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「恋人がいる」という言葉を「彼氏/彼女がいる」に変換していませんか?

私は、誰かと恋バナをする時は「恋人」という言葉を使う。

「最近、恋人とはどう?」とか「私の恋人は〜」というような形だ。

それは私がセクシュアルマイノリティだからというだけでなく、相手の性別は一概には分からないだ。周りに言ってないだけで、私が知らないだけで、本人も自認していないだけで、お付き合いをしている相手の性別が男女二つのどちらかと決めつけることはできない。

でも、無意識の内に、相手の性別、恋愛対象の性別を決めつけていることがある。


▶私の体験談

ある時に「付き合っている人がいる」と言ったらそれが「異性」「彼氏/彼女がいる」に変換されてしまったことがある。まぁ、日常会話でよくあることなのであるが、一つ、私の中で忘れられない記憶になっている事柄がある。

それは、私がセクシュアルマイノリティであるとカミングアウトしていた相手に、私の「恋人」を「異性の恋人」と変換されてしまったからだ。

その当時、よく時間を共にしていた集団がいて、私が過去に同性と付き合ったことがあるということも知っていて、カミングアウトもしており、少なからず、私がセクシュアルマイノリティであると分かっている人達だった。

ある日、その集団の一人であるAさんに告白されたのだが、当時お付き合いをしていた人がいたので、「お付き合いをしている人がいるので、すいません。」と告白を断った。

そして、数日経つと、Aさんが私に告白し振られたことが、瞬く間に集団の中で広がっていた。私はその集団の中で恋バナをすることが無かったので、Aさんが私に告白したこともさながら、私に恋人がいたことも知らない人が多かったようで話題になったみたいだった。

集団の中で、私ととりわけ仲の良いBさんが、「告白されたこと皆知ってるよ」と教えてくれて、噂になっていたことを知った。

しかし、驚いたのはそこではなく、皆が、私に異性の恋人がいると噂していたことだった。

私は、「付き合っている人がいる」としかAさんに伝えていないのに、勝手に異性と付き合っていることになっていた。皆にカミングアウトしていただけにかなりショッキングな出来事だった。

カミングアウトを受け入れたからといって、それがセクシュアルマイノリティの理解に直結しているかといったら難しいのだ。


▶理解を示してくれる人達の”理解”とは

よく一般的に、若い人の方がセクシュアルマイノリティに理解があるなんてことを言う。もちろん、一人一人考え方は違うのだから、一概には言えない。

ただ、私の体感として、交流の機会が多い同年代の若い人(20代前後)は基本的に受け入れてくれる人が多い。カミングアウトによって変に毛嫌いされたり、否定されたりといった経験はない。二次元文化の影響で、むしろBLや百合が好きなのでイイと思う!みたいな人も多い。

しかし、実際のところ、”リアルに”セクシュアルマイノリティが存在していることを感じているかといったら、それは難しいことなのかなと思う。これはある種仕方のないことだ。人はみな違う上に、その中でもマイノリティな例なのだから、すぐに理解できるものではない。

知り合いや友達にカミングアウトされても、その集団の中で色恋沙汰が無かったり、見た目が体の性別と変わらなかったり(男装や女装をしていない)したら、カミングアウトされても実感が湧かないかもしれない。

カミングアウトしても関係が変わらないということは、とても嬉しいことであるが、先ほどの体験談のように、いざ何かに直面したとき、本当の理解や受け入れるって何なんだろうと思う。

別に、恋愛の話だけじゃない。普段通りの何気ない一言なのだろうけど、ちょっと傷つくこともある。私は大雑把な人間だし、「異常さ」を感じる人の気持ちも分かるので、何か言われてもあまり気にしない方だ。

けれども、カミングアウトをして受け入れてくれている相手の、何気ない一言に「おぉ……」と思ってしまうこともあるのだ。何気ない一言だと分かっているからこそ、むやみに指摘するのもなと思ってモヤモヤしているうちに、そんな話題は終わっているような一瞬の出来事なのだが。

大切にしたい人やモヤモヤを連発する人に対しては、たまにそれとなく言ってみたりする。気にしないようにしつつも、少しでも理解しようとしてくれている人を無下にするのも何だか違う気がするから。

そうやって言葉のこだわりについて伝えた時に、納得してくれて、普段から言葉にこだわりを持って話すようになってくれる方もいる。そういう方は、元々自分自身の考え方や生き方、言葉の使い方にこだわりのある方なのかもしれない。言葉という媒体でコミュニケーションをとる以上は、ある程度アイデンティティを持って応えたい。そんな気持ちを分かってくれる人は多い。


▶私は「恋人」を貫く

そんな自分の感じたことや経験を通して、私は恋バナで「彼氏/彼女」という言葉は使わないと決めた。

男だから彼女、女だから彼氏、とは限らないのだから、「恋人」がしっくりくる。

「恋人」を徹底して使っていたら、「実は、同性の恋人なんだ」と教えてくれた人もいた。自分のポリシーとして使っていたようなものだけど、そうやって私を頼りにしてくれるような人にも出会えて良かったと思う。

細かいことかもしれないけれど、こうやって自分の考えやブレない軸を持つことで、自分に自信がつくし、認められたり頼られたり、伴に支え合ってくれる人に出会えたりする。


▶まとめ

カミングアウトを受け入れた=理解されたとは限らない。
✅理解は言葉に表れる。
✅だからこそ、自分自身の使う言葉にこだわりを持つことは大切だ。



何気なく使っている言葉に今一度向き合ってみると、案外自分のアイデンティティとブレているようなことがあるかもしれない。

言葉という媒体を使用する生き物として、細かいけれど言葉にこだわっていきたい。


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