英雄という大それた呼び名で呼ばれるのも、すべては姉さま方のおかげ。わたしが本当の英雄の力を知るからこそ、成しえたことだと言えましょう。
 ――ソレイユ姉さまは処刑人に。ヴォン姉さまは風使いに。そしてテェール姉さまは聖女になられた。わたしも、姉さま方の後に続きたい。
 夢の片隅にある、暗闇の中に夢ごと意識を飲み込まれるように感じて、オセアンの意識は途絶え、そして次に目覚めたときに、彼女は見知らぬ天井を見上げていた。何枚かの板を繋ぎ合わせた天井で、それぞれの板の木目がまるで天上を描いた宗教画を見ているようだった。
 オセアンは体を起こすと、手足に若干の痺れがあることを感じた。
「まだ起きない方がいいと思うわ」
 長い漆黒の髪の、同じ女であるオセアンから見ても美しい小柄な女が水を張った桶を運んできて、オセアンの肩に手を置いて寝かせると、額のタオルを取り換える。
「わたしは、あなたは一体……」
 黒髪の女性はその大きく静謐な目を、オセアンを見通すかのように向けると、「あなたは森の植物の花粉を吸って倒れていた」と言って傍らの木椅子に腰かける。
「この森には人食い植物たちが巣くっている。人間は格好の餌になってしまうわ」
「ならなぜ、あなたはこんなところに住んでいる?」
 女性は目を伏せる。
「私は外でこう呼ばれている。『大罪の魔女』と」
「なっ」
 オセアンは剣を探すが、手の届くところにはなかった。舌打ちして起き上がろうとするも、体が痺れて思うように動かない。
 大罪の魔女は寂しそうな顔をして、「かつてはこう呼ばれていた」と言って立ち上がる。
「『蒼の聖女』と」
 魔女は入り口の戸に立てかけたオセアンの剣を握るとそれを持って戻ってきて、オセアンの手に渡す。
「斬るなら、斬りなさい」
 オセアンは剣を受け取り、柄に手を伸ばすものの、ふっと笑みをこぼして手を放した。
「街の者が来ただろう」
 オセアンの問いに魔女は「ええ」と頷く。「あなたたちの素性も知っているわ」
「その人間に、生殺与奪を委ねていいのか」
 魔女は再び頷き、竈にかけられた鍋からスープをよそってくると、息を吹きかけて冷まし、オセアンの口に運ぶ。最初は逡巡していたオセアンだったが、大人しく運ばれるがままにスープをすする。
 魔女を斬れ、それが命だ。だが、その裏でエルドはオセアン暗殺の任を受けていた。他のメンバーも同じかもしれない。とすれば、ここで魔女を斬ったとしても、自分を待ち受けているのは処刑の二字かもしれない。王ならば、どんな理由をこじつけてでも自分を斬るだろうとオセアンは考えていた。
「なぜ、『蒼の聖女』が『大罪の魔女』になった」
 魔女は彼方の記憶を呼び覚ますかのように遠くを見る目をして、「多分あなたと同じ」と言った。
「私は聖女として人々を癒し続けた。でも、あるとき王は気づいてしまった。人心は王である自分よりも聖女にあると。王はそれが許せなかった。何度となく、聖女は暗殺されかけた。その度に自身に癒しの業を施して生き延びている内に、聖女は不老不死になってしまった。王は国内で起きた悲惨な事件を私のせいにした。最初は信じなかった民衆も、私が不老不死の化け物だと知ると掌を返した。そして私は『大罪の魔女』として貶められ、この辺境の地に追放された」
 王とは強欲な、王自身の方がよほど怪物じみている、とオセアンは思った。
「街の者はあんたを信じているようだが」
 魔女は頷き、「彼らは、彼ら自身が追われた人たちだから。私の上っ面ではなくて、本心を見てくれる」と微笑んだ。
「そうか。本心をな……」
 オセアンは俯くと、自嘲したように笑った。このまま任務を遂行してもしなくても、自分は罪人に仕立て上げられるだろう、と考えていた。そうなったとき、果たしてどれくらいの民衆が自分の本当の姿を見てくれるだろうか、と思うと、その自信のなさに情けなくなるのだった。
「あなたの運命は、わたしの運命のまるで鏡像だ。王はわたしを妬み、暗殺者を差し向けた。ここであなたを殺し、任務を果たしても恐らく陥穽に落とされ、よくて追放。悪ければ処刑されるだろう」
 私もそう思うわ、と魔女は頷く。
「ふ。行くも退くも行き止まり、か。手詰まりだな」
 騎士としての名誉は取り上げられてしまうだろう。逃げ出す、という選択肢もとれなかった。敵前で逃亡したとあれば、臆病者、卑怯者の誹りを免れない。
「あなたも死んでみるのはどう?」
 魔女の提案に、オセアンもなるほどと思う。任務の結果戦死したという体なら名誉は保たれる。問題は、死んだとどう思いこませるかだ。
「私が一芝居うってもいいわよ」
 え、と顔を上げると、魔女は不敵な笑みを浮かべた。
 やがてオセアンたちの帰りが遅いことに気づいたジョルジュとステラは、隊の者からどうやら東の森へ向かったようだと知らされると、森の中で植物に襲われないための必需品、匂い消しを振りまいて森に突入した。森の奥深くまで入り込んだ彼らは轟音が響いて、オセアンらしき悲鳴が響くのを聞いて殺到した。
 そこには倒れ伏したオセアンと、オセアンの宝剣を握りしめて勝ち誇った笑みを浮かべている魔女の姿があった。
「おのれ、隊長!」
 走り出そうとするジョルジュをステラが制する。「隊長を倒せるような相手だよ、それにあたしたちの任務は……」
 言うな、とジョルジュは叫び、唇を噛み締めていた。口の端から血が流れ落ちるほど。
「英雄オセアンも大したことないのね。まるで相手にならなかったわ」
 魔女はくすくすと笑う。
「貴様が、貴様が大罪の魔女か」
 いかにもそうよ、と笑みを消して、冷徹な目でジョルジュたちを見つめる。
 魔女は剣を片手にオセアンに歩み寄ると、その長く美しい青い髪を束ねて切り、それを握りしめたままゆらりゆらりとジョルジュたちに歩み寄る。
 完全に二人は魔女に気圧されており、剣を抜くことも忘れていた。
「これを王の眼前につきつけてやりなさい。英雄の末路だと」
 そう言って髪の束をジョルジュに握らせる。
「さあ、あなたたちもここで無駄死にする? それとも逃げ帰る?」
 あははは、と魔女の甲高い笑い声が響き渡り、カラスが鳴いて数十羽が一斉に樹々から飛び立ったようで、不穏な羽音を森中に響かせていた。
 我に返ったジョルジュたちは、舌打ちして踵を返して走り去って行く。そしてその姿が完全に見えなくなったところで、魔女が「もういいわよ」と言うと、オセアンがむくっと起き上がる。
「うまくいったのか」
「まあ、大丈夫でしょう」
 魔女はにっこりと笑って庵の中へと戻って行く。オセアンも戻りかけて振り返り、「すまないな、ジョルジュ、ステラ」と呟いて庵の中へ戻って行った。
 大陸東端の地よりさらに東の果てにある島――イルダリア。そこはこの世の最果てとも呼ばれ、大陸で住むところを失った難民や人の中で暮らしていけない犯罪者などが最後に辿り着く希望、あるいは絶望、とも称せられる島だった。その島には二人の魔女が住むと噂されたが、魔女の姿を見たものは誰もいないという。

 私は寝室のドアをノックし、弱々しい返事を聞いて中に入る。
「お加減はいかがです」
「おお、ブルームさん。よく……」
 身を起こそうとする老人を柔らかく制し、私は枕元の木椅子に腰かける。
「倒れられたとリュヌくんから聞いて、驚きました。けど、顔色もよさそうだ」
 気休めにそう言ったものの、老人の顔は白く、唇にも血色がなくかさついている。傍らを見ると、リュヌが作った食事にも、半分も手を付けていないようだった。
「いや、年をとるというのは嫌なものですな。気持ちばかり先走って、体がついていかないもので」
「そうですね、私も実感しますよ」
 ははは、と老人は笑って、「ブルームさんなどはまだまだお若いですよ」としわがれた声で言った。
「カストー先生はなんと?」
 人の好さそうなドクターカストーの顔を思い浮かべて訊く。
「風邪をこじらせたのだろうと、そういうことでしたわい」
 言いながら、老人は咳き込む。私はすぐに水差しから水を注いでやり、グラスを差し出す。老人は受け取って喉を鳴らして飲むと、深く息を吐いて、ぜいぜいと喉に痰が絡んだような呼吸をした。
「わしが風邪をひいたとあってか、ムーランも大人しいものですわい」
 老人が可笑しそうに笑うので、私もつられて笑ってしまう。
「風邪も馬鹿にできません。肺炎を起こしでもしたら事ですよ。安静にしていなければ」
 私はその後、しばらく老人と他愛のない話をして過ごした。サン・パル通りにオープンしたパン屋がなかなか美味いこととか、酒場ブラックアウトで目撃した、女を巡る喧嘩の大立ち回りと愁嘆場だとか、最近読んだ本に泣かせられたことだとか、私が本当にしにきた話の周囲をいつまでもぐるぐると回り続けるように。
 ブルームさん、と老人は澄んだ目で私を見つめながら訊いた。
「今日は何かお話があっていらしたのでは」
 老人にも見抜かれている。私はとことん嘘を吐くのが下手らしい。この屋敷に忍び込んだ日以来、空き巣にも手を染めていない。なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまった。世の中を斜に構えて見て、自分以外を馬鹿にしたように冷笑的に生きるのは、四姉妹の話を聞くに及んで、できなくなった。
「お願いがあってまいりました。こんなときにする話ではないのかもしれませんが、すぐにでも取り掛かりたくて」
 なんでしょう、と老人は目で先を促す。
「実は、僕がお聞きした四姉妹の物語を、一つの物語にしたいのです」
 老人は怪訝そうに首を傾げた。「物語、ですか」
「そうです。娘さんたちの生きざまは、もっと多くの人に知られていいと思うのです。勿論事実をそのまま書くのではなく、名前や地名なども変えた形にしますが、物語という形にしてみたいと、僕は心からそう思うのです」
 なるほど、と老人は繰り返し頷いた。
「ブルームさんは小説家でいらっしゃったか」
 私は苦笑して首を横に振り、「素人です。ですから、うまく書けるとは……」と項垂れた。確かに自信はなかった。やってみたいという思いばかりが先行して、できるか、ということを置き去りにしているようにも思えた。だが、それ以上に書かなければならない、という使命感に似たものが私の腹の底で燃え上がり、私を突き動かすのだった。
「いや、構いませんよ」
 え、と顔を上げると、老人は嬉しそうに、顔中しわだらけにして笑って、「ぜひ書いてやってください」と私の手を取った。
「わしも読ませてもらいたいものです、ブルームさんの書いたものを」
 私は老人の、ひび割れてごつごつした手を握り返し、「必ず。書いてお持ちします」と告げて、一刻も早く書きたくてじっとしていられず、老人に重ねて詫びて、回復を祈って屋敷を辞し、外に出た。
 薄曇りの空から、雪がちらちらと舞っていた。私は掌にのせては溶けるそれを眺め、白い息が立ち昇って千切れて消えるのを見上げ、歩き出し、しばらく歩いたところで振り返って屋敷を眺め、そして走り出した。そのときはもう、物語の書き出しは頭に浮かんでいた。
『その家を選んだのはほんの偶然だった。』

〈了〉


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