膨れ上がったキーケース
彼女のキーケースには、いくつもの鍵がぶら下がっている。
一つ目は彼女が住む家の鍵で、二つ目は彼女の実家の鍵で、三つ目は彼女の自転車の鍵で、それ以降を、僕は知らない。
「君はなぜそんなに沢山、鍵を持っているの」
さりげないふりをした僕に、彼女は困ったような、笑ったような顔を見せる。
「使ってみるといいわ」
「どこで使えるのさ」
「教えてあげる」
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「これはね、幼い頃に、わたしと、わたしの両親が暮らした家の鍵。最初で最後だった、三人の家。
これはね、中学校のクラスメイトとやっていた交換日記の鍵。仲間外れにされないための鍵。
これはね、昔よく遊んだ男友達から貰った合鍵。女の子は合鍵なんかくれないでしょ、男から貰うしかないの。
これはね、わたしの携帯電話の鍵。ただ数字が並んでいるだけ。わたし、なんの意味も持たないこの数字の羅列をね、毎日毎日、意味もなく入力するの。
全部あなたにあげる、使ってみてちょうだい」
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目は口ほどに物を言う、とはよく言ったもので、彼女の口角は上がっているのに、目が潤んでいる。
「使うったって、どれも僕には使えないじゃないか、それどころか、君にすら使えないものもある」
「わたしには使えないの、でも、あなたは使える」
「なにが言いたいのさ」
「あなたは、こんなに沢山の鍵をぶら下げなくても、進んでいけるでしょう。
あなたを守ってくれた鍵を置いて、次の鍵を探しにいけるでしょう。
わたしはね、これがないと駄目になるの。
増えていくばかりの、ジャラジャラと音を立てている、この、しがらみたちを、どこに置いていけばいいのか分からない。
もしもあなたが、わたしが捨てられない、この沢山の鍵を引き受けてくれるなら、やっとわたしは鍵を捨てられる。
きっとそうだわ」
「そんなこと、僕に出来やしないよ」
彼女はふたたび笑った。口元だけでなく、目元も笑っている。
「そうよ、そうなのよ。誰にもそんなこと、出来やしない。
だからわたし、この鍵で全身を埋め尽くすの。
内側から鍵をかけてしまえば、誰にも見つけられない」
「…君は、僕を軽蔑する?」
「いいえ、あなたは正しいはずよ」
きっと今、また一つ、彼女の鍵は増えた。
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