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件の如し(第3話)

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■本編

3、アキとクロダ
 夜明けの街を二人の女が歩いている。
ビルとビルの合間にある細い路地ともつかない道を見つけると、その半ばまで入って周囲を見渡している。どうやら何かを探しているようだった。
「クロダ、ツェーザルは一体どこに行ってしまったのかしら」
 一人の女が路地から大通りに戻ってきて、そこで待っている小柄な白コートの女に嘆息混じりに言った。
 女は中肉中背で、着ているものは何の変哲もないブラウスにジーンズ、ミディアムヘアの髪を黒いリボンで纏めていて、覗く首筋の滑らかさが、服の気安さと反するように艶めかしかった。ラフな格好だったが、その気軽さが女の朗らかな表情とよく合っていた。
 女はポケットから一枚の写真を出してじっと見つめる。見つめていると、涙が浮かんでくる。ああ、ツェーザル。嗚咽が口から零れる。
 写真には一頭の犬が写っていた。ボールをくわえた、賢そうで穏やかな顔つきをしたゴールデンレトリバーで、隣に写った女と体躯を比較すると、どうやら成犬らしい。
「申し訳ありません、アキさん。私が目を離したばっかりに……」
 クロダと呼ばれた白いコートの小柄な女は、黒いリボンの女――アキに向かって深々と頭を下げた。
 クロダは小学生か中学生、と見紛うばかりに小柄であるが、眉は太く凛々しく、鷹の目のように吊り上がった鋭い目つきをしているために、大人びた顔つきをしていた。その顔と体のアンバランスさは奇妙ではあったが、彼女の美しさを些かも損なうものではなかった。白いコートに垂れる長い髪は濡れた岩壁を流れる滝のようで、肌の白さと艶は白磁を思わせる。
 アキも美人だったが、アキの美しさを自由気ままな風が育てた、野に咲く秋桜だとするならば、クロダの美しさは人の庭園で洗練されながら花を咲かせた薔薇のようだった。
「過ぎたことを悔やんでも仕方ないわ、クロダ」
 アキはクロダの肩に手を置き、恐縮している彼女に微笑みかける。
「ツェーザルがいなければ、わたしたちは帰れない。探すしかないの」
「しかし、この街にいる保証も……」
 そうね、と頬に手を当ててアキはため息を吐く。「もっと遠くへ逃げてしまったかも」
 二人は顔を見合わせて肩を落とした。
「アキさん、その道のプロに頼むのはどうでしょう」
「その道のプロ?」とアキは怪訝そうに顔を上げる。
「ええ。犬猫探しなら、探偵が得意とするところです。昔小説で読みました」
 ううん、とアキは首を捻りながら、「探偵かあ」と眉間にしわを寄せる。
「わたしには何かこうかっこつけて、犯人をずばり指名する、って印象しかないな」
「どちらかと言うとアキさんの方が漫画的ですか」
 そうかも、とくすくすとアキは笑って、それにつられてクロダも失笑する。
「名探偵に行き会えるといいわね」
 二人はスマートフォンで近くの探偵事務所を検索すると、街の中に一軒の事務所があったので、そこに向かうことにする。
 街はまだ早朝で、人通りも車通りも少ない。アキは小腹が空いたと主張し、二人は開いている店を探してパン屋に辿り着き、アキはメロンパンとクリームパンを、クロダは食パンを買って食べながら歩いた。
「クロダ、ジャムも何もつけなくて美味しいの?」
 アキは食パンをそのままかじるクロダを唖然と眺めて訊く。
 クロダはもそもそと食パンをかじっては咀嚼して飲み込み、咀嚼しては飲み込んだ。それは食事をしている、というより、そういう人形が機械的に動いているようにしか見えなかった。
「美味しいですよ。私はかえって菓子パンは味が濃すぎてだめです」
 そうなの、とアキは絶句する。口の端についたメロンパンの食べかすを叩き落とし、再びかじって、「うん、甘くて美味しい」と、味を確認する。これが濃すぎるだなんて、クロダはどんな味覚をしているのだろうか、と訝しくなる。
「アキさん、食べかすが」とクロダは立ち止まってアキの口元を拭い、口を耳に近づけて囁く。
「三人。後ろからついてきています」
 アキは表情を変えずに、前方を、目だけを動かして一瞥し、「前から二人ね」と言って肩を竦める。
「やりますか」、クロダは静かに、切れ味鋭い刃のような冷徹な声で訊く。
「そうね。どこの誰の手先か、はっきりさせておいてもいいかもね」
 二人は頷き合うと、再び歩き出し、人目に付かない路地を見つけると、そこに曲がって入り込む。走り出すと、後ろから追いかけてくる靴音も高くなった。やはり自分たちを標的にしているので間違いない、と確信すると、クロダはコートのポケットから白い革手袋を出して身に着ける。
 やがて路地は行き止まりに突き当り、アキとクロダは追跡者たちに背を向けた状態で立ち止まる。
「もう逃げられねえぞ」
 追跡者の先行していた三人の内一人がバタフライナイフを出して、構えると、残る二人も構えをとる。後続の二人はまだその姿を見せていなかった。単に追いついていないだけか、様子を窺っているか、できれば一網打尽にしたいな、とクロダは考えつつだらりと両手を下げ、弛緩した様子で立っている。
「なめてんのか」、バタフライナイフの男がいきり立って叫び、唾を路面に吐く。
「力量の差が分からないなら、暗殺者など辞めた方がいい」
 クロダの言葉に激高した男は、ナイフを振りかぶって突っ込み、クロダに向かって振り下ろす。
 クロダが難なくそれを躱したことで、男も冷静になったのか大ぶりな攻撃はやめ、ナイフの軽さを活かした小刻みで素早い攻撃に切り替えるものの、クロダは男の腕をいなして攻撃を外しつつ、足払いをかけて転ばせる。
 男は屈辱に顔を真っ赤にしながら、「なにしてんだ、てめえら」と残る二人に向けて怒鳴る。二人ははっとして雄叫びを上げながらクロダに向かっていく。
 ニット帽の男がクロダに殴りかかる隙に、眼鏡の男が低い姿勢から蹴りを放つ連携攻撃だったが、クロダはニット帽の拳を受け流し、その力を利用して流れるような動作で投げ飛ばすと、蹴りを放っていた男の足を、足を構えて受け止める。クロダの強靭な足腰は、男の蹴りでもびくともしなかった。受け止めた足を引っ張って転がすと、足首を捻る。骨が折れた、耳障りな音が響き、男が絶叫した。
 バタフライナイフの男が立ち上がり、クロダに向かって素早い突きを繰り出すが、軽々と腕を払われて軌道を逸らされ、その腕をとられて肘を関節とは逆方向に捻られ、折れてあらぬ方向へ曲がる。
 ニット帽の男が立ち上がると同時に、後続の二人が追いついてくる。それぞれ手にナイフや釘のような武器を持っている。
「クロダ、そっちのニット帽をお願い。新手の二人はわたしが引き受けるわ」
 アキがクロダの隣に並んで屈伸をして、腕を伸ばして、伸ばした腕を掴んで左右に伸びをして、腕や肩、背中の筋肉をほぐす。
「アキさんのお手を煩わせるほどじゃ」
 いいのよ、と手をひらひらとさせて笑うと、「たまには運動しないと、なまっちゃうからね」と目配せして見せる。
 クロダはため息を吐いて額を押さえつつ、「それじゃあ、お願いします」と言うと、ニット帽の男に向かって駆ける。
 アキは履いているパンプスの心地を確かめるように二度軽く跳ぶと、地面を蹴って男たちに猛然と迫った。
 釘の男がそれをアキの体に突き立てようとするが、その腕を類まれな柔軟性でのけ反って躱すと、腕を掻い潜るように、それはまるで蛇が獲物へと向かっていくように、振り抜かれた足が男の頬を蹴り飛ばした。
 アキは左足一本でのけ反った自分の全体重を支えていた。ナイフの男はその脚力にぞっとしたものの、叫び声を上げながらやぶれかぶれで突っ込んでくる。だが、バタフライナイフの男よりは冷静で腕も立つのか、闇雲に振り回すことはせず、狙いすまして急所を突いてくる。
 短絡的に急所を狙ってもだめよ。囲碁でも将棋でも、布石というものがあるでしょう。殺しも同じ。本当の狙いを悟られないように攻撃を仕掛け、相手が躱せない絶対のタイミングを作るの。
 アキはふっと笑みをこぼし、男のナイフが自分に届くより早く、左足の回し蹴りで男の手を蹴り抜く。蹴り飛ばされた手からはナイフが弾け飛び、明後日の方向へと飛んでいく。アキは左足を、蹴りの勢いを殺さないように振り返し、返す刀の踵で男のこめかみを蹴り、弾き飛ばした。
 アキが二人を倒した頃、クロダは殺さないようにニット帽の男を痛めつけ、組み伏せていた。
「クロダは優しいわね」、アキは爪先でアスファルトをとんとんと叩き、頭の上で手を組んで思い切り伸びをすると、「不完全燃焼」と下唇を突き出した。それを見てクロダは苦笑する。
「アキさんのように皆殺しにしてしまうと、情報が聞き出せません」
 あら、とアキは不服そうに眉をひそめる。
「だからと言って、全員生かしておくことはないんじゃない。一人生かしておけば、それで十分よ」
「どいつが情報を持っているか分かりませんからね」
 それもそうね、とあっけらかんとアキは言って、ニット帽の男の前にしゃがみ込む。
「あなたたち、誰の手下なのかしら」
「言えないね」
 ニット帽の男はアキの顔に向かって唾を吐きかける。
 頬に男の唾が当たったアキはジーンズのポケットからハンカチを出して拭いつつ立ち上がり、「クロダ」と感情のこもらない冷たい声で言い放つ。クロダは男の右腕を前に引っ張り出して押し付ける。男は抵抗して拳を握りしめて暴れるが、のしかかったクロダはびくともしない。
 アキは路上に転がっていたナイフを拾うと、男の前に戻って、にっこりと微笑んだ。
「喋る? 喋らない?」
 妻がお風呂にするかご飯にするか、と夫に訊くような無邪気さでその二択を提示すると、答えを待たずに男の手に向かってナイフを振り下ろした。男は手を開いて逃げようとしたができず、手の甲を貫かれる。
 男は痛みを懸命に堪え、涙目になりながら鼻息荒く耐えていたが、アキは申し訳なさそうに、「ごめんね。これはただの準備」と言うと立ち上がり、パンプスの踵で男の指を撫ぜた。
「こちらが満足する答えを言わなかったら、指を一本ずつ粉々にするね」
 男は先ほどのアキの動きと、大の男二人を一撃ずつで殺してしまう脚力に恐れおののいて、顔面が蒼白になった。
「待て。待ってくれ」
「喋る?」
 いや、と男が首を振る素振りを見せたので、アキは足を振り上げ、男の人差し指に向かって踵を振り下ろした。骨が砕ける音が響くと同時に、男は絶叫した。
「どうかしら、わたしの踵のお味は。もう一本いかが?」
 微笑みながら右足を宙でゆらゆらと揺らしながら訊く。男は絶叫しながらも、痛みを堪え、唇を噛み締めて鼻から荒く息を吹き出し、耐えようとする。そしてほとんど涙を浮かべながら口を開く。
「俺、俺たちは偶然、なんだ」
 偶然、とアキは冷ややかな目で見つめながら、右足を上げて振って、ゆっくりと地面におろす。
「そうなんだ。俺たちフリーの殺し屋で、チームを組んでたんだ、実入りのいい依頼が入ったから。一人じゃ手強いって話だったからさ。それで、街をぶらついてたら、たまたまパン屋であんたらを見かけて……」
 ふうん、とアキはしゃがみこみ、膝に肘を突いて両手の平に顎を預け、疑わしそうな目を男に向けつつ、「その依頼人は」と訊く。
「し、知らねえ。俺たちは、あんたが殺しちまった釘を持っていた男に誘われただけなんだ」
 あちゃあ、とアキは苦笑してクロダを見ると、クロダは苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
「じゃあ、本当に何も知らないのね?」
 アキが優しくそう訊ねると、男はそうだ、と首をぶんぶんと振って答えた。
 そう、とアキが残念そうに言うと、クロダが戒めを解く。男は自由にしてもらった、と喜色を面に表したが、すぐに表情が凍りつく。クロダの腕が男の頭にかかり、男が何かを叫ぼうと声を上げかけた刹那、クロダは首を捻って頚骨をへし折った。
「残りも始末します」
「お願いね」
 クロダはゆらりと立ち上がると、怯え切った生き残りの男たちに歩み寄って行き、順に首を折る。
「何も分かりませんでしたね」
 二人は路地を後にして、清々しい朝日が差し込む大通りに出る。
「そうね。でも、誰かがわたしを狙っているってことは分かった」
「今さらではありますけど」
 それを言わないで、とアキはクロダを肘で小突く。
 駅が近づいているせいか、そういった時間帯なのか、スーツ姿のサラリーマンや制服の学生たちが一つの塊のように道を蠢いて迫ってきて、様々な声が一体となった不気味なざわめきを発しつつ、信号を渡り、駅の方角へ飲み込まれるように去って行く。
 アキたちは集団がやってくるのとは反対側の道に渡った。自転車がベルを鳴らしながら通り過ぎて行く。チェーン店の牛丼屋の幟が昨日の風のせいだろうか、倒れて、踏み荒らされ、真っ黒になっている。
「この辺りのはずなんですが」
 クロダがスマートフォンを眺めながら路地に曲がる。そこは雑居ビルが立ち並ぶ通りで、ビルの中には様々な事務所や喫茶店、雑貨屋などが入っているようだった。その中の一角、一階が喫茶店のビルの二階が、探偵事務所になっていた。
 二人は事務所の前に立つと、ブザーを鳴らした。アキは探偵事務所の看板を眺めた。そこには「嵯峨下探偵事務所」と書かれていた。
 三度ブザーを鳴らしたが、誰も出てくる気配はなかった。耳をそばだててみても、物音一つしない。どうやら留守のようだ。
「朝早くですからね。出直しますか」
 そうね、とアキは頷いたところで人の視線を感じ、弾かれたようにそちらを見やると、紫の髪にパーマをかけた老婆が階段の下から覗いていた。
「お客さんかい」
 老婆が問うので、アキは警戒心を解きつつ、「ええ、お留守みたいで」と主婦だった頃、ご近所さんに振りまいていた営業スマイルで答えた。
「そこの探偵はいつもふらふらしとるからね。なかなか捕まらんよ」
 そんな、とアキは肩を落とすが、クロダは「探偵事務所はここだけではないですから」と宥める。
「どんな依頼だい」
 えっと、とアキとクロダが顔を見合わせて困惑していると、老婆は豪快に大口を開けて笑って、「探偵の坊主に伝えておいてやるから、話してみなさい」と階段をよっこらしょと大儀そうに上がってくるので、クロダが慌てて支えてやる。
「わたしたち、飼い犬を探していて」
 アキはポケットから写真を一枚取り出すと、老婆に差し出す。
「おうおう、めんこい犬だのう」
 ありがとうございます、とアキははにかむ。
「その子ツェーザルって言うんですけど、とても大事な子なんです。探偵の方なら見つけてくださるかと思ってきたんです」
 ふむふむ、と老婆は入れ歯の座りがよくないのか、口をもごもごと動かしながら、「なるほどねえ」と頷いた。
「それなら探偵より、ドクさんに頼んだ方がいいね」
 老婆が写真を返しながら言うので、クロダは「ドクさん?」と怪訝そうに訊いた。
「ああ、街の公園に住んでおるホームレスでな、動物の言葉が分かるだとか言われて、犬猫探しならドクさん、とみなに頼られておる。ここだけの話、探偵の坊主も行き詰まるとドクさんに助けを求めるんじゃ」
 へえ、とクロダは感心したように呟いて、アキの方を見やる。
「行ってみる価値はありそうですかね」
 そうね、とアキは頷く。
「おばあさん、ありがとう。そのドクさんのところに行ってみるわ」
 老婆は驚いて、「お嬢さんたちだけじゃ危なくないかい」と心配するが、アキはにっこりと微笑んで、「大丈夫。わたしたち二人なら」と腕まくりをしてみせる。
 ツェーザルを絶対に見つけなければならない。二人は顔を見合わせて、その意気を確かめ合うと、揃って頷き、朝日の照る街路へと下りて行き、光の方へ向かうように溶けて、消えて行った。

〈続く〉


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