アメリカロードトリップ#4/憧れのテキサスと初めてのケンカ
ルイジアナの朝
朝は遅めのスタート。ルイジアナ州のニューオリンズで目覚めた。Weeboというモーテルを朝11時にチェックアウトして、西へ向かった。明日までに目指すは、テキサス州を横断し、ニューメキシコ州のアルバカーキ。そこで飛行機でやってくる友達と合流する予定だった。
南部料理・グリッツとの衝撃の出会い
最初に止まったのは、ルイジアナ州、Sorrentoというところにあるコーヒーハウス。昔ながらのアメリカ南部のレストランという感じだった。私はなんだか車酔いと疲れで食欲がなかったし節約しなきゃと思っていたので、ポテトフライで我慢して、友達は朝食セットを頼んでいた。そこで登場したのは、グリッツと呼ばれる南部の郷土料理。試してみたら、とんでもない味だった。お粥みたいな見た目をしているんだけど、バターで炒められているのか、とんでもなく油っこくて、ミルキー。初めて食べる味だったのと、体調があまり良くなかったので、ちょっとウッときた。せっかくなので、この味を説明してくれた友達の文章をそのまま引用する。
この友達にとっても、新しい味・料理だったらしい。確かに、マサチューセッツ州とルイジアナ州では、食文化はまるっきり違うだろう。マサチューセッツ州・ボストンには、チャイナタウンもあるためアジア料理が多い。アメリカ南部の州は、バーベキュー文化をはじめとしたお肉料理や、テキサス州のメキシカンとの融合料理のテックスメックス(Tex Mex)、フランス人植民者が起源のケイジャン料理など、独特の食文化を育んでいる。昨日食べたガンボ(Gumbo)というスープ料理は、同じ大学でよく旅をしていた友達が絶賛していたケイジャン料理の一つでもある。
南部お土産と初めてのけんか
上の写真みたいなパネルは、南部あるあるが載っていて、割と人気のあるお土産みたいだ。これは、「警告:あなたはレッドネックエリア(南部)に入っています。アメリカ国旗、武装した市民、キリスト教徒、カントリーミュージックに遭遇する可能性があります。自己責任で進んでください。」って書いてある。笑えるような、笑えないような。南部あるあるとして面白いものとして扱われているけど、銃を簡単に買えて、裸で持ち歩ける社会は正直めちゃくちゃ怖い。自分達で自分達の文化をステレオタイプとして面白く表現してる反面、その恐ろしさや有害さを矮小化してしまうものでもある。
その流れで、お土産をめぐって友達と初めてのプチ喧嘩をした。南部あるあるの中には、すごくマッチョな文化がある。カウボーイとか、ガンマンとか、そういう強く孤独な男、みたいなのが、古き良き南西部を象徴しているとされる。でも、そういう文化は多くの場合、女性を排除したり所有することで成立しているのだ。その例が、さっきのパネルと同じように置いてあった、「女人禁制」のパネル。すごくセクシーな女性の絵が描かれていて、横には男性たちのルール、みたいなのが書かれていた。そしてあろうことか、運転手の友達は、それを「他の友達に頼まれたから」と言って買って戻ってきたのだ。話を聞いてみたら、友達はこれを面白いものとして捉えていて、代わりに買ってきてくれと頼まれ、そして後でお金を払ってもらうから、自分は関与していないと言っていた。さらに、頼んだ友達は来年RA(レジデンシャル・アシスタント。大学寮の学生職員みたいなもの)になるから、部屋に貼るためのデコレーションがほしいと言っていた、とも。学生職員になるなら尚更まずいだろ、とも思う。私はそれを買ってきた友達に、「いくらユーモアと言ったって、これは笑えない」ということ、さらに「女性蔑視的なものを買って渡すという行為自体に、責任が伴わないと考えているのはおかしいと思う」と。自分の中でどうしてこんなにモヤモヤしているのか考えながら、言葉を探った。一年弱その友達を知っていて、彼が平気で差別発言を言うタイプではないことはよく知っていた。だからこそ、こういうお土産を無批判に買ってきて車に乗せ、キョトンとしていることが不思議でしょうがなかったのかもしれない。これはおそらく友達になってから初めてした喧嘩で、人間関係の中で衝突を全力で避ける傾向のある自分が、勇気を振り絞って自分の思っていることを伝えた瞬間でもあった。その友達はその視点はなかったと冷静に受け止めていたけど、良い意味でも悪い意味でも中立の立場を示すタイプなので、どこまで伝わったのかはわからない。
ちなみに、こういうパネルが示すみたいな「女性は禁止!」などと言って築かれる男性同士の絆は、社会学・ジェンダー研究の中で「ホモソーシャル」と呼ばれ、その絆は同性愛嫌悪と女性排除の上で成り立っている。それを無視して、「自分はフェミニストだけど」とか「自分は差別はしない」とか言いながらこういう文化を楽しむ人はよくいるように感じる。日本の大学でも、”Bros Before Hoes(彼女より男友達優先)”というステッカーを作ろうとした男子寮のメンバーがいた。この中の”Hoe”という言葉は、元々は売春婦を指す、すごく女性を見下す俗語で、その言葉を、”男子寮の文化”とは言え無批判に使うのは違うだろうと、その人と友達だったからこそ違和感を覚えたのだった。
憧れのテキサスへ
そうしてテキサスに入ったのは、16時ごろ。今日はなんだか調子が悪くて、今日は助手席で気絶するように寝てしまった。運転してくれている友達に申し訳なさすぎて、自分で勝手に気まずくなる。起きてからは、英語、日本語、ウイグル語のラップを聴いて盛り上がった。
テキサスは、私が2歳から4歳の頃に2年間住んでいた、思い入れのある場所だ。記憶がないからこそ、なおさら。親から、幼稚園の頃はすごく明るくて外向的だったんだよとか、英語がペラペラだったんだよとか言われるたびに、日本に帰ってきて成長した自分と比べてなんとも言えない気持ちになっていた。それはおそらく、自分も知らない過去の栄光を懐かしむ気持ちだったんだろう。アメリカに無理してまで交換留学に来た理由も、自分の中に眠っているはずの煌めきを、20年の時を経て取り戻すためだった。留学先の大学があったのはマサチューセッツ州だったけど、こうして西部のテキサスに行くのは1年間の目標でもあった。3週間経ち、こうしてこの記事を書いている間も、なんだか信じられないような、夢みたいな気分でいる。
もっと信じられないのは、ガソリンスタンドについている売店に、ハンティング用の銃が当たり前のように置いてあったことや、ジャンボシュリンプ(めちゃくちゃでかいえび)がアイスクリームの隣に置いてあったことだ。テキサスにきた、って感じがようやくした。
生まれて初めて出会った太陽
西に向かって進むということは、沈みゆく太陽に向かってゆくということ。私たちの目の前に浮かんでいたのは、あまりにも輪郭がはっきりとした大きな太陽だった。23年間生きてきて、初めて会った太陽だった。淡い赤と青のグラデーションの中で、黄色く光るその物体は、どこかわたしたちを不安にさせるような、底知れない力を持っていた。
20時ごろ、テキサス州のダラス付近でハイウェイを降りて、ファストフード店のワッフルハウスへ。このレストランは客と従業員の間でよく喧嘩が起きることで有名らしい。(下の動画には、客が投げた椅子を店員が片手でキャッチする奇跡の瞬間が残っている。)
幸い私たちが行った時には喧嘩はなく、ただ食事を楽しむお客さんたちで賑わっていた。ワッフルハウスという名前ながらも、夜は残念ながらワッフルはなかったので、代わりにステーキボウルをいただいた。内装は、典型的なアメリカンダイナーという感じで、とても居心地が良かった。
夜はその隣にあったSuper 8というモーテルに宿泊した。チェーン店なんだけど、ここらへんで一番安くて、しかもホテルみたいに快適だった。今日はちょっと贅沢して、バスタブにお湯を溜めて少しゆっくりした。
マイルレコード
走行距離:457miles
走行時間:7h37m
今日の気づき
旅の気づきではないんだけど、運転手の友達の親御さんの出身地、新疆ウイグル自治区のことを思う。ウイグルは、中国の領域にあるけど、アラビア語などの影響を受けた言語を話し、イスラム教徒が多い場所だ。長年中国政府による弾圧を受けていて、中国への愛国心を植え付けたり、中国語を学ばせたりするための強制収容所は、欧米を中心に世界的に問題視されている。
さっきちょうどNHKのニュースで、ウイグルのことについて放送されていた。その内容は、ウイグル自治区が観光業によって経済的に繁栄していること、監視カメラが街の至る所にあり、ウイグル特有の帽子を被ったりひげを蓄えたりイスラム教のベールをかぶったりすることは、「過激思想」とみなされて禁止されていることなどが取り上げられていた。イスラム教徒にとってとても大事な場所であるモスクも、取り壊されたり損壊したりしている、とも。
この友達のご家族には、何度もお世話になった。休みの時にお家に泊めさせてもらったり、ウイグルコミュニティの新年会に参加させてもらったり。ウイグルの伝統料理をお父さんに振舞ってもらったこともあった。その度に、故郷から離れて感じるひもじさに、彼らの暖かさが沁みて、何度も涙を流した。
そして、学期中や旅の中で、友達がこぼしたいくつかの言葉を思い出す。大学でアジア系の学生たちが自身の文化にまつわるパフォーマンスを行うアジアン・ナイトというイベントが行われたとき、彼は「(少数民族である)ウイグルの文化がここにはなくてちょっと寂しい」と言っていたこと。彼は自身のことを、”ethnically ambiguous(どの民族か分かりにくい)”な顔だと言っていた。そのために、昨日のアラバマの売店で韓国人と間違われたり、初対面の人に自己紹介してウイグル出身ですと言った時に、大体の人が「それどこ?」という反応をもらったりすること。時々簡素化するために、中国出身ですと言うこともあると。私も初めて彼に会った時は中国出身と言っていて、2回目に会った時に初めてウイグル出身だと教えてくれたのだった。そしてアメリカで生まれ育ったことで、新疆で弾圧の中暮らす親戚と同じ経験はしていなくて、自分は本当の意味でウイグル人にはなれない、とも。何がその人の民族性を定義するかは、人の数だけ正解があるのだろう。印象的だったのは、彼が、民族性や人種、ジェンダーは自身を定義するものではなく、他者との理解の架け橋になりうるものであるべきだと言っていたことだ。
これら全ての言葉や文化、体験の共有を通して、私はこの友達やご家族と会う前には到底戻れないなと思った。私が触れる機会をもらった豊かな文化が、一つの国によって消し去られようとしていることが、悔しくて仕方ない。その文化の中にいる人たちの顔がわかるからこそ、なおさら。NHKのニュースも、この20年以上何が起こっているのか知っていたけど、見ていてやっぱりすごくやるせなくなった。
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