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【エッセイ】同じホシの人を探している

※ 下記、あるフォロワーさんの記事を読み、年明けに保留していたエッセイを急いで書き上げました。ぶっちゃけ長いし、特に読む必要のない話です。読んで下さる方はご了承の上、よろしくお願いいたします。


まえがき


2020年、大晦日のことだった。

ふとnoteのフォロー数、フォロワー数に目をやると、1 ずつ減っていた。


「あー、また誰かアカウント消したかな……」


僕の場合、フォロー数、フォロワー数が少ないので、誰が増えたり減ったりしたかは一目瞭然。

自分のフォロワーさんに目を通してみる。

すると大晦日のほんの数日前に相互フォローになった方がいなかった。

「あー」と思いながら追ってみると、あら、不思議。


アカウントは残っている。


「ん?」と思ってコメントしてみようと思った。

するとそこで初めて気付いた。


僕はその方にブロックされたのである。


§


その方は「うつ」や「不安障害」、また「HSP」を抱えて療養中だった。

素直な心根を吐露した記事に共感し、いくつか拝読し、それは分かっていた。

そう思えば自分は申し訳ない事をしたと思っている。


きっとその方は自分のテリトリーがあって、繊細さゆえに、そこへの侵入を許したくなかったのだろう。

過度に記事を読まれたり、コメントされるのが嫌だったのかもしれない。

その方の記事には「明るい人」「前向きな人」「元気な人」「熱い人」が嫌いと書いてあった。

一見、表ぼんじりはこれに当てはまる。

とはいえ「自分も闇属性なんだがなぁ……」と残念に思った。

もしかしたら何か他に失礼があったのかもしれないが。

後のその方の記事には「断捨離が大好き。いらなくなったものは、すぐ処分」と書かれていたので、何にせよ間違いなく自分は断捨離されたのだろう。


こうして僕は人生で初めてのブロックを経験する。


§


今までに他のSNSやら、アプリやら、何やらでブロックをされたことは無いし、したことも無い。

初めての経験、初めての感覚だった。


ぶっちゃけ、その方のことは何も腹が立ったり、恨んだりもしていない。

自分を守る為には仕方ないことである。

人と人の相性だってある。

その人にはその人のルール、また守るべき世界があるのだ。


ただそんな事よりも、こういうSNSの仕組みにこそ相変わらず嫌気がさした。

こうして昨年から悩みに悩み続けている「ぼんじりSNS問題」を、2020年の大晦日、僕は最後の最後で、またそれを叩きつけられたのであった。


作品を通して人を見る


音楽のCDを買った時。僕は音を聴く前に歌詞を読む。

その人が何を思い、何を伝えたいのか。

どちらかといえば洋楽より邦楽メインで聴いているのも、インストよりも歌入りが好きなのも、それが理由だ。

例えばアルバム1 枚をとっても、1 曲目からラストまでの並びには、何かしらアーティストの考えが込められている。

それら全てを自分なりに感じとった時、そのアーティストの人間性が見えてくる。

もっと言うと、僕はその人の書籍を読んだり、写真集を見たり、ライブDVDのオフショット、今ではもちろんSNSなど、様々な側面を見るのが好きだ。

その人の作品を通し、気付けばその人自身に惚れこみ、その人の全てが知りたくなる。

そうしてどんどんと、作品以上にその人自身を好きになる。


noteにおいてもそれは同じである。

誰かの記事や作品を読み、心の琴線に触れた時、その人の過去の記事や作品まで追いたくなる。

そして、その記事や作品を通し、その人自身が好きになるのだ。

そうした時、自然とその人の投稿が楽しみになっている。


カート・コバーンの日記


正直に言うと。

基本的に僕は憂いている。

生き辛くて叶わない。

別に精神疾患があるわけではない。

大なり小なり皆が持っていたり感じたりすることだろう。

何がどうこう言い出すとキリがないのだが、何にせよ価値観や考え方が人と違うのではないかと不安になったり、もしかして頭がおかしいんじゃないかと不安になったり、その他もろもろ。

親をはじめ、家族と仲は良いといえど、血肉を分けた家族ですら、僕の頭の中を理解するのに苦しんでいるようだ。


嫁はある日、「君の頭の中はこれと一緒だよ」とカート・コバーンの日記を渡してきた。

「さすがにそこまでイッてないわ(笑)!」と思ったし、カートみたいにカッコ良くないのは自分で分かっている。嘘、ちょっとはカッコいい。

ただ頭の中をどう表現し、どう伝えたらいいか自分でも分からず、その術もなかなか手に入らない。ただの会社員やしな(笑)。

嫁とてシンクロ率は100%ではない。

まぁ、100%シンクロする人なんていないのかもしれないが。

人から理解されないことの苦しみは続く。


ちなみに、確かにカートの日記は、その中に日記やら落書きの絵やら、人が読んで分かるようなものじゃない。

僕のnoteが、詩、エッセイ、絵、小説、そして日記とゴチャゴチャしているのは、カートの日記をコンセプトとし、全て自分の頭の中を具現化する為である。


最近、気付いたこと


最近、気付いたことがある。

どうやら僕は「すぎる」らしい。


考えすぎる。気にしすぎる。真面目すぎる。頑張りすぎる。優しすぎる。純粋すぎる。魔王すぎる……etc。


いや、最後ふざけてよく分からんけど、人からよく言われる言葉を思い出してみた。

とりあえず僕は「~すぎる」らしい。

それは時に、常軌を逸してしまうようだ。

人がおよそ越えないであろう線を越えてしまう。

空気は読める方だが、場合によっては越えてはならない線も簡単に越えてしまうのだ。

§

実はこのエッセイの下書きを始めてから、冒頭であのように書いたにも関わらず、懲りもせずに、またTwitterでブロックされてしまった。

わずか1 ヶ月の間にnoteで1 、Twitterで1 のツーブロック。

流行りのヘアスタイルちゃうど(笑)。


経緯はこうである。

年明けて数日後、同じようにnoteのフォロー数、フォロワー数が1 ずつ減っていた。

今度はアカウントを消したようである。

とある若き女性の詩人さんだった。

本来ならば、誰がアカウントを消そうがほっておくものだろう。

みんなそれぞれに理由があるのだし、顔も名前も知らない人のことまでは、普通、ほっておけばいい。

もちろん僕も普段はほっている。


しかし、何故だか、その方の才能を考えるともったいないなと思って、何かないかと模索した。

すると出てきたではないか、Twitterアカウントが。

別に仲良かったわけでもないし、ほっておけばいいのに、気持ち悪いことに僕はDMで思いの丈を綴った。

その才能を諦めて欲しくなかったからである。

数日後、返信はないままブロックされていた。

そりゃそうだ(笑)!

それ正解(笑)!!

知らん人から長文のメッセージ来たら気持ち悪いだろう。


まぁ、自分でも分かっていたが。

そういう生き方をしてきた僕の性である。

結果、やっと反省した。

僕はその方々を傷つけたり、不快にさせてしまったのだろう。

よかれと思っても、度がすぎれば、相手からは迷惑以外の何物でもない。

赤いもの見て、何でもかんでも突っ込んでいるだけの牛ではダメなのだ。


ちなみにTwitterはブロックされても見ることができる。

チラッと見てみた。


「めんどくさくて半分も読んでない。既婚者がこういうことするの気持ち悪い」


というようなことが書いてあった(笑)。

ショック(笑)! 凹むわ(笑)!!

ってか、恋愛感情ちゃうし(笑)!!!!!

伝えたかったことが何ひとつ伝わってない(笑)。

まぁ、何回も言うけど、確かにいろいろと気持ち悪いからな、オレ(笑)。


「裸の大将」を見て育った幼少期


僕は「人」がめちゃくちゃ好きである。

そして「ヒト」がめちゃくちゃ嫌いである。

ヒトからどう思われてもいいが、自分のことは知って欲しくなる。

ヒトに興味は無いが、その人の全てを知りたくなる。

あれやこれやと、その違いまで書くと長くなってしまうので、ここでは割愛させて頂く。

今はニュアンスで感じとって欲しい。

たぶんこの手の話は、分かる人には分かる話だ。


何せ僕は、親の教育はもちろん、いろいろなアーティストや、作品の主人公から影響を受けている。

それは創作の中のいたるところにも、DNAとして現れる。

生き方にしてもそうであろう。


若い世代には馴染みがないかもしれないが、僕は幼少期、「裸の大将」が好きだった。

芦屋 雁之助さん、また二代目のドランクドラゴン塚地さん演じる、山下 清 画伯。

山下画伯をモデルとした主人公をコミカルに描いた、笑いあり涙ありの人情ドラマだ。

母親に「アンタ、ホンマ好きやなぁ」と言われるほど、毎回楽しみにしていた。

あの純粋かつ優しさの塊のような人柄、そして才能あふれるも、人から逃れ人を気にせず、我が道を行く生き方。

見た目はどうあれ、ヒーローそのものだ。

うろ覚えだが、1 番、印象に残っているセリフはこうである。


「どうしてあの国とあの国は戦争するのかな? 戦争なんかやめて、国の偉い人と偉い人が、ジャンケンで決めればいいのにな」


何とCoolだろうか!

何とロックンロールだろうか!!

もっとみんな優しくなろうぜ!!!

ヒロトも「人にやさしく」って歌ってるぜ!?


だからみんな。

もうこれから僕の記事や作品を読んでもスキしなくていい。

おにぎりを下さい。


同じホシの人を探している


みんなそれぞれに答えを持ち、価値観があり、ルールがあり、生き方がある。

何が正解なんてない。どれも正解なのだ。

宇宙に無数の星が輝くように、それぞれに美しい。

僕にも僕なりの答えがあり、価値観があり、ルールがあり、生き方がある。

だけど、それは人それぞれなのだから、強要したり、過信してはならないと思う。

年を重ねたり、様々な事に縁すれば、それはそれで変化もしていく。

自分の答えや価値観に変にとらわれてしまうと、結局、ヒトは相手を正そうとしたり、見下したり、マウントをとろうとしたり、ひいては傷つける。

今、僕がこう書いている事もすでに危ういことだ。


だから僕はいつからかは忘れたが、もういっそ、「自分は違うホシの人間だ」と思う事にした。

そう思えば、少しは生き辛い気持ちも、自分が理解されない事の苦しみも少しは緩和され、自分の世界も守ることができる。

他の方がどう思っていようと、また、どう思われていようと、気にならなくもなる。


正直、ここ最近。

同じような考えや悩みに直面している人と出会うことが多い。

きっとそれは僕がそういう人達を好きなんだろう。

今までにやれ「変わってる」とか「分からない」と言われてきた人達。

僕は意外にそういう人達の方が話をしていて面白いし好きだ。


僕は、このnoteをはじめ、創作活動を通し、有名になりたいわけでも、お金持ちになりたいわけでも、何やインフルエンサーになりたいわけでもない。

いや、ゴメン、嘘。ちょっとはある。


でもそれ以上に大切なこと、創作の目的は、僕の頭の中を具現化しつつ、何だかんだで寂しがり屋なので、共感してくれる人を探している。


そう、同じホシの人を探しているのだ。


『 D.I.J.のピストル 』 BLANKEY JET CITY

ぶっぱなしたくなったら呼んでくれよ
横から見ていたいおまえがそれをやる時
メリーゴーランドのロバに向かって
両手を広げて話しかける

BABY そんなオレだけど愛してくれるかい
どうやら違う星から迷い込んできたらしい




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