本宮悠希

心の赴くままに、詩、エッセイ、小説を書いています。文学、哲学、思想、キリスト教、仏教、…

本宮悠希

心の赴くままに、詩、エッセイ、小説を書いています。文学、哲学、思想、キリスト教、仏教、禅、LGBTQ、ダンスなど。気軽に絡んでください。 https://www.tsurezure-essay.jp/archives/03rd/05.html

記事一覧

「踊りなさい。自らを見失わないように」ピナ・バウシュ

ダンスとは、己れの深淵に通じること。

本宮悠希
2年前
6

暮らしの手帖ー花森安治と名もなき優しさ

ぼくは、戦争を知らない。ぼくの父親は、ぼんやりとかすかな記憶を有しているらしいが、ぼくの先生たちは、戦争を知らない。 ぼくの父親の母親は、つまりぼくの祖母は、か…

本宮悠希
3年前
13

生の深淵に臨むとき〜映画『アントキノイノチ』を観て

 死というものが、或いは死を含めた生が、悪臭を発し、醜態をさらすという事実を、私たちはもう長いこと、忘れてしまっている。 死後、数週間、あるいは数ヵ月、放置され…

本宮悠希
3年前
15

巨岩をめぐる、ある小さな旅日記

東京を旅立って、はや一週間。今朝は、朝陽が、その姿を現す前に早々と起き出し、薄靄の中を冷気に肌身を冷やされながら、小さな山門にたどり着いた。   数十分をかけて…

本宮悠希
3年前
13

トンボ

小学生の夏休みには、長野県、蓼科で、昆虫採集をして過ごした。あの頃は、まだ、青空にトンボが数限りなく棲息していて、その種類も豊富だった。ぼくは、毎日、トンボを追…

本宮悠希
3年前
8

「私の書くものは随筆で、文字通り筆に随うまでの事で、物を書く前に、計画的に考えてみるという事を、私は、殆どした事がない。筆を動かしてみないと、考えは浮ばぬし、進展もしない」(小林秀雄)

小林秀雄にとっての書き物は、手仕事であったのだろうし、私にも少なからぬこうした傾向がある。

本宮悠希
3年前
6

老婦人の微笑

林のなかに、ひっそりと佇む小さな療養所があった。あるひとは、言った。死を待つ家だ、と。僕が、その家に通うようになったのはどのような由縁だったか。今となっては、定…

本宮悠希
3年前
13

なにひとつきちんと調整されていない。われわれの世界を作っている歯車は、互いにうまく噛み合っていない。問題なのは個々の部品ではなく、それらを正確に組み合わせる時計師だ。時計師がいないのだ。サン=テグジュペリ『戦う操縦士』

本宮悠希
3年前
5

「神にはことばはない。ただそれとなき音ずれによって、その気配が察せられるのみである。神意はその音ずれによって推し測るほかはない。これを推し測ることを意という。」(白川静)

本宮悠希
3年前
5

誰もいないカフェで、ひとり詩を描いていた。透明な心に響きわたる音のないおとを、形のないかたちを、匂いのないにおいを、コトバにのせたい。

本宮悠希
3年前
7

「名声とは、一つの新しい名前のまわりに集まるあらゆる誤解の総括に過ぎない」リルケ

本宮悠希
3年前
2

「神は沈黙によって最もよく敬われ、無知によって最もよく知られ、否定によって最もよく説かれる」聖アウグスティヌス

本宮悠希
3年前
14

ものを書くには、すこしの淋しさと悲しみが伴わなければいけない。ひとりであることの切なる美を、その余白に残さねばならない。

本宮悠希
3年前
12

ひとが亡くなるということは、どこまでも流れゆく水流のような気がしてならない。それは、濁流のこともあれば、小川のようなこともある。大嵐に打たれて荒れ狂う激流のこともあるだろう。しかしいつしか流れ去るものなのである。たましいに小さな灯火のような愛をのこして。

本宮悠希
3年前
11

痛みという最も孤独な経験が共感を生み、愛を生み出すのです。つまり自己と他者との架け橋、交流の絆を。芸術に関しても同じ事です。自分自身の内奥に最も深く入っていくーこの苦痛に満ちた旅を成し遂げる芸術家こそ、私達の心に最も密接に触れ、最もはっきりと語りかける芸術家なのです。ル=グウィン

本宮悠希
3年前
15

余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。夏目漱石『草枕』

本宮悠希
3年前
13

「踊りなさい。自らを見失わないように」ピナ・バウシュ

ダンスとは、己れの深淵に通じること。

暮らしの手帖ー花森安治と名もなき優しさ

暮らしの手帖ー花森安治と名もなき優しさ

ぼくは、戦争を知らない。ぼくの父親は、ぼんやりとかすかな記憶を有しているらしいが、ぼくの先生たちは、戦争を知らない。
ぼくの父親の母親は、つまりぼくの祖母は、かつてぼくにこう語った。
おまえのお父ちゃんを背中にしょって、空襲で燃え上がる東京を走ったんだよ。
ぼくは、東京大空襲を、写真で見、映像で見、そして焼け野原になったぼくの故郷に想いを馳せた。
そこからの復興。高度成長期。
そうした中、ぼくたち

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生の深淵に臨むとき〜映画『アントキノイノチ』を観て

生の深淵に臨むとき〜映画『アントキノイノチ』を観て

 死というものが、或いは死を含めた生が、悪臭を発し、醜態をさらすという事実を、私たちはもう長いこと、忘れてしまっている。 死後、数週間、あるいは数ヵ月、放置された遺体は、そうした事実を、言葉を失った微塵も動かぬ身をもって、静謐に語り尽くすのだ。しかしその語りは、異臭を排し、汚物を追いやる、都会という空間にあっては、闇に消されるという運命をたどるしかない。
 映画「アントキノイノチ」は、孤独死のた

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巨岩をめぐる、ある小さな旅日記

巨岩をめぐる、ある小さな旅日記

東京を旅立って、はや一週間。今朝は、朝陽が、その姿を現す前に早々と起き出し、薄靄の中を冷気に肌身を冷やされながら、小さな山門にたどり着いた。 
 数十分をかけて急な山道を登りきると、注連縄を括られた巨岩群が現われた。木々に覆われたその場所は薄暗く、湿り気を帯びた空気が辺り一面に満ちている。とても人間が運び上げたとは思えない、その巨岩を誰が持ち上げたのか。その謎は、土地の伝説となって、老人から子ども

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トンボ

トンボ

小学生の夏休みには、長野県、蓼科で、昆虫採集をして過ごした。あの頃は、まだ、青空にトンボが数限りなく棲息していて、その種類も豊富だった。ぼくは、毎日、トンボを追いかけて、湖畔を駆けずり回ったものだ。運が良ければ、大型のオニヤンマも捕まえた。たまには、アゲハチョウやモンシロチョウ、カラスアゲハなどの蝶たちも標的にしたが、トンボの方が断然、面白かった。
 夕暮れにもなれば、虫籠は、トンボで、溢れかえっ

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「私の書くものは随筆で、文字通り筆に随うまでの事で、物を書く前に、計画的に考えてみるという事を、私は、殆どした事がない。筆を動かしてみないと、考えは浮ばぬし、進展もしない」(小林秀雄)

小林秀雄にとっての書き物は、手仕事であったのだろうし、私にも少なからぬこうした傾向がある。

老婦人の微笑

老婦人の微笑

林のなかに、ひっそりと佇む小さな療養所があった。あるひとは、言った。死を待つ家だ、と。僕が、その家に通うようになったのはどのような由縁だったか。今となっては、定かでない。
朝の冷気がまだ肌に染み入るころ、僕は、その療養所への道を急いだ。小走りに回り込んで、とびらを開ける。ふと、エタノールの香りが鼻についた。
この療養所で、僕は、ひとりの老婦人と出逢った。彼女は、世界大戦で、夫を亡くして以来、息子を

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なにひとつきちんと調整されていない。われわれの世界を作っている歯車は、互いにうまく噛み合っていない。問題なのは個々の部品ではなく、それらを正確に組み合わせる時計師だ。時計師がいないのだ。サン=テグジュペリ『戦う操縦士』

「神にはことばはない。ただそれとなき音ずれによって、その気配が察せられるのみである。神意はその音ずれによって推し測るほかはない。これを推し測ることを意という。」(白川静)

誰もいないカフェで、ひとり詩を描いていた。透明な心に響きわたる音のないおとを、形のないかたちを、匂いのないにおいを、コトバにのせたい。

「名声とは、一つの新しい名前のまわりに集まるあらゆる誤解の総括に過ぎない」リルケ

「神は沈黙によって最もよく敬われ、無知によって最もよく知られ、否定によって最もよく説かれる」聖アウグスティヌス

ものを書くには、すこしの淋しさと悲しみが伴わなければいけない。ひとりであることの切なる美を、その余白に残さねばならない。

ひとが亡くなるということは、どこまでも流れゆく水流のような気がしてならない。それは、濁流のこともあれば、小川のようなこともある。大嵐に打たれて荒れ狂う激流のこともあるだろう。しかしいつしか流れ去るものなのである。たましいに小さな灯火のような愛をのこして。

痛みという最も孤独な経験が共感を生み、愛を生み出すのです。つまり自己と他者との架け橋、交流の絆を。芸術に関しても同じ事です。自分自身の内奥に最も深く入っていくーこの苦痛に満ちた旅を成し遂げる芸術家こそ、私達の心に最も密接に触れ、最もはっきりと語りかける芸術家なのです。ル=グウィン

余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。夏目漱石『草枕』