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巨岩をめぐる、ある小さな旅日記

東京を旅立って、はや一週間。今朝は、朝陽が、その姿を現す前に早々と起き出し、薄靄の中を冷気に肌身を冷やされながら、小さな山門にたどり着いた。 
 数十分をかけて急な山道を登りきると、注連縄を括られた巨岩群が現われた。木々に覆われたその場所は薄暗く、湿り気を帯びた空気が辺り一面に満ちている。とても人間が運び上げたとは思えない、その巨岩を誰が持ち上げたのか。その謎は、土地の伝説となって、老人から子どもたちへと語り伝えられてきたという。
 ふと、巨岩の手前を見下ろすと、小さな茶碗が置かれていた。それは、この巨岩に降り立った神々への供物だと考えられるだろう。霊石、霊樹、湧き水………。古来から、そうした自然物を依代として神が降りるという信仰は、日本各地、いや世界各地に拡がっている。神殿のような立派な建造物を要さず、言語化された教義を持たず、吹き上がる自然の息吹に霊気を重ね、超越的な存在との交信を行う「原初」の人々が、そこに居た。
 依代として祀られる巨岩、大樹の周辺には、人工的な手が加えられることを嫌い、ぽっかりとした空白地帯が出来上がっていることが多い。その場所は、世俗の意味付けや価値基準、ヒエラルキーを受け付けず、完全な自由空間として保たれているのである。神々の前での平等が実現される領域だとも考えられるかもしれない。
 巨岩への参拝を終え、なだらかな坂を下り始めた。朝露を受けて潤った緑が、瑞々しい。髪を揺らす風も、爽やかだ。衣食住といった日常の雑事を、ひとたび休止し、こうして旅をめぐる日々では、まるで身も心も軽やかに変容していくかのようだった。





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