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神様は…

神様を信じるほど、それについて考えたこともない

霊感が強い人を心のどっかでバカにしているし、
最近は運命すらも、因果という言葉に言い換えられるなと思っている。


信じない、でもいてほしい

霊や神に限らず、
人は体験したことのない領域を拒む。
ワタシには霊感が全くない。だからお化けや幽霊は全く信じることはできない。
だから「本当にあった怖い話」は見ない。
霊を信じる人も信じない人も視聴者として受け入れるタイトルである事には心から感動するが…

だが、占いや手相は意外と信じる。
なぜなら占いで過去を当てられたことがあるからだ。

もしその占いの内容が気になる方がいらしたらぜひ一つ、コメントを頂きたい。
というか、お話ししたいので。

どうだ、この変わりよう。
これを勇者ヨシヒコの仏みたいな立ち位置にいるやつが聞いていたら
「どっちも一緒だろ」と言ってハナクソあたりを投げられるだろう。

ちなみに、手相における親指の第一関節のシワが目のようにつながっていると「仏眼」と言って
霊感がある人を指すらしい。ワタシはあと2mmくらいで繋がりそうなところで離れている。

繰り返しではあるが、ワタシには霊感がない。

だから目に見えないものはあまり信じる事ができない。神様も含めて。

でも神様にはいてほしい。もっと言えば幽霊も。

そもそもなんでこんなことを考えるようになったのか?


人間が神様に「勝つ」時代


最近、大学の授業で歴史の勉強をしている。
無論、オンライン授業で。
教授からword2枚分にびっしり書かれたざっくりとした中世の世界史の内容を読み、
課題の問題に答えるというもの。

オンライン授業はワタシにとっては最高の授業環境だ。
時間が過ぎてもいい、逆に早く終わってもいい。
自分が調べたい内容を自分のペースで勉強ができる。
中世の「免罪符」を爆買いするドイツ人の話を聞いて、

「あの頃の人でも神様以外を信じるときがあるんだ…」

「ということは逆に今は神様を信じる時代に入るのか?」

なんて考えた末、このnoteを書いている。

一つ言えることは
いつの時代も「目に見えないもの」
人に与えられた素敵な自由であるということだ。

「どうしてこんなに上手くいかないの?」

「なんでいつもワタシだけひどい目に遭うの?」

『教えて神様!』

↑ワタシの部屋の神棚代わり


この話を母親にしたら「宗教の起源とかを勉強しちゃうとバカバカしくなるよね」と言った。

そんな母親は、自粛前までほぼ毎日神社に参拝しに行っていた。

揚げ足をとるような形になってしまったが、
母親の言葉はとても純粋だと思う。

ワタシも中学・高校生時代ある病気で苦しんでいたとき、毎年お祓いに行った。
受験シーズンには合格祈願もした。

これをすることにより、
ワタシがいま健康に生きられていることと
第一志望の大学に合格したというストーリーに
神様が加わる
ことになる。


お祓いにいかず、もしワタシが志望校を落ちていたら母親は心のどこかで
「神様にお祈りしておけば…」と思ったことだろう。

その思いはギリシア神話から、
何千年のときを経て受け継がれている。

これは人間がいつの時代にも作り上げた脚本だ。

学校で脚本の授業を受けたとき、
書く条件としてとして「手紙・道」を構成用紙に組み込みなさいと言われた。
それと同じだ。

条件「神様」だ。

このドラマはリアリティがあるな…と思うと
親近感が湧き、心に残るが、
たぶんそのドラマにもファンタジーはある。
ドラえもんなんて「リアリティ」と「ファンタジー」の権化だ。

それゆえ、ワタシたちが生きているこの現実にもファンタジーが必要神はその役割を担ってくれる。
立場的な逆転が起こっているが、そうなのだ。

つまり、ドラえもんは「神様」だ。


ー体調には気をつけてー

プロフィール:藤本たくま(19)
脚本家・演出家を目指している。
YouTubeチャンネル「19歳」開設予定。
神様は…いません。

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