発達障害は当事者も親も気づかない?!②[再掲載]
過去記事を編集して、再掲載しています。続きものですので、しばらくお付き合い下さいませ。
(ΦωΦ)猫写真は最新ですので、過去記事ですが写真だけでもお楽しみ下さい。
前回のお話は↑こちら
発達障害についての検査をクリニックに予約してから、受診するまでに何日か待ちましたし、検査を受けてから診断にいたるまでも結構な日数がかかりました。
そんな折に起こった、登校時のパニック。集団登校は断念し、誤学習の学び直しをしながら、わずかな一歩でもと共に歩んでいた頃のお話しはこちら↓
診断結果を待つ間に私は、発達障害の本やネットの情報などを読み漁り、息子との共通点があるのか?どこかに当てはまるのか?そんなことばかりを考えていました。ですが、専門家でもないただの母親には、本を読んでもわからないものです。発達障害以外の様々な情報も集めてみましたが、やっぱりよくわからない。そんな中で、もしかすると、ADHD は当てはまるような気がするかな?とは思いました。
検査結果は
ASD (アスペルガー)とADHD の合併
その診断に私は、『え??ASD ?全然わからない。どこが?ADHD はなんとなくわかる。でも、ASD ?わからない…え?えー?』
と???はてなマークでいっぱいになりました。
いろいろな所で見かける、お母さん達の体験談に
『診断がついてほっとした』
『私のせいじゃなかった』
そんな話を見かけますが、私の頭は、?はてなマークで埋め尽くされていて、ほっとする事も、私のせいじゃなかったと思う事もありませんでした。
むしろ、『私は、彼の何を見てきたのだろうか…?親の欲目と言うことか…?それとも発達障害と言う障害の重みを避けたかったからか…?』と問い続けるしかありませんでした。
クリニックでは、診断がついた子どもを持つ親の為、講習会を受講することになっていて、発達障害への理解を深める勉強をする機会がありました。第一回目、ASD についての講習会に夫と一緒に参加した所、なんと、夫が
『俺の事だ、俺は全くこれだ。俺の事を言ってる』
そう言って、グループディスカッションの場で
『どうやら私はASD のようです。今日は大変勉強になりました。』
と発表するではありませんか!
またしても、私の頭は
『え?え?え~!???』
はてなマークばかりです。
講習会では、自閉症の世界の見え方と言う映像を見て理解を深めるセクションがありました。とても視野が狭くなったり、あちこちに狭くピンポイントの視野になったりして、とても見にくいし、不便の多い世界観だなと私は感じたのですが、主人に聞いてみた所、
『他の人はこうじゃなかったのか。知らなかった。みんなそうだと思っていた。』
と言うのです。そうか。本人だって、自分が基準なんだから、他と比べたり、他のパターンを知らなかったりすれば、まるで気がつかないものなのかもしれない。みんな自分が当たり前のように見ている世界を、疑ってみることはないだろうし。これは、気がつかないはずだ。だとすると、ものすごい人数いるのかもしれない。そう思ったのでした。
今は息子と夫が、ASD だと分かりますが、その当時の私には、それはASDの世界観なんだと言うことが全く分からなかったのです。年中の頃に受けた発達検査で感じた、人物を見ない触れないその違和感は、ASD の特性からくるものだったのでしょう。それでも、保険センターに居た医師や保健師、保育士にも分からなかった。児童センターの臨床心理士にも分からなかった
サリーとアンと言う発達テストを2択のミラクルウルトラスーパーまぐれで通過してしまった事も、気がつかれない原因だったと思います。
それから、もう一つ。息子の場合、上手くいかない相手と、別になんともないもしくは、特別問題にならない相手が存在していました。
年少までは、問題にならない相手としか接点が無かったから分からなかった。年中ではじめて、新しい環境と上手くいかない相手に出合って、かんしゃくを起こした。ところが、年長では上手く行った。そしてまた、一年生では、新しい環境と上手くいかない相手に出合ってしまった。
この流れを、診断前の段階で、発達障害だと気がつく事はできなかった。先生との相性が悪かったかな?とか、新しい環境に馴染むのが苦手なのかな?とか。それくらいしか私には想像できなかったのです。
今考えると、相性の悪かった先生のパターンは、はっきりしています。息子にとってだけではなく、定型発達の方でも苦手な人も多いと思います。この二人の先生は、
『~ねばならない』
『~あるべき』
そう言う思いの強い先生でした。はみ出し者をつくるように設定されてしまっていて、はみ出し者に逃げ場が無い。かんしゃくを起こさないで居られる人でも、きっとはみ出し者になってしまえば精神的な異常が現れると思います。
この、はみ出し者をつくるように設定されている状況というのは、何も学校などの集団生活だけに限った事ではなく、社会の中にたくさん存在していますが、逃げ場か無い。これが学校生活、集団生活において最も辛く、特に子どもの時代は、子どもの力ではどうにも変えられない。苦痛でしかない。という現実が子どもたちをどんどん追い詰めてしまいます。
そんな状況で発達障害と言う診断が、一筋の光であったことは間違いありません。
『発達障害の人がが増えている』と言われていますが、ただ、これまで気がつかなかった人達が、気がついてもらえる、もしくは自ら気がつくきっかけが増えてきたから、診断がつくようになった。と言う事なのだと思っています。もしかすると、もともとそれほどマイノリティではないのかもしれない。そう思ってしまうのでした。
~To be continued~
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