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手紙

 彼女が最後に残した手紙を読み返し、丁寧に折り畳んで封筒にしまうと、机の引き出しに入れた。
 美しい手紙だった。言葉の一つ一つが命を得たように輝き、あるべき場所にあるべき言葉が収まった、そんな手紙だった。
 彼女の書く文章は美しい。そう初めて思ったのは、彼女と出会った、大学時代のことだ。文学作品の簡単なレビューを書いて、口頭で発表する課題のとき、誰もが読み上げる彼女の声の美しさにはっとさせられた。
 声は緊張感からかほんの微細なゆらぎを伴っていて、高すぎず、低すぎず、でも女性にしてはやや低めの声質は聴く者に安心感を与え、彼女の声のゆらぎに呼応するかのような抑揚の波は、揺り籠で波間を漂っているような、そんな甘い心地よさを与えた。
 誰もが声に聴き惚れたが、私がそれ以上に引きつけられたのが、彼女の文章だった。選ぶ言葉のすべてが、彼女が読み上げるために磨き上げられた珠のように光り輝き、瑞々しさを放っていた。名文とは違う。彼女の声で再生されるからこそ、美しさが引き立つ文章と言っていい。自慢ではないが、そこまで気づけたのは私以外いなかっただろう。
 私は幾たびもの失敗の屍の上に、彼女と交際するという栄誉を勝ち取った。
 私はごく平凡な男であった。ただ漠然と生きてきて、サラリーマンにはなりたくないから、と漫画家を志して、でも漫画の一本もまともには書き上げたことのない中途半端な男だった。今思えば、そんな半端ものとよく交際してくれる気になったものだ、と彼女の心を掴むことのできた自分を褒めてやりたい気持ちだ。
 彼女は大学在学中に学内の文芸コンテストで、毎年小説で入賞し続け、地方で開催される短編の文学賞などにも挑戦し、賞を得ていた。
 それに触発された私も寝食忘れて漫画に没頭し、作品を完成させたのだが、結果としては一次も通らなかった。入賞した人物の作品が雑誌に掲載されて、私はそれを読みながら下手くそな絵、つまんねえじゃん、と悪態を吐いていたが、どうしてか涙が止まらなかった。
 大学を卒業して、彼女は専業作家になり、雑誌の連載や書籍の刊行、と着実にキャリアを積んでいった。一方の私はあれだけ嫌っていたサラリーマンの最たるものと言えるような、町役場の職員になっていた。
 毎日毎日税金のことで相談や苦情にくる町民に、愛想よくを心掛けつつ、納得してもらうだけの説明をしなければならない。それには就業時間中はもちろん、時間外だって勉強しなければ追いつかなかったし、窓口で一時間も二時間もクレームで拘束されれば、自分の業務が滞るから、必然的に残業が多くなっていった。
 漫画のことは、段々と頭の隅に追いやっていったが、遠距離交際になった彼女と電話で話したりすると、彼女の眩いばかりの生活は、私の目をくらませ、大学時代に味わった挫折と悔しさを思い出させ、追いやっていた漫画家という夢が現実を押しのけて意識の最前列に居座るのだが、それに応えてやれるだけの体力と気力は、私には残されていなかった。
 やがて彼女は私の働く町に引っ越してきて同棲を始め、ほどなくして結婚した。その頃には彼女は何冊もの作品を世に送り出し、幾つもの賞をとっていた。直木賞は候補に選出されたものの受賞はならなかったが、私は受賞に値する作品だと思った。
 子どもには二人恵まれた。女の子と男の子で、活発な姉と大人しい弟で、姉弟仲はバランスがとれていてうまくやっていたと思う。子育てには、ほとんど参加ができなかった。私は異動する部署異動する部署が激務で知られた部署ばかりで、日付をまたぐようなことはざらだったし、土日もイベントなどで潰れることが多かった。だから家事育児にはほとんど参加ができず、彼女任せになってしまったことは、本当に申し訳ないと思っている。
 彼女にも仕事があった。小説家という、創作の仕事がどれだけ大変で、神経をすり減らす仕事であったか、漫画を描いていた私なら分かろうものなのに、日常に忙殺されてそこまで思い至れなかった。
 彼女は刊行ペースを落としつつも、定期的に作品を発表し続けた。表面上は充実した仕事、可愛い子どもたち、と満たされた生活を送っているように見えた。
 彼女の美しい、あの日の朗読を思い出させるような心地よい声で離婚を切り出されたときには、私は彼女の中ですべてが決着し、もう終わっているのだなと思った。温かな愛情も、冷たい憎しみもない、無感情の声の向こうに、私は到底渡ることの叶わない断崖が広がっているのが見えるような気がした。
 私にできることは、すべての権利を放棄し、着の身着のままで出て行くことだけだった。
 翌日、職場には辞表を提出した。上司からは再三引き留められたし、人事に呼び出されて説得されることになったが、私の意志は揺るがなかった。
 体がだいぶ利かなく、認知症の症状が出始めていた母親を施設に入所させ、住む者のいなくなった実家を売り払って少しばかりの金を手にした私は、小さな平屋の家を、町の隅っこの利便性の悪い、二束三文で買えるような土地に建て、実家の家財道具や骨董品などを売った金で生活費を賄いながら、家に籠ってひたすら漫画を描いた。
 描いては破って捨て、破って捨てたものに戻っては後悔し、自分の才能のなさに辟易しながらもペンを走らせ続けた。私の強みは、本当の天才の姿を、一番間近で見続けられたことだ。私は頭の中に彼女をトレースするようなつもりで思考し、物語の展開、キャラクターの動き、セリフの一つ一つに至るまで、魂を込めて描き続けた。
 その生活を続けて三か月経ち、作品を完成させた私は結婚したことで止めていた煙草を玄関先で吸っていた。くゆる煙をぼんやりと眺めていた私の前に、郵便配達員のバイクが止まり、あいさつすると私の手の中に手紙を握らせた走り去った。
 封筒をひっくり返して見てみると、差出人は彼女だった。
 訝しく思った私は吸いかけの煙草を消して、灰皿代わりにしていた空き缶の中に押し込んで家の中に入り、書斎の引き出しから燕三条で買ったペーパーナイフで封を切って、中を検めた。
 そこには、息子が事故死したことが書かれていた。あの、彼女の美しい言葉で。子どもの死を伝えるのに、その哀切さをこれほどまでに感じさせる言葉、文章は他にない、と思わせる文章だった。私はその文章の無欠さに腹が立ち、手紙を床に叩きつけると、怒りに任せた乱暴な言葉、見るに耐えない不器用で不格好な言葉をあえて並べ、彼女の全き水晶のような曇りのない文章を打ち砕くつもりで殴り書き、それを封筒に収めると、近くの郵便局まで自転車で走って行って、ポストに投函した。
 帰ってきて、床に落ちていた封筒を憤りながら鷲掴みにし、書斎の机に着いて、描き上がった漫画の原稿を前にすると、すっと怒りの波が引いて、冷静さが潮騒のように戻ってくる。
 私は彼女の手紙をもう一度開いて読み返し、己の短慮を悟った。
 確かに文章は悲しみを表現するにこれ以上ない相応しさで書かれている。だが、その中に不器用ながら込められた想いが浮かんでいることに、私は遅れて気づいた。それは、私への謝罪だった。離婚、という自分だけの我意を通したがために、息子は死んでしまったのではないか、という母親の気弱な本音の吐露が、そこには隠されていた。それを隠すのが、彼女の不器用なところだ、と改めて気づいた私は馬鹿だ。
 離婚しても、父親としてあの子たちに関わってやれることはできたはずなのに、私はそれを放棄した。一人になりたいからと果たすべき責任まで投げ出したのだ。もし私が父親としてあの子らの心の中にいたのなら、息子は死ななかったかもしれない。責めを負うべきは彼女ではなく、私なのに、私は彼女を責める手紙を送ってしまった。
 私はもう一通、短い文章を書いた手紙をポストに投函し、彼女の手紙は机の奥にしまった。
 描き上がった原稿をすべて破った。何度も何度も。そして細かい紙くずになったそれを紙吹雪のように舞いあげて、私は顔を上げて目を瞑り、正面からその吹雪を受けた。髪や顔や衣服に無数の紙が纏わりついたまま、私は新しい原稿を引き出し、机に向かって漫画を描き始める。
 原稿の上に雨が降る。とめどもない、夏の雨のように。それから守ってくれる傘は私は持っていなかった。インクが滲み、溶けて流れゆく。黒い死の川のように。私はその上から構わずキャラクターを描き入れる。ぼやけた彼らは、まるで今の私のようだ、と思った。

〈了〉


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