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イステリトアの空(第5話)

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 殺すのも、殺されるのも怖い。だが、と春洋は弟がかつてしていた話を思い出す。弟の秋継は不思議な夢ともつかない白昼夢のようなものを垣間見ることがあった。
 それは、ここではない、どこか遠くの世界の話。
 その世界の街では、西洋風の建築物と日本風の建築物が混在しており、中にはそのどちらにも属さないであろう奇抜な建物もあるという。街は発展する一方で街の周囲は広大な原野だったり森林だったり、山岳に囲まれていて、そうした未開発の地域には魔物と呼ばれる凶暴な動物が生態系を築いている。普通の動物もいるのだが、魔物の被食者となってしまっており、数をどんどんと減らしている。
 その世界に住む人々は、洋装だったり和装だったりと服装も様々であるが、奇抜な色彩で、独特な感性のものを身に纏っている。秋継はそれを「わくわくする服装」と称した。
 その世界には「風旅人」と呼ばれる存在がいた。「風旅人」は別の世界からその世界にやってきた人のことを言い、その世界の原住民からすると歓迎すべき存在であると同時に、畏怖される存在でもあった。「風旅人」は聖遺物と密接な関係があった。
 聖遺物は神が残したとされる、物理法則などを無視した超常現象を起こす物体であり、あるものは剣であったり、あるものは指輪であったり、様々な形をとって世に現れるものだった。遺物の存在一つで隆盛を誇っていた国家が近隣の弱小国に滅ぼされてしまうこともあり、各国、国だけでなく、盗賊などのならず者たちも血眼になって探しているものだが、原住民にはどういうわけか見つけられず、「風旅人」ばかりが見つけるのだった。
 そのため、「風旅人」は常に身の危険に晒される。遺物を見つけるまで厚遇し、遺物を見つけた途端に殺されるといったことが後を断たないからだ。そのため「風旅人」は遺物を集めて原住民に対抗し、新しい「風旅人」を守る組織「ウィステリア」を作り、「風旅人」の情報の登録、安否確認や所属している街や国への干渉などを行い、「風旅人」を守っている。
 秋継は「風旅人」の中でもアオイという女性のことをよく見るらしかった。
 アオイは若い、十代後半から二十代くらいの女性で、驚くほど丈が短い袴のようなものを履いていて、革靴ではないが形は似ている、布のような生地でできた靴を履いているという。上は丈の短い襦袢のような姿であることが多く、活発でていて思慮深い、魅力的な女性だという。
 彼女は「ウィステリア」にもどこの国家にも属さない自由な「風旅人」だった。世界を旅して巡り、その土地ごとに存在する問題を解決して回り、ときには国を相手にして立ち回ることもあり、その活躍と彼女の名声は異世界でも日に日に登っていき、異世界では限られた選ばれた人にしか授けられない、「サカキヒト」という称号で呼ばれるようになっていた。
 秋継は言っていた。「風旅人」とはこちらの世界の死者ではないかと。彼が垣間見ていたのは死後の世界なのではないかと。
 春洋は問うた。母上はいらっしゃるかと。
 だが秋継は悲しそうに首を振った。恐らく、誰しもがあの世界に行けるわけではない。なら、世の中で信じられているように、善行を為した者がいくところか。それも違う。「風旅人」の中には醜悪なほどに悪に凝り固まった人間もいた。
「分からないけど、にいちゃん。ぼくはいける気がするよ」
「おれもいけるかな」
 秋継は外を眺めて「雲雀だ」と呟くとにっこり笑って、「きっといけるよ」と頷いた。
 秋継の見た世界に、いけるのなら。死は終わりではなく、始まりとなる。
 春洋はかっと目を見開き、刀を振り下ろす。
 はらりと落ちた青い葉が中心から二つに裂けて、分かれて舞い落ちる。
 深く息を吐くと、春洋は駆け出す。
 長い林を抜けると、春洋たちの屋敷を頭上に臨む、崖の下に出る。この崖の下から螺旋状に伸びる道を辿って行くと、祭殿の裏手の庭に辿り着く。
 春洋が崖から伸びる道に差し掛かったとき、前方の空間に違和感を覚え、立ち止まった。
 空間を物理的に透明な手で掴んで、右にぐにゃりと捻るように回すと、ちょうどそんな感じになるのではないかと思うような歪みだった。
 進むかどうか逡巡していると、歪みに亀裂が入った。金属を擦り合わせたような不快な音が響く。亀裂は徐々に大きさを増し、それに伴って音も大きくなっていく。やがて亀裂が人一人分ほどに大きくなったとき、それは弾けて激しく輝き、周囲が白い光で埋め尽くされた。
 咄嗟に目を腕で覆って隠していた春洋は、そろそろと腕の隙間から覗き、光が止んでいることを確かめると腕を下ろした。
「あちゃあ。人がいるところに出ちゃったか」
 目の前にはいつの間にか若い女が立っていた。丈が腰までの桃色のコート、胸元に舌を出して照れ笑いした少女の絵が描かれた白いシャツ、太ももが見えるほど短いスカートを身に纏った、春洋からすれば一言「異装」と言える女だった。年の頃は春洋よりも上だろうが、そこまで上ではないように見えた。
「アオイさん、か?」
 春洋は知らず口走っていた。なぜかは分からない。だが、直感的にそう思った。
 目の前の女は目を丸くしていた。そして春洋に近づいてまじまじと覗き込んで首を捻った。
「うーん。見覚えないなあ。ねえ君、どうしてわたしのこと知ってるの」
 春洋はこの辺りでは見たことのない女の異装と立ち居振る舞いに面食らい、おまけに女から漂ってくる花の香りのようないい匂いに頭がくらくらとするようだった。
「いや、弟が夢で貴女を見たと……」
 ふうん、と女は思案気に頷いて、値踏みするように春洋を見て、「君、国宗家の子」と訊ねた。
 春洋はすかさず刀を構える。一足踏み出せば女に刀を突き立てられる距離にいる。長曾根の仲間ならば、ここで斬っておいた方がいいかもしれない。
「まあまあ、そんな危ないもの下ろしなよ。わたしは敵じゃないよ。あなたたちを守りにきたんだから」
 女はにっこりと邪気のない、日向のような笑顔を浮かべた。
 守る? そんな細い腕で、丸腰で。長曾根はおろか、春洋にだって勝てないのではないか。春洋は微かに反発心を覚えた。
「あ、信じてないね。でもま、いいか。すぐに分かるだろうし」
 女の笑みに春洋も毒気を抜かれて、刀を納めた。
「わたしはアオイ。君の名前は?」
 春洋は戸惑いながら「春洋」と答える。
「春洋? 君が?」
 今度はアオイが戸惑う番だった。腕を組んで顎に手を添え、俯いてしばらく考えていたが、「まあいいや」とあっけらかんと言うと、崖上の屋敷を見上げた。
「そうだ、弟が、秋継が危ない」
 走り出そうとする春洋をアオイが制止し、「この崖なら飛んでいった方が早い」と春洋の後ろに回り込み、腰の辺りを抱きかかえる。
「お、おい、なにを……」
「ま、いいから、いいから」
 急にアオイに抱きつかれて困惑した春洋だったが、アオイがまずゆっくりと浮かび上がり、次いで自分の足が地面を離れてどんどん上昇していくのに血の気が引いて、体が硬直した。
「そうそ。じっとしてないと危ないからね。わたし腕の力が強い方じゃないから、落としちゃうかもしれないし」
 さらっと恐ろしいことを言うな、と冷や冷やしながら、下は見られなかった。上昇する速度は増していき、あっという間に屋敷を飛び越える。
「で、弟くんがいるのはどの辺」
 あっちだ、と春洋は右手の祭殿の方を指さす。「了解」と答えると、鳥のように空を水平に滑空しながら、祭殿の上に辿り着く。
 二人は屋根の上に着地すると、瓦の上をがちゃがちゃと鳴らしながら滑り、祭殿の前に降りる。
 春洋が勢いよく祭殿の開き扉を開けると、中では祭壇の前で長曾根が秋継に黒塗りの杖を突きつけていた。
 秋継の左肩には祭事で使う守り刀が突き立っていて、白衣に赤く血の染みが広がっていた。尻もちを突いて肩を押さえた秋継は、毅然とした顔で、「きちゃだめだ」と叫んだ。
「やはり死にきたか。殺さないでおいて正解だったな」
 長曾根は猫の面を外し、黒塗りの杖を掴むとそれを引き抜いていく。細い刀身が現れ、燭台の光を反射して燈色に光る。
「仕込み杖。やめろ、逃げてくれ、秋継」
 春洋が駆け出すと、長曾根は刀を両手に持って振り上げる。春洋の言葉にならない叫び声が響き渡る。
「無駄だ。そこからでは間に合わん。絶対にな」
 嘲るように言うと、愉悦に浸りきった笑みを浮かべる。
「そうだ、その顔だ。国宗家の者のそういう顔が見たかった。国宗心徹のその顔を見ることが叶わないゆえに」
 長曾根は哄笑を上げながら、炎に閃く刃を振り下ろした。
 刃が虚しく空を切ったのを見て、長曾根の笑みが凍りついた。つい先ほどまでそこにいたはずの秋継の姿が忽然と消えていた。
 困惑に意識を乱され、春洋に対して張っていた気が緩んでいたことに瞬時に気づくと、春洋の方に向き直り、剣先を上げて迎撃の姿勢をとる。だが、その春洋も呆然と秋継がいたところを眺めるばかりで攻撃の意気がない。
「残念だけど、わたしが来た以上はこの子たちは死なせないよ」
 長曾根と春洋が声の方に視線を動かすと、アオイが腰に手を当てて立っていて、その足元にはきょとんと呆けた顔の秋継が座っていた。何が起こったのか、春洋にも分からなかった。
「女。何をした」
 長曾根の言葉に殺気がこもる。抜き身の刀を首筋に突きつけているような殺気だと春洋は感じる。迂闊に踏み込めない。
 アオイは長曾根の問いに答えることなく、足元で腰を抜かしている秋継を見下ろして、納得したように頷く。「なるほど。あなたは兄の名を」
「私を、俺を愚弄するか。答えろ、女。貴様は何者だ」
 長曾根は歯噛みして言う。目には零れそうなほどの憎悪が宿っている。
「あなた『帰還者』ね。遺物は恐らく、その銀の指輪」
 長曾根の体が一瞬強張る。目線はアオイから外れない。
「『帰還者』?」
 アオイは横目で長曾根を見つつ、春洋に向かって頷いて説明する。
「ここではないどこか、遠い異世界から帰る術を見つけてこっちの世界に帰ってきた人のこと。あるいは、『旅行代理人』に頼んでこちらの世界に送り返してもらった人。多分、彼は後者だね。前者は本当に限られた人だけだから」
「異世界、夢じゃなかったんだな」
 春洋は秋継を見やる。秋継も痛みにこらえながらぎこちない笑みを浮かべて頷く。
「その『旅行代理人』ってのも気になるけど、だけどどうして自力で帰ってきたんじゃないって分かるんだ」
 春洋の問いに、アオイは不敵に笑って「世界が帰還を認めるには、特定の組み合わせの遺物を二つ以上持っていることが条件の一つなの。彼は一つしか持っていない。だから、正規の『帰還者』じゃない」と答える。
「『旅行代理人』は『風旅人』、つまりこちらから異世界に渡った人を、またこちらの世界に送り返すことを仕事にしている人物のこと。極悪人じゃないけど、はた迷惑な人よ」
「でも、それだけなら、別に悪いことには思えないけど……」
 アオイはきっぱりと首を振って否定する。
「『旅行代理人』は善人だろうと悪人だろうと帰還させてしまう。長曾根のような遺物をもった悪人が帰還したらどうなるか、今君たちは身をもって知ったはずだよ」
 長曾根は剣先を下げ、下段に構え直す。「なるほどな。貴様は正規の帰還者というわけか」
「うーん、正規と言えばそうなんだけど、わたしの場合もちょっとイレギュラーだからな。他の『帰還者』とは違うんだよね」
「御託はいい。『帰還者』と分かった以上、貴様も生きては帰さん」
 長曾根は左腕を掲げ、腕に巻きつけた数珠を示す。秋継のものだ、と春洋は気づく。
「国宗家に現れる千里眼の能力はこの数珠の力に過ぎん。これは過去と未来や、遠く離れた場所の事象を見せる力をもった遺物、『垣間見(かいまみ)の数珠(じゅず)』だ」
 ということは、国宗家の先祖の中にも「帰還者」がいたということだ。だが、それよりその遺物が長曾根の手に渡ってしまったことが絶望的な状況に拍車をかけている、と春洋は思った。未来が見えるのなら、斬り合いで長曾根に勝てる目はなくなったと言っていい。アオイとて同じだろう。いかに先ほどの電光石火の如き動きができたとしても、動きを読まれてはなす術がない。
 アオイは疲れたようにため息を吐く。
「悪いけど、わたしには意味ないから。どんな未来が視えようと」
「世迷言はあの世で言うんだな」
 長曾根が駆け出そうと足に力を込める。くる、と春洋が身構えるが、長曾根の動きが止まる。ただじっと驚愕をその目に浮かべて前を見ていた。
 春洋はアオイの方を振り返る。彼女の手には黒い数珠、「垣間見の数珠」が既に握られていた。
 涼しい顔をして、「無駄って言ったでしょ」と微笑む彼女は美しい、と春洋は場違いながらそう思った。
「『垣間見の数珠』で視えないだと。貴様の遺物、高速移動とかそういった類のものではないな。そうであれば、数珠で視えないはずがない」
 アオイは悪戯っぽく舌を出す。「教えないよ。あなたは知らないまま死ぬの」
「待ってくれ」
 そのままではアオイが一瞬にも満たない間にすべてを終わらせてしまいそうだったので、左手を広げて彼女を制する。
「その男を、長曾根を殺すのはおれにやらせてほしい」
 ううん、とアオイは腕を組んで唸る。
「でもなあ、『旅行代理人』がこちらの世界に送るくらいの人だから、手練れだよ」
 知っている、と春洋は頷いて、刀を八双に構える。
「わたしが答えるまでもなくやる気じゃん。ま、いいか。危なくなったら助ければいいし」
「いや。手出しは無用に願いたい。奴とは同じ条件で立ち合いたいからな」
 アオイは肩を竦める。「やれやれ。男の意地ってやつ?」
「師を殺され、弟を傷つけられた。自分の手で始末をつけなければ納得できない」
 春洋の言葉に、長曾根は狂ったような笑い声を上げる。
「それを言うなら、俺にも国宗家の人間に復讐する権利はある。貴様らの先祖、国宗心徹によって、俺は騙し討たれて殺されたのだからな」
 そうか、あのときの、とアオイは呟いて頷く。
「死んだ? なら、ここにいるお前は何なんだ」
 やはりあちらの世界は死後の世界なのか。ならば、「帰還者」とはいかなる存在なのか。生者なのか、それとも死者なのか。
「さあな。俺が訊きたいくらいだ。そこの女なら何か知っているのかもしれんがな」
 言いながら何か違和感を覚えたのか、視線を手元に落とし、杖を握る手を開いたり閉じたりしてみる。怪訝そうな顔が蒼白になり、長曾根はアオイを一瞥し、舌打ちをする。
「お互い復讐のために刃を交わすというわけだ」
 そうだな、と無感情に答えて長曾根は走り出す。だが動きにどこか精彩がない。それを見て春洋も前へと足を踏み出す。

〈続く〉

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