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金碧の反逆者(碧天の巫女第2話)

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■本編

 大薙刀を携えた巫女チハヤの顔を、篝火の揺らめく炎が淡く照らし出す。
 沈鬱なその表情は、チハヤが深く思い悩んでいることを物語っていた。大薙刀は赤い焔を映し出しながら、空に輝く青白い月をも映し、巫女の決断のときを待っている。
 その周囲では男たちが慌ただしく行き交い、巫女の前に次々と報告をもってくる。その報告を聞く度、チハヤはまず心臓がきゅっと痛むように締め付けられ、報告が芳しくないものであったことに安堵して、心臓の締め付けが緩んでほっと安堵できるのだった。
 事が起こったのは、今から半刻ほど前。日が沈み切って、集落のあちこちに夕餉の湯気が立ち昇り、家族の団欒に里が浸っている時間のことだった。
 突然山の民の里の方から轟音が鳴り響き、山が崩れて土砂が森の民の里に押し寄せた。住居がいくつか飲み込まれ、里の者が救助作業に当たっているときに、二人の男が山の方から現れた。一人は長刀を携えた、山の民の長子アルバ。もう一人は、その末弟のカズラだった。
 アルバがカズラを追うような形で、二人は里の境まで剣戟を交わしながらやってきた。森の民にも事情はすぐに呑み込めた。カズラの異形の顔。霊獣憑きに相違なかった。恐らく霊獣憑きになったカズラをアルバが処断しようとして、森の里まで下りてきてしまったのだろう。
 チハヤは先頭に立って薙刀を構え、二人に引き返すよう命じた。いかなる理由があろうと森の民の里への侵入は罷りならんと。
 アルバの気が削がれた一瞬の隙を突いて、カズラは短剣で兄に深手を負わせると、里の中に逃げ込んだ。アルバは追おうとしたものの、出血が多く意識を失ったので、チハヤはやむなくアルバを運び込んで治療を施し、里に逃げ込んだカズラの捜索と討伐を命じた。
 チハヤはそんな命など下したくなかった。カズラは、チハヤが山の民の里で過酷な生活をしていたとき、ただ一人味方になってくれた友だ。その友人を討つ命令を下さざるを得ない自分の身を呪いたい気分だった。
 山の民のアルバといえば、山の民有数の剣の使い手として有名だった。それを不意を突いたとはいえ、斬り伏せることができる相手となると、立ち合えるのは森の民屈指の使い手、カグラぐらいしかいない。だが、カグラには南方の動きが怪しいという報告があったため、南方の偵察に向かわせている。
 悪戯に追い詰めれば、里の者に犠牲が出る可能性が高い。いざというときには、自分がやらねば、と思うと胃が痛くなってくる。
「チハヤさま、射手、包囲完了しました」
 くるべき報告がきてしまった、とチハヤは唇を噛み締め、目を瞑ると、意を決し、巫女の顔になり、顔を上げる。
「分かりました。わたしの合図まで無闇に動かないように」
 はっ、と弓を携えた男は頭を下げると、森の闇の中に消えていく。
 カズラはよい友だった。粗末な食事しかあてがわれないチハヤの身を案じ、厨房から食べ物を盗み出して与えてくれた。チハヤは七日目の夜、空腹と屈辱に頬を濡らした夜、カズラが差し出してくれた握り飯の味を忘れないだろうと思う。
 二人で組んで、色々な悪戯をした。うたたねしているアルバの鼻にクワガタムシのはさみで挟ませたり、アルバの訓練用の木剣に接着効果のある植物の粘液を塗っておいたりとか、様々なことをやった。思うと、その犠牲によくなっていたのがアルバだったかもしれない。
 アルバはいざ戦いになると苛烈だが、普段は温和な気性の男だった。チハヤたちの悪戯にも怒ることなく、「やあ、やられたなあ」とのんびり応じているような、懐の深い質だった。
 そのアルバがカズラを殺そうとした、ということがチハヤには信じられなかった。だが、それだけ霊獣憑きという事象が恐れられているということの裏返しだと言うこともできる。
 森の民の中には近年霊獣憑きが発生したことはないが、伝承上ではいくつか事例が残されており、そのいずれでも里に甚大な被害が出ている。それゆえ、森の民の中にも畏怖はある。だがその畏怖は山の民ほど真に迫ったものではない。当のチハヤがそうだ。霊獣憑きの脅威を思うより、友人との思い出に思いを馳せてしまっている。
 チハヤは薙刀を握りしめ、左手で頬を叩いて気を入れ直し、カズラの元へ向かう。
「お前は包囲されている。動けば射る」
 年かさの射手がそう叫ぶと、矢を番えていた射手たちの目に緊張が走る。
 カズラは短剣を鞘に納め、無手であることを示すように両手を挙げた。「おれに交戦の意思はない。話がしたい」
 カズラがそう言葉を発すると、射手たちの間に動揺が走り、どよめきが広がる。
 それも無理からぬことだった。本来霊獣憑きは正気を失い、人間を遥かに超えた身体能力を発揮して無差別に人を殺傷する、そう伝えられている恐るべき存在だからだ。霊獣憑きが理性を保ち、言葉を発した例など、森の民の膨大な記録の中にもない。恐らく、山の民の記録の中にも。
 チハヤが到着すると、射手の長と思しきものがチハヤに事の次第を報告し、チハヤも目を見開いて驚愕し、包囲陣の中に入る。
「みな弓を下ろしなさい。心配ないわ。弓を下ろして」
 チハヤの凛とした指示に、射手たちは弓を下ろし、緊張した姿勢を解く。
「カズラ……なの?」
 チハヤはゆっくりと近づきながら、カズラを眺める。確かに面影がある。目に霊獣の異相があるけれど、それ以外は懐かしい少年カズラをそのまま大きくしたような印象。
「そうだ。こんな形になってしまって申し訳ないな、チハヤ」
 カズラはかつての旧友同士の気さくさで言うと、突然膝と拳を突いてこうべを垂れ、「碧天の巫女に申し上げる」とよく透る声でそう言った。
「今、山と森の民、双方の里が、いや、世界が危機に瀕している」
 あまりにも広大な、世界という物言いに射手たちは嘲りの笑みを浮かべた。里の中でしか生きたことのない者にとって、世界などという巨大な単位は、想像もつかない。想像もつかないということは、あってないものと同じだった。
「世界……。その世界に何が起こっていると」
「精霊たちが、異常な速度で増えている。それも、低位の精霊ばかりが」
 チハヤも感じていたことだった。近頃精霊の森の空気の密度というか、張り詰めた緊張感というものが増しているように思えていた。精霊が増えたせいだとすれば、納得できなくもない。
 だが、射手たちはぴんとこないようで、何が問題なんだ、と首を傾げる者がほとんどだった。
「低位の精霊は、霊獣憑きを起こしやすい。実際おれは山の民の試練の際に、低位の精霊が憑いて暴走した熊に殺されかけた。そうしたことが当たり前になれば、人間の世界は秩序を保てるか」
 むう、と射手たちは口を噤む。
「無理でしょう。南方の国も、海の向こうに無数に存在する国も、精霊の存在をそもそも知りません。そんな方々に対処することはできないと思います」
 南方に存在する国は、火を吹く弓矢や、巨大な鉄の球体を飛ばす恐るべき軍事力を有しているが、精霊の存在は知らなかった。捕らえて捕虜となった者が語るには、精霊に近いものがかつては信じられていたけれど、今では顧みられることなどほとんどないとのことだった。彼の国は、強大な軍事力と引き換えに、そうした信仰を捨て去ってしまったのだろう。
「あなたは逃げてきたわけじゃない。最初からこの里に入るつもりだった。そうでしょう、カズラ」
 カズラはふっと笑みをこぼし、「さすが巫女。ご名答だ」と愉快そうに言った。
「あなたの目的はなに」
「世界の崩壊を食い止めること」
 チハヤは首を傾げる。「精霊の増加を防ぐ術があると」
 ある、とカズラは頷く。「だがそれには森の民の協力が要る」
 どういうこと、とチハヤは射手たちが話について来ているか見回して確認するが、射手たちは首を傾げて不審そうに眺めている。よくない兆候だ、とチハヤは薙刀を地面に突き立て、腕を組んで思案する。
「その大薙刀は唯一、精霊を斬ることができる。その大薙刀で、精霊増加の原因となっている精霊を斬ってもらいたい」
「その精霊とは?」
 カズラはじっとチハヤを見つめる。試すようなその視線に、チハヤの反骨心も刺激されてそらすものか、と正面から受け止めて返す。カズラはおかしそうに笑って、すぐ真顔になって言う。
「生命を司る精霊。森の守り神としてお前たちが祀っている精霊スラクだ」
 カズラの衝撃的なその言葉に、射手たちが一斉に矢を番えて構える。
「やめなさい。弓を下ろして。落ち着きなさい」
 射手たちは素直に応じない。鼻息荒く、憎悪を込めてカズラを睨み、ぎりぎりと矢を引き絞る。
「ですが巫女様。この者は、守り神様を殺せと」
「そうだ。これも山の民の陰謀に違いない」
「ああ、応じれば、森の里の民は乗っ取られる」
「最初からそれが狙いだったのだろう」
 射手たちは口々に憶測を口にし、口にするたびにそれが真実であるかのように思えてきてしまっていた。憎悪に塗れた言霊が駆け巡り、更なる憎しみを彼らの心の中に吹き込んでいった。
「カズラ。なぜ生命の精霊が原因だと断言できるのです」
 カズラは無数の憎悪の鏃に狙われていても、悠然としていた。逃れられるという絶対の自信がそこには見え隠れしていた。
「巫女の試練のとき、死を司る精霊を殺したな」
 チハヤははっとして、そして青ざめる。
「精霊が、死ななくなってしまったの?」
 カズラは申し訳なさそうに頷くと、「……その通りだ」と渋々口にした。
「精霊が生と死の輪廻の軛から解き放たれてしまった。それゆえに精霊を産む生命の精霊の力が制限なく広がり、爆発的な精霊増加を引き起こしてしまっている」
 チハヤは薙刀に寄り掛かり、やっとのことで立っている。「わたしの、せい?」
「巫女様、耳を貸してはいけません」
 間に割って入ったのは巫女の侍女を務めるミトラだった。彼女はチハヤよりも五歳は年かさで、巫女の素養があるとして訓練したこともあるが、チハヤが生まれるに伴って候補から外れ、侍女を務めるようになった人物だった。
 ミトラはチハヤよりも頭一つ分背丈が高く、腰まで届く長い黒髪を一つにまとめ、切れ長でやや吊り上がった目は冷静さと聡明さを窺わせる。実際彼女は有能な人物だった。チハヤも、先代巫女も、巫女だけの秘密を共有するなど、絶大な信頼を寄せていた。
「霊獣憑きは元の人間とは異なるのです。速やかに始末するべきです」
 ミトラがそう進言すると、チハヤは強くかぶりを振って、「意思を保っています。他の霊獣憑きとは違う」と否定した。
「しかし、我らの神を殺すよう求めています」
 ミトラの表情は冷えきった鉄のように冷たく、頑なだった。山の民と相いれる余地などない、そのことだけを雄弁に物語っていた。
「あの者の要求を容れれば、森の民は守り神を失い、加護を失くすでしょう。そうなれば、山の民を防ぎきれません。待っているのは殺戮です」
 分かってる、とチハヤは腕で体を抱き締めるようにすると、考え込んで俯いた。
 カズラの語っていることが本当ならば、カズラの要求を跳ね除けると里もろとも世界が滅ぶ。語っていることがでたらめならば、要求を容れれば森の民だけが滅ぶ。そしてミトラや射手たちはでたらめだと思っている。
 この場でカズラのことを理解して、言葉の真贋を測れるのは自分しかいない、とチハヤは思う。だが、それをどう他の者に納得させようか。巫女の言葉といえど、カズラの要求を容れる言葉を彼らは受け入れないだろう。特にミトラは絶対に。
 ミトラは元々、山の民の生まれだった。母が山の民の禁を犯したとして母子ともに追放され、森の民の里に辿り着き、住むようになった。勿論、彼女らが里に受け入れられ、馴染むまで時間がかかったのは言うまでもない。当初は山の民の間者と疑われ、厳しい監視下に置かれた。月日が経って徐々に里に容れられるようになると、母親はその信頼を逆手にとって、森の民の守り神の神像を盗み出し、それを手土産に山の民の元へと帰ろうとした。ミトラはそれを里の者たちが見守る中で食い止めた。自身の母親を殺すという罪を犯すことで。
 ミトラが信頼されるようになったのはそれからだ。彼女は何よりも掟に忠実で、里の者に対して誠実だった。彼女の透徹した態度はやや素っ気ないと思われはするけれども、好意的なものとしてみなの目には映った。
 そうした経緯があるからか、ミトラは山の民を激しく憎んでいた。炎のように燃え上がる憎悪ではなく、冷え切った刃を研ぎ澄ますような、氷のような憎悪だった。
「災厄を招いたのがわたしなら、わたしが始末をつけなければ」
 決意して、チハヤは顔を上げる。ミトラは眉をひそめてチハヤの腕を掴んだ。冷たい手だった。そして、小刻みに震えていた。それは恐れか、怒りか。
「巫女様。早まってはいけません。あの者の言葉に惑わされては」
「いいえ、ミトラ。わたしは惑わされてなどいません。カズラと協力し、事態を収拾します」
 ミトラはチハヤの腕を強く握る。震えていた。今度の震えは明確に怒りだった。ミトラの目は軽蔑に燃えていた。
「本気なのですね」
 チハヤはミトラの腕を振り払い、大薙刀を引き抜く。「ええ、本気よ。いつだってわたしは」
 ならば、とミトラは腕を振り上げ、「射手、二人を射て!」と振り下ろした。
 射手たちは逡巡したものの、ミトラが「巫女乱心につき、このミトラが巫女代行に就く。巫女代行が命ずる。射て」と命じると、射手たちは逡巡を振り払い、引き絞った矢を二人に向けて放つ。
「やはりこうなったか」
「あなたは昔からそうよ。言葉足りずに突っ走って」
 チハヤは大薙刀で矢を打ち払い、カズラは向かってきた矢を両手ですべて掴み取って防いでいた。
「! 第二射、射て」
 再度ミトラが命じると、射手たちは先ほどよりも狙いすまして射る。
 チハヤとカズラは先ほどと同じように矢を防ぐと、チハヤはミトラの鼻先に薙刀を突きつけた。
「巫女の名において命ずる。そこをどきなさい。奉神殿を開けます」
 ミトラは拳をぶるぶると震わせ、「どこまで」と絞り出すように呟いた。
「どこまであなたは愚かなのだ! 山の民に誑かされて」
 ミトラが腰の太刀に手をやるのを見て、チハヤははっとして慌てて飛びずさる。
「もうあなたは巫女ではない。我らの神を殺そうとする、敵だ。そちらがその気なら、斬り伏せるまで」
「カズラ、伏せて!」
 チハヤは叫び、体を伏せる。カズラも見事な判断力と瞬発力で伏せる。ミトラが太刀を抜いた瞬間、凄まじい突風が吹き荒れ、チハヤたちの後方の木々が鋭利な刃物で両断されたように斬り倒され、音をたてて崩れた。
「霊獣の武具か」
「そう。ミトラの武具は、里で一、二を争う殺傷力の武具、『颶風の太刀』。カグラが不在の今、彼女が里一の使い手と言っていいわ」
 ミトラは太刀を振りかぶり、猛進してくる。
 チハヤはカズラに目配せし、大薙刀を構えてミトラの足元を狙って横薙ぎに薙ぎ払う。ミトラは軽々と跳躍して躱すが、跳んだ先を狙ってカズラは受け止めていた矢を投げつけていた。致命傷にはならずとも、手傷になるはずだったが、ミトラの体に届く前に矢は何かに弾かれてへし折られ、弾け飛んで落ちた。カズラは矢を放るとすぐにミトラの着地点目掛けて駆け、彼女が着地すると短剣を抜き、逆手に持って斬りかかるが、ミトラは太刀の長さを有効に使ってカズラの攻撃をいなす。チハヤは後方に回り、大上段に振りかぶった薙刀をミトラに向かって振り下ろすものの、何かの壁のようなものに弾き飛ばされ、尻もちをついてしまう。
「二人がかりでこの程度か。あのアルバを斬り伏せたというから、どんなものかと思えば。興ざめだな」
 カズラは舌打ちして、右手を右目にかざす。すると目が金色に輝き、目の周囲の異形な相からも光が溢れる。
 瞬きの間にカズラが消える。さしものミトラもその神速ぶりに目を見張るが、些かも動じない。カズラはミトラの太刀のない、左側面から攻めるが、短剣はやはり何かの壁に阻まれ、弾かれてしまう。
 ミトラはカズラの動きを追い、太刀を振って颶風を巻き起こし、草木を薙ぎ払いながら風の刃を叩きつけるが、カズラは目にも止まらぬ速さで移動して風を避ける。
「なるほど、霊獣憑きになっての身体能力はさすがだな。だが、私の風の壁を破るには至らないようだ」
 カズラは姿を現し、肩で息をする。目の輝きも元に戻っていた。
「風の壁?」
「そう。ミトラは太刀を抜いている間、風で作った防御壁を纏っているの。さっきのように、攻撃はすべて弾かれてしまう。ミトラを里有数の使い手たらしめている、絶対防御」
 ふっとミトラは笑い、滑るように二人に近付くと、太刀で斬りかかる。風が巻き起こり、チハヤが薙刀を弾かれ、その勢いと重みで姿勢を崩す。カズラは向かってくる風の刃を逃れて後退し、ミトラから距離を空けられてしまう。
「まずは貴様からだ。裏切りの巫女」
 ミトラは左手でチハヤの喉の辺りを掴むと、片手で持ち上げる。チハヤは薙刀を取り落とし、両手でミトラの手を振りほどこうともがくが、ミトラの指は憎悪のために深くチハヤの首に食い込むばかりだった。
 カズラはミトラに斬りかかってチハヤを離させようとするが、風の壁に阻まれて有効打が与えられなかった。
「どうしたら」
 カズラは歯噛みする。すると頭の奥で声が響き渡る。
「君も巫女も、与えられた力を使いこなせていないね」
 金色の猫か、とカズラは心の内で呟く。「何の用だ」
「君たちにちょっと力を貸してあげるよ。このまま死なれても困るし」
 どういうことだ、とカズラが訝しんでいると、体が勝手に動いた。目にも止まらぬ速さで駆け、ミトラの頭上に跳び上がり、短剣を振り下ろす。これらすべてカズラの意図ではなかった。金色の猫がカズラの体を操っていた。
 短剣は風の壁に当たり、阻まれるかに思われたが、壁を突き破ってミトラの頭へと迫った。ミトラの瞬時の判断力はさすがで、すかさず太刀で受け太刀に入ると、チハヤを放って両手で太刀を繰り、カズラの体を操った金色の猫の攻撃をいなしていく。
「へえ、やるね」
「貴様、先ほどまでとはまるで別人だな」
 チハヤ、と金色の猫はチハヤの心に語りかける。
「カズラ? ううん、違う。あなたは、カズラに憑いている精霊」
「さすが、巫女だけあって理解が早い」
 金色の猫は「時間がないから簡単に言うよ」と前置きをする。チハヤは咳き込みながら辺りを探り、大薙刀を見つけると、それを頼りにして立ち上がる。
「君は薙刀の力を一割も引き出していない。その薙刀が本当の力を発揮すれば、ミトラの太刀などものともしないはずなんだ。いいかい。薙刀には歴代の巫女の魂が宿っている。その魂を感じ取るんだ」
「巫女の……魂」
 チハヤは薙刀を構え、目を瞑って薙刀を握る手に意識を集中する。
「ううん。違うな。それじゃあ、人間の常識内で集中しているだけ。頭から直接、薙刀の刃に入り込むような感覚だ。それを目指してみて」
 分かった、とチハヤは頷き、意識を集中する。額から、糸が出てそれが薙刀の刃に伸びていき、絡まっていく。そして絡まった糸は、チハヤの思いを薙刀に伝え、薙刀からは巫女たちの思いが伝わってくる。
「私は、あなたを支持しますよ、チハヤ」、先代巫女の声だ。
「生命の精霊の悲痛な叫びが、ずっと聞こえていました」
「森の民も、山の民も変わるべき分岐点に来ているのかもしれません」
「あなたの選択が、新しい道となるのです」
「里を、世界を頼みます、巫女チハヤ」
 チハヤは目をおもむろに開ける。不思議と、それまでよりも世界がはっきりと見えるような気がした。
 気合を込めて走ると、ミトラの前に躍り出て薙刀を振るう。ミトラはチハヤを侮ったか動かずにいた。薙刀は風の壁を容易に引き裂くと、ミトラの目の前をかすめた。踏み込みが甘かったが、ミトラの前髪が切られてはらりと風に舞った。
「チハヤ……!」
 ミトラは研ぎ澄ました集中力から、鋭利な風の刃を生み出すと放ち、チハヤは辛うじてそれを薙刀の柄で受け止めた。金属が摩耗する耳障りな音が響くが、柄を断つことはできなかったようだ。
 チハヤとカズラは並び立つ。これなら勝てるかもしれない、という希望を二人が抱き始めたときだった。
 ミトラは不愉快そうに、並び立っている二人を眺めると、初めて太刀を青眼に構えた。
「ほんの少しでも勝てると思われたなら、不愉快だ」
 ミトラを中心に突風が巻き起こり、外に放出されていた風が、ミトラを中心に今度は収斂していくように感じられる。その強大な引力にチハヤもカズラもまともに立っていることもままならず、膝を突いてしまう。
「散れ、愚物ども」
 ミトラは跳躍し、太刀を振り上げる。その軌道の先にいるのはカズラだった。カズラは優れた身体能力をもってしても、風の引力の前に逆らうことでできず、跪いて頭を垂れるだけだった。ミトラが近づけば近づくほど、引力は強まるようだった。
 ミトラは太刀を振り下ろす。カズラは避けられない、終わりだ、と目を瞑った。だが、カズラの体に痛みが走ることはなかった。顔に鮮血がはたはたとかかる。呻くチハヤの声。目を開けたときに見たのは、チハヤがカズラを庇って斬られている光景だった。
 ミトラもチハヤを斬ったのは予想外だったらしく、表情に動揺を見せていた。カズラはその一瞬を見逃さず、すぐにチハヤを抱えて薙刀を拾い上げると、霊獣憑きの力を全開に放出して、その場から逃げ去った。
 逃がしたことを悟ったミトラは舌打ちし、爪を噛んで悔しさを滲ませたが、すぐに射手たちを呼び、追跡隊を組織するように命じた。
 ミトラは太刀を納め、奉神殿の方角へと歩いて行く。それはチハヤたちは必ずそこにくる、と確信しているようだった。

〈続く〉


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