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選択肢は作ったっていい

先日、聞いた話しにとても違和感を持った。というか、前からここではずっとそうだったのだろうけど、今も変わらないし、これからも変わらないようだ。

高校生の息子さんがいる友人が、2年生の今の時点で就職か進学かを決めなくてはならない。そして、コロナの影響で就職の道がかなり壊滅的だから、もう進学するしか無いと話してくれた。

なんか、デジャヴュ。私が高校生だった頃、バブル崩壊後の氷河期も同じだった。状況は違うかもしれないけれど、大人が言うことというのはちっとも変わらないんだと残念にも感じたし、高校という進学の通過点であり、社会への入口である岐路に立たされたとき、そういう考え方になるのは当然なのかもしれない。

私は息子たちに同じことを伝えたいとは思えなかった。

夕食を食べながら、息子たちと話をしてみた。

高校生のお兄さんの話をしてから、私は息子たちに思っていることを伝えた。

『これから先、あなたたちは様々な事を決めなくてはならない時がやってくる。そんな時、大人たちはきっと選択肢を用意して、さあ、どれにする?と迫ってくるはず。それがお母さんかもしれないし、学校かもしれないし、お父さんかもしれないし、先生かもしれないし、見知らぬ大人かもしれない。あなたたちは、かならずしも、その選択肢の中から自分の答えを選ぶ必要は無いと言う事を忘れないでほしい。選択を迫られたとき、その選択肢以外の方法を考え出してもいいし、選択しないことを選んでもいい、もちろん選択肢の中から選んでもいい。重要なことは、自分で選択できたのかどうか。誰かの用意した選択肢を選ばされて、文句を言いながら、誰かや何かのせいにして生きるのはとても苦しい事だから。そして、お母さんは、あなた達が自分で選択した道を必ず応援するからね!』

そんな話をしてみた。

次男『オタクになる!とかだっていいじゃん(о´∀`о)』

私『いいぞいいぞ!そいつぁ楽しそうだ。』

長男『中学生まではもう決まってるもんなぁ。そこから先はまぁなんか決めるよ』

私『就職か進学か、もっと他にもあったって全然いいんだよ。自分で何かを始めてみればいいし、両方やったっていい。放浪の旅に出たっていいじゃん。何をして生きていくのかは大人が勝手に決めるようなものじゃないんだから』

恐らく、子どもたちにとって、選択肢を出されて選択するほうが何百倍、いや何千倍、何万倍も楽だろうけれど、その楽を取ってしまえば、必ず苦しみも同じ倍率でやってくる。

大志をいだけとは思わないけど、自分で選択して責任と満足を感じられる人生であってほしいなと願っている。親の願い通りに子どもは育たないから、後に恨み節をネットにさらされる日が来るかもしれないけど(*゚∀゚)まぁそれも人生の醍醐味ということで受け入れよう。

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