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ラスベガスでアパートを借りて10日/なんとかなる精神の話

仕事を辞め、アメリカで3ヶ月暮らしてみようと決めた私。
ネバダ州ラスベガスで短期アパートを借り、新しい生活を始めて10日がたちました。そろそろアメリカでの暮らしに慣れたかと聞かれると、「よく分からないなあ」というのが本音です。

年齢を重ねると感情が動かなくなる

日本を発つ前は、多少不安もありました。現地の気候や移動手段、どんなものを持って行くべきかなど考えることがたくさんありましたし、そもそも私の英語力は赤ちゃんみたいなもんですから。

しかしいざアメリカに来てみると、びっくりするほど私の気持ちはフラットでした。乗り継ぎのロサンゼルス空港に着いたとき、周囲には様々な人種の人があふれ案内表示は全て英語になっているにも関わらず、なんだかあまり「海外に来た」という感動が起こりません。

その後トラブルを乗り越え1日遅れでラスベガスに到着したときも、やっとアパートに着いて荷物を下ろしたときも、安心こそすれ「これからアメリカで暮らすんだ!」と気持ちが盛り上がる瞬間は訪れませんでした。いまだに環境が変わったという大きな実感がないので、「生活に慣れた」という感覚もありません。なぜでしょうね。

これが大人になったということなのか

私は現在アラサーですが、人生の主役は100%自分だった20代前半のころに比べて、感情が動きづらくなったように感じています。昔は仕事やプライベートでのちょっとしたことに一喜一憂していたのに、今は「そういうものだよね」と受け入れることが多少容易になっている。きっと世の中の皆さんもそうなんでしょうね。

では、年齢を重ねて激しい感情の起伏を失う代わりに、我々は何を得るのか。それは人によって、仕事の実績だったり幸福な家庭だったり、時間を重ねたからこそ獲得できる「より安定した何か」であることが多いのではないでしょうか。

私の場合、それは「絶対になんとかなる。私なら最終的にはなんとかできる」という謎の自信でした。30代になったばかりの今の私は、何も考えず仕事を辞めて3ヶ月遊んでも大丈夫と思えるだけの自信があります。
(専門職でのまとまった職歴やスキルがまあまあある、という意味も含めて)

アメリカに3ヶ月滞在する理由

今回の旅行ですが、実は私にはハッキリした目的がありません。そもそも1年前からこの旅を企画していた友人は、「音楽が大好きなので、本場ラスベガスのクラブ文化に触れたい。自分の音楽制作に集中したい」といった明確な目的がありました。一方の私は、それを「すごーい!いいね〜」くらいの温度で聞いていました。

しかしその後、私が転職を考えて退職を決めた時期がこのアメリカ旅行と近かったこと、友人がルームシェアするはずだった人物が行けなくなってしまったことなど様々な条件が重なり…気づいたら「代わりのルームメイトに立候補してもいい?」と申し出ていました。
(チャンスがあればNY在住の友人に会いたいという理由もありました)

私は今まで、大きな選択の局面では思い切って流れに任せる形で生きてきました。進路も、就職も、転職も…。ですが、その決断が結果的にはそこそこ良い結果を生み出してきたような気がします。

今回は「一度は海外で暮らしてみたいな。せっかくちょうどいい時期に会社辞めるんだし、海外慣れしてる人と一緒にアメリカ行ける機会なんてもうないよね」くらいのノリで3ヶ月の滞在を決めました。何も考えていませんね。
滞在費については退職金と退職直前の賞与が入る予定でしたし、おそらく人生に一度のこの機会に貯金を崩すことに躊躇はありませんでした。

「なんとなく道を選んでも、その場でなんとかする精神さえあれば大丈夫」
アメリカに来て「なんだか実感が湧かないな?」と考えたことで、今までの人生で無意識にテーマにしてきた一本柱がやっと言語化されたような気がします。

そうはいっても感動はする

ここまで「大人になって感情が動きづらくなった」という話をしておきながらさっそく矛盾するのですが…アメリカに来てからのこの10日間は、日々ちょっとした感動を得ています。

スーパーの巨大な食料品に驚いたり、宅配ピザのお姉さんが優しかったり、ゴミ収集車がビンも缶もペットボトルもいっしょくたに圧縮するのを窓から覗いたり…どれも本当にささやかな感動です。ラスベガスの華やかな街並みや砂漠地帯の朝焼けはとても美しく、「いくつになっても感動するときはするものだなあ」と実感しています。

せっかく3ヶ月も見知らぬ土地で暮らす機会に恵まれたわけですから、この歳で味わえる感動を最大限に持って帰れるよう、あちこちに目を向けたいですね。

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