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【舞台レビュー@ロンドン】英国ロイヤルバレエ団 フレデリック・アシュトンの『2羽の鳩』とリアム・スカーレットの『アスフォーデルの花畑』のミックスプログラム 

『スカーレットが受け継ぐロイヤルバレエの伝統』

――このプログラムは、アシュトンの伝統と演劇性が、どのように現在のロイヤルバレエのレパートリーと典型的なスタイルに続いているかを示すものである――(ロイヤルオペラハウス公式HPのbackgroundより引用和訳)

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これは2019年2月にロンドンのロイヤルオペラハウスで上演された、フレデリック・アシュトンの『2羽の鳩』とリアム・スカーレットの『アスフォーデルの花畑』のミックスプログラムの説明である。上演回数は2回と少なかったものの、ロイヤルが誇る振付家・アシュトンと、ロイヤル期待の若手振付家・スカーレットという豪華な組み合わせから、ロイヤル一押しのプログラムであることがわかる。しかし、アシュトンの伝統と演劇性が引き継がれていることを示すプログラムで、スカーレットを組み合わせることには少し違和感があった。なぜならロイヤルは一般的に、コメディバレエのアシュトンと人間の暗い内面を描き出すマクミランと、二項対立的に語られることが多く、この点においてはむしろ、スカーレットはマクミラン側の振付家だと思っていたからだ。(切り裂きジャック事件を題材にした『スゥイート・バイオレット』など題材の取り上げ方がマクミランの影響を受けているように思う。) しかし、今回の『アスフォーデルの花畑』を観ることで、この違和感は解消されることとなった。

『アスフォーデルの花畑』は、タイトルこそギリシャ神話に基づいているものの、明確な筋書きのない抽象バレエである。音楽はフランシス・プーランクの2台のためのピアノコンツェルト。衣装・舞台装置はスカーレットとタッグを組むことが多いジョン・マクファーレンが担当している。2010年の初演時にはラウラ・モレーラ、マリアネラ・ヌニェス、ルパート・ペンネファーザー、タマラ・ロホ、ベネット・ガートサイド、リカルド・セルベラなどのそうそうたるダンサーたちが踊った。翌年2011年に再演されたがそれ以来8年ぶりの上演となる。

スカーレットはロイヤルバレエの常任振付家である。(同じ常任振付家でも、日本では新国立劇場の『不思議の国のアリス』や劇団四季の『パリのアメリカ人』のクリストファー・ウィールドンの方が有名だろうか。) 元はロイヤルバレエスクール出身のダンサーで、2005年にダンサーとしてロイヤル・バレエに入団。しかし、スクール時代から既に振付の才能を見出されており、ロイヤル主催の振付ワークショップ用の作品などで経験をつんでいた。2010年、前・芸術監督のモニカ・メイソンが、ロイヤルバレエ用にメインステージの作品の振付を命じた。(メインステージでの振付は特別なことである。) その作品は大成功、弱冠24歳にしてナショナルダンスアワードのベストコレオグラフィー賞を受賞した。それが『アスフォーデルの花畑』である。

『アスフォーデルの花畑』は3つのデュエットで構成されている。デュエットごとに雰囲気は異なるものの、色味や装飾を押さえたシンプルな舞台セットと衣装、プーランクのピアノの透き通るような音色によって、一貫して神秘的でこの世とは思えない空気が会場に満ちていた。(この後に上演された『2羽の鳩』では一変して会場全体が笑い声であふれた。たった1晩で異なる雰囲気を楽しめるのがガラ公演やミックスプログラムの醍醐味だと思う。)

3つのデュエットは順に、マリアネラ・ヌニェスと平野亮一、ラウラ・モレーラとマシュー・ボール、ミーガン・グレース・ヒンキーとアクリ瑠嘉という、ベテランから若手まで経験値が様々なペアが踊った。彼女らリードペアの動きはもちろん、彼女らの動きに共鳴するように踊るコール・ド・バレエの群舞も印象的だった。

圧巻だったのは、モレーラとボールが踊った第2ムーブメントである。まず、スカーレットは非常に耳が良い。彼自身が「音楽は動きを生み出す」とインタビューで語る通り、音楽と踊りが1つに溶け合っているのを感じる。そもそもバレエは常に素晴らしい音楽とともにあった。踊りと音楽は切っても切り離せないものである。しかし、彼の作品はとりわけ踊りと音楽の関係性を考えさせられる。音の切り取り方がなんとも独特なのだ。主旋律のみならず、副旋律をなぞるような動きがあり、身体の動きを見ることではじめて「この曲にはこんな旋律もあったのか」と気づかされる。まさに音楽の視覚化である。

そんな音楽に合わせて繰り出されるムーブメントの1つ1つが息をのむほど美しい。基本的に脚のステップはクラシックの動きをベースにしているが、上半身の動きは独特に思える。力強くもありながらそのまま消えて行ってしまいそうで、細胞の一つ一つまでコントロールされた絶妙な動きが印象的だ。これを踊るモレーラの、波打つようになめらかな上半身の動きは美しく、観るものを魅了する。これほどまでにこの振付を踊り切るダンサーがいるのだろうか、とさえ思う。スカーレットのミューズとも言える存在であり、スカーレットが目指す踊りを体現できる貴重なダンサーである。

そして、音楽と溶け合い、独特で美しさにあふれた動きから、ロイヤルが大切にしている演劇性が生まれる。この作品に明確な筋書きは無いが、境が無いように溶け合った音楽と踊りをみると、観客は不思議と二人の関係性を想像させられる。また、第2ムーブメントの最後には、2人が静止し見つめ合う場面がある。さっきまで流れるように動いていた2人が急にぴたりと止まり、ただただプーランクの神秘的な音楽のみが流れる。別作品のリハーサルの際「目線1つでも伝わることがあるはずだ。」とスカーレットが語っていた通り、観客は見つめ合う二人の間にある感情や関係性を想像せずにはいられない。(目線のみで語るというのは、マクミランの『ロミオとジュリエット』のジュリエットの決意のシーンを思い出させる。)

ロイヤルはバレエにおける演劇性、つまり「言葉を使わずに物語ること」を追求しているバレエ団だ。そして、スカーレットはアシュトンやマクミランの伝統を受け継ぎながら、バレエの表現の可能性を切り開いていく期待の振付家なのである。

繰り返すが、今回のプログラムはロイヤルの起源とも言えるアシュトンの伝統と演劇性が現代にどのように引き継がれているかを示すものである。一見、客席から笑いが起きる程楽しいアシュトンの『2羽の鳩』と、観客が息をのみ劇場が静寂に包まれるスカーレットの『アスフォーデルの花畑』は、両極端のものを組み合わせたかのように思える。しかし、両作品の根底にあるのは「言葉を使わずにいかに物語るか」というバレエにおける演劇性の追求である。つまりこのプログラムは、アシュトンとマクミランという二項対立ではなく、バレエの表現の可能性を広げるという1本軸の元、アシュトンからマクミラン、マクミランからスカーレットへと伝統が受け継がれていることを示すものなのである。着実に伝統を受け継ぎ、ロイヤルバレエのみならず、バレエ自体の可能性を切り開いているスカーレットの作品が、日本でももっと上演されることを願うばかりだ。

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↑「アスフォーデルの花畑」

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同時上演された「二羽の鳩」

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