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暮らしの手帖ー花森安治と名もなき優しさ

ぼくは、戦争を知らない。ぼくの父親は、ぼんやりとかすかな記憶を有しているらしいが、ぼくの先生たちは、戦争を知らない。
ぼくの父親の母親は、つまりぼくの祖母は、かつてぼくにこう語った。
おまえのお父ちゃんを背中にしょって、空襲で燃え上がる東京を走ったんだよ。
ぼくは、東京大空襲を、写真で見、映像で見、そして焼け野原になったぼくの故郷に想いを馳せた。
そこからの復興。高度成長期。
そうした中、ぼくたちの母親の世代を喜ばせ、力づけた雑誌がある。それが、『暮らしの手帖』だ。
30年間という長きにわたって、その編集長を勤めたひとが、花森安治。
女性のための、暮らしの雑誌を創刊した。
花森安治は、編集長でありながら、表紙画も担当したそうだ。
はじめは、クレパスを握って、日常的な、いや超日常的な、街並みや人びとを描いた。そして、1950年代後半になると、花森安治は、写真を多用するようになる。
シュールなクレパス画であろうと、クールな写真であろうと、花森安治は、常に日常から離れたことはなかった。日々の食材、生活を取り巻く家具、女性たちの横顔。
幸せは、どこか遠くに出かけて探しあてるものではない。今ここの、この暮らしのなかに、ひっそりと潜んでいることを、さりげなく表現しているかのようだ。
ぼくたちの時代のように、海外旅行が身近であったわけでもなく、世界をつなぐインターネットが生活や仕事の中心でもなかった時代。
人びとが容易に手を触れられるものは、リンゴ箱だったり、ミカン箱だったり。花森安治は、それらを使って、簡単に制作できる家具の作り方を紹介した。あるいはまだ日本人には馴染みのなかったヨーロッパのドレッシングをかわいらしく擬人化して絵入りで伝えた。
小さな幸せ。でも、はっと息を飲むほどに美しい幸せ。
しかし、花森安治は、幸せばかりを表現し、伝えたわけではない。市井の人びとの苦しい暮らしや、若者の前に立ちはだかる重く冷たい扉の存在をも、躊躇うことなく、言葉にした。
雑誌に、思いやりと優しさをそっとひそませた編集長、それが花森安治なのだろうと、ぼくは結論つけた。

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