ぼん/自分らしさ研究室。

自分らしさ研究室。ぼん研究員です。 障害福祉サービス事業の経営をしたり、訪問ヘルパーを…

ぼん/自分らしさ研究室。

自分らしさ研究室。ぼん研究員です。 障害福祉サービス事業の経営をしたり、訪問ヘルパーをしたり、絵を描いたりしています。

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自分らしさ研究室。

■ぼん研究員のプロフィール 他人の目ばかり気にして30代は生きてきました。 そしたら、、 「体も心もお金も」ボロボロになりました。 もうこれ以上ボロボロになりたくないので、 40代は、自分の心がワクワクすることに意識を向けていこうと決めました。 50歳になったときに振り返ったら「体、心、お金」がどんなふうに変化するのかを実験中です。 40歳、二児の父。 障害福祉サービス事業の経営をしたり、居宅介護ヘルパーをしたり、絵を描いたりしています。 ■自分らしさ研究室。について

    • 「みんなのため」と思ってたのに「みんなのせい」になってた

      「家族のために、がんばる」 「仲間のために、がんばる」 「お客さんのために、がんばる」 とおもって、 夜遅くまで仕事をして、 ごはんはカップラーメンで済ませて、、 時々、体調をくずしたりしても 「みんなのためにもっと頑張らないと」と言い聞かせる。 体調を崩しながら、がんばっている自分がカッコイイとすら思ってる。 でも、心も体も疲れてる。 ため息が増えたり、笑顔が消えて表情が固くなったり、ささいなことでイライラしたり、、 じぶんが、身も心も削ってまでがんばってるのは、

      • メガネをかけかえてみよう。

        「自分は、このシゴトに向いていないんじゃないか、、」 「この先、やっていけるのか、、」 自分のことを信じられなくなっているときって、自分のできていないところばっかり目につく。 【できていないところだけ】を見る色メガネをつけている感じ。 そのメガネをかけている時は、周りにいる人達のことも、できていないところばっかりが目につく。 【できているところ】もみるメガネにかけかえてみよう。 そのメガネで、まずは自分を鏡に映してみて。 「意外とがんばってるやん」 「できてるとこ

        • 人生は○○だ。

          パッと浮かんだコトバはなに? 「人生は、修行だ。」 「人生は、映画の主人公だ。」 目の前に起こっていることが同じでも、自分がどう思っているかで、捉え方がちがう。 人生は修行と思ってると、すべてのことが修行だと捉える。 人生は映画の主人公だと思ってると、すべてのことが映画のワンシーンと捉える。 だから結局、自分がどう思ってるかってこと。 人生は○○だ。

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          自分ができていなかったことを言われたとき

          「怒られてる」っておもうか 「嫌われてる」っておもうか 「ありがとう」っておもうか みんな捉え方がちがう ぼくは「ありがとう」っておもいたい 「言われるうちが花」っていうからね。

          自分ができていなかったことを言われたとき

          イライラしないようにしない。

          思っていた結果が出なかったとき 人が理解しがたい行動をしてるとき 、、、 イライラする! そんな自分を観察してると、気付いたことがある。 【イライラ感情】=【ダメな感情】 と思ってるやーん! その考え方ってホント? そもそもダメな感情ってあるの? 人は感情のいきもの。 だからイイもダメもないんじゃないかなー イライラ感情が起こったということは、 そこに何かしらの価値観がある。 それに気付く。 ただそれだけ。 だからぼくは、 イライラしないようにしない。

          イライラしないようにしない。

          つらいときは、おなかをみせよう。

          親だから、、と リーダーだから、、と すべての悩みを抱え込まないで 自分ひとりで考えないで まわりを見てみて ほら いつもそばにいてくれる人がいる その人たちを信じて 悩みを打ち明けよう なーんにも恥ずかしくない 弱い自分をさらけだしたら もっと絆が深まるとおもう 犬がお腹をみせたら 「あっこの子、自分のこと信用してくれてるんや」って感じてうれしくなる それと一緒かな〜

          つらいときは、おなかをみせよう。

          「すいません」「ありがとう」

          落とし物を誰かが拾ってくれたとき、 エレベーター待ってくれていたとき、 「すいませーん」 or 「ありがとうございます!」 どっちも、相手にお礼を伝えてると思う。 「すいません」と表現してる人が多い気がする。 そのあとに、「ありがとう」ってつけると、言われた方はなんだか嬉しくなる。 「すいませーん。ありがとうございます!」

          「すいません」「ありがとう」

          「なんとなく」

          「なんとなく、こうした方がいいかも」 「なんとなく、これはしない方がいいかも」 と思うときがある。 相手に伝えられる明確な理由はないけど、 自分の心が確実に言っている。 「なんとなく」は心の声。 大切にしよう。

          褒められたら「ありがとう」って言おう

          「帽子、似合ってますね。」 「その考え方ステキですね。」 と褒められたとき、 「いやいや、そんなことないですよー」 と、自分のことを否定していることに気がついた。 一見、謙遜しているようだけど、褒めてくれている人に対して失礼だなっておもった。 素直に「ありがとう」でいいやん。 否定し続けたら、自分のこと誰も肯定してくれなくなるよ。

          褒められたら「ありがとう」って言おう

          Choose a smile !

          「えがおをえらぼう!」 この言葉、大好き♪ 人生は選択の連続。 選択に迷ったとき、自分に聞いてみる。 「どっちがえがおになる?」 自分が、 相手が、 みーんなが、えがおになる選択をしよう♪

          将来、役に立つのか?立たないのか?

          選択の回数「人生は、選択の連続」と聞いたことがあります。39年間、いろんなことを選択して現在なんですね。 人が、一日のなかで、選択する回数ってどれくらいなんでしょうか。ちょっと数えてみようとおもいます。 「目覚ましが鳴って、起きる?起きない?」 「朝食は、パン?ごはん?」 「茶色の服にする?他の色?」 「スニーカーにする?しない?」 「歩いて出勤?自転車?」 「メールを見る?見ない?」 「・・・」 まだ一日の始まりのところで、思い浮かぶ選択だけでもたくさんあります。これ

          将来、役に立つのか?立たないのか?

          子育ては、期待どおりにならない。

          ぼくは子どもの頃、親から「玄関で脱いだクツはそろえなさい。」としつけられました。なんで揃えたほうがいいのか、理由は考えたことがありませんが、自分の子どもにも、そう言い続けていた時期があります。 「クツをそろえなさい」と言い続けたり、クツをそろえることを1週間続けたらご褒美をあげる約束してみたり、なんとか「クツをそろえる」習慣を身に着けさせたかったのです。 いろいろ試した結果、クツがそろっている所を見たことがありません。まったく期待はずれです(笑) 子育て8年目にして、気

          子育ては、期待どおりにならない。

          世界で約束されている【子どもの権利】

          「今日も一緒に学んでいきましょう♪」今日は、「こどもの権利」のことについて学びたいとおもいます。 1989年、国連総会で「児童の権利に関する条約(児童の権利条約)」が発信されました。世界196の国と地域で締約されてきて、日本では1994年からこの条約のもと、児童の権利を守られています。 「児童の権利条約」をググってみると、条約の全文が読めるようになっています。ざーっと目を通しましたが、ぼくにとっては、難しい言葉が多かったです(汗) ▼「児童の権利に関する条約」の全文はこ

          世界で約束されている【子どもの権利】

          小学生が宿題をする理由

          息子(小2)と会話しているときに、気付いたことをメモしておきます。 小学生のときから、自分から率先して勉強をしたことがなかった僕。 大人になった今、勉強をしておけば良かったと後悔しています。 小学校のときの知識を忘れているから後悔しているわけではありません。 勉強の仕方がわからないということを後悔しています。 小学生のときの勉強や、宿題をする目的のひとつに、「自分にあった勉強法を見つけるための練習」ということがあるんじゃないかなと思います。特に受験勉強とかは、そうだと思

          小学生が宿題をする理由

          「介護」というコトバは使いません。

          在宅ヘルパーなので、「介護」という言葉をよく使いそうですが、ぼくは普段、あんまり使っていないんじゃないかな~と、ふと思ったんです。 またいつものクセで、「なんで?」と自分に質問してみました(笑) 答えはすぐに出てきました。 「介護」はひとつの手段です。「その人らしい、安心安全な生活を一緒にかんがえる」ことが、福祉専門職の本質だとおもっています。 「介護」を辞書で調べると、、  障害者の生活支援をすること。あるいは高齢者・病人などを介抱し世話をすること。 辞書によって

          「介護」というコトバは使いません。