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大事な人を傷つけないための備忘録

私は2年弱付き合った彼氏と最近お別れをした。

すごく好きだったけれど、今は復縁をしたいと思わないし、別れてよかったなと思っている。
そう思う理由は、別れてから自分の行動とか考え方とかを見直していくうちに、このまま一緒にいても幸せにはなれなかっただろうなと思うから。

今思えばもっとこうすればよかったなと思うことがたくさんあるけど、決して後悔しているわけではない。
私は私なりに彼のことを大事にしようと思っていたし、私にできる最大限がこれだったというだけ。

でも、せっかくなら学んだことを次に生かしていきたい。
次に出会う人をもう傷つけないために。そして自分が幸せになるために。


反省点を挙げてみる


まずは、思いつく限り私のよくなかったところ、彼と合わなかったところを書き出してみる。

・うまく課題解決のための話し合いができなかった。
・コミュニケーションが不足していた。
・自分の人の気持ちを深読みしてしまう私の性格と人の感情に疎い彼とのギャップ。
・将来像の違い。
・私と彼のコンプレックスの領域が近かった。
・いつの間にか評価者的な考えをするようになってしまっていた。
・環境の変化が大きかった。
・自分の軸が見えなくなってしまっていた。

などなど、、まぁよくある話というわけです。
これはあくまで私が感じているものなので、本当にこれが原因かはわからないが少なくとも私はこれらのことが問題だったと感じている。

これから3つに分けてこれらの別れた原因とその改善策について考えていこうと思う。

①もっとシンプルに恋愛すればよかった

大体の恋愛の始まりはシンプルだと思う。
基本的に考えることは自分が相手のことを好きかそうではないか、そして相手が自分のことを好きかそうではないか。
もちろん例外はたくさんあると思うが、私たちの場合はそうだった。

それなのに年月が経つにつれて、考えることが増えていって、どんどん複雑な感情になってくる。
そのせいでいつの間にか関係がこじれてくる。
その問題解決にかける労力と恋愛感情を比較して、どちらかが問題解決にかける労力が面倒だと思ったときに別れを選択するというパターンが多いのではないだろうか。

付き合い始めたころは、当たり前だけどお互いの表面的な部分しか見えていない。
もし、価値観の相違があったとしても、それは盛り上がりを見せる感情の高ぶりの裏に隠され、根拠もなくいつか解決するものだと思い込んでしまう。

しかし、時間が経つにつれて、どんどん相手の知らなかった一面が見えてくる。
そして、将来のことを考え始める。

これは誰もが通る過程で決して悪いことではない。
しかし、ここで私が問題だったことは評価者的な立場で相手を見てしまっていたということだ。

私のようにに考えすぎてしまう人間はどうしてもその節があると思うが、行動の裏に隠された感情を深読みしてしまい、被害妄想的になってしまう。

例えば、

最近飲み会によく行くようになったな→きっと私に対する関心が落ちているんだろうな→連絡したら迷惑だろうな→LINEの返信遅くしよう、、

のように勝手に脳内で変換されていく。
もちろん相手の状況に応じての配慮は必要だと思うが、それを続けているとLINEをすること、電話をかけること、休日に会おうと誘うことがなんだか悪いことをしているように思えてくる。

そうすると自分が勝手に判断して控えているだけなのに、どんどん相手に不満がたまっていく。
そしてきっとそういった負の感情は相手にも伝わっている。

それに結婚なんて意識し始めるとなおのこと。
最初は相手を楽しませたい、幸せにしたいから始まった恋愛がこの人は自分に何をしてくれるか、結婚したらどんな問題があるのかを想像するようになる。
そこでいい家族のイメージを持てればいいのだろうけど、結婚というのはお互いの家庭環境、金銭感覚、生活リズム、居住地、仕事に関する考え方など考慮するところがあまりに多すぎる。
もちろん長く付き合ううえですり合わせが必要なのは間違いないと思うが、根底にあった相手を幸せにしたいという気持ちを忘れないようにしていきたい。

将来の不安を考えてしまうばかりで、今目の前の幸せに無頓着になってしまったら意味がない。
今の幸せの積み重ねに幸せな未来がある。
だから、もっとシンプルにまずは今の幸せを考えて、そして将来の不安は勝手に想像するのではなく一緒に考えていけるような関係であるべきだった。

②輝いている自分でいるためには

私は彼に振られたときの言葉でとても心に残っているものがある。
それは、私のどこを好きになったのかという話をしたときに発せられた、
「昔はもっと輝いていた」という言葉だ。

この言葉、ひどいこと言うなぁと思ったけど、なんかすぐ言いたいことが腑に落ちた。
むしろ私はこの言葉があったから、別れを納得感をもって受け入れられているような気がする。

では、私はなぜ輝いていないと思われるようになってしまったのだろうか。

一つ目は環境の変化。
私たちが出会ったときはお互い大学生だった。
私は就職先が決まり、バイトをしたり、友達と旅行をしたり、新生活の準備をしたり、最後のモラトリアムを謳歌していた。

一方彼は、大学院に進学することが決まり、勉強は忙しそうではあったが、今に比べると余裕がある生活だったように見えた。

今は私は社会人、彼は大学院生ながらもインターンでフルタイムで働くようになっていた。

この2年間お互いの環境の変化が大きかった。
いや、私は社会人にこそなったが実際の環境はそんなに変わっていなかった。

私は仕事にやりがいを感じられていなかったし、職場の人とは必要最低限の会話しかしない。
交友関係は大学時代から全く広がっていないどころか、バイト先の人たちとは仲が良かったので楽しく会話ができる人の数で言うとむしろ少なくなった。

一方彼は、この2年間でいろいろな経験をしていた。
留学して海外の友人を作ったり、インターンでいろいろな会社で経験を積んだり。

付き合ったときは正直彼はあまり友達が多い方ではなく、仲のいい友人はなんとなく把握していた。
しかし、最近は交友関係が広がって全然把握していなかった。

それにすごく頭のいい人だったから、周りの人はみんな努力家でいろいろな経験をしていて、きっとキラキラしている人ばかりだったんだろう。

別れる前最後の1か月、彼は職を変え、これまでよりもずっと刺激的な環境で働くようになった。
お金を稼ぐようになり、意識も高くなっていった。

私は普通に生きているつもりでも、彼はどんどん私の知らない世界に行ってしまった。

正直、そんな人たちとキラキラ度で勝負したら勝てるわけがない。
だから、ここに関しては仕方ない、というか、彼に合う人と一緒にいた方が彼のためだと思うから、受け入れるしかないのだと思う。

二つ目に、私が自分の軸がなかったこと。
私は昔から、趣味も夢も、あんまりない。
楽しいと思えることはたくさんあるが、熱中するかと言えばそうではないし、彼より優先したいと思うことは何もなかった。

私は昔から、自分のやりたいことがないことを悩んでいた。
だから、仕事もなんとなくで選んで、興味を持てずにいる。

でも、彼は小さいころから好きなものがあって、それを仕事にできていて、それにそのレベルの高さを大勢の人に認められていた。

そんな彼を尊敬していたけれど、どこかで競争心のようなものがあって、なににも興味のない私の努力の矛先は彼に馬鹿にされないようになにかしないと、とか充実してないと思われたくないからなにかしよう、といった彼基準のものになっていった。

私だって、なにかに熱中していたかった。
趣味もいろいろ試してみた。でも意外と見つけようと思って趣味は見つけられないものなのだ。

そして、自分軸でない努力は結構苦しい。
彼にこう思われたい!というポジティブなものならまだいいが、私のようになんとか見下されないようにしようという努力は余計に苦しくなる。

でも、振り返ってみると、具体的にこれを頑張ったという大きなものはあまりなくて、すべて中途半端だった。

今思えば、自分のために、自分に必要な努力をしていればよかったんだろうと思う。
比較して少しでも追いつこうとするのではなく、自分の土俵で輝けるように努力するべきだった。

だいぶ手遅れではあるが、別れ際の「昔はもっと輝いてた」という言葉でようやくこれに気が付いた。
彼は、ただバイトをして、友達と遊んでいるだけだったころの私を好きになってくれて、それを輝いていると評価してくれていた。
だから私は自分らしく生きていればきっとそれでよかった。

自分の軸を持っていないと、他の誰かの価値観に染まってしまう。
そうすると本来自分が持っていた魅力が失われていってしまうから、自分を一番の基準にして生きられるように方法を模索していきたい。

③相手の幸せを願える自分になりたい

これが私の今の一番の課題。
次の相手が見つかっても、これができなければ私はずっと失敗を繰り返すだけだと思う。

私は決して彼に不幸になってほしいとは思っていなかった。
でも、彼が思い描く未来や彼の成長を心から応援できなかった。

彼は、自分が優れた人間であること、そしてそれを証明するためのお金やものに執着しているように見えた。

将来の話をした時も、彼はお金持ちになってタワマンに住みたいと言った。
でも、私は自分の職業的にそんなに裕福な暮らしはできないので、郊外住んでペットでも買って幸せに暮らしたいと言った。

このようなことの積み重ねで、彼は価値観の違いを感じ、別れを選ぶ一つの理由になったんだろう。
確かに将来に対する価値観の違いは、大きな問題であるが、これだけだったらお互いに妥協点を探していくことで解決ができたのかもしれない。

問題なのは、価値観の違いそのものではなく、彼がそんなキラキラした生活をしたいと話すとき、私は嫌そうな顔をしてしまっていたことがあるということだ。
きっと、彼は豪華な生活をしたいと見栄を張っている自分に対して嫌な気持ちになっていると思っているんだろうが、私の考えはそうではなかった。

私が彼の思い描く未来を応援できなかった理由は3つある。

一つ目は、彼の思い描く未来に私がいないことが明確だったから。
おこがましいのかもしれないが、恋人である以上将来の話をするときは私がいる未来を想像してほしかった。
仕事のことはすごく考えているのに、私との将来は全く考えていないようで、悲しくなった。
それに、自らの自己肯定感の低さも相まって、彼の理想のキラキラした生活をするためにはもっとスペックの高い人がいいんじゃないかって思ってしまっていた。

私は全くお金がないわけではないが、あくまで平均的な給料なので、そんなキラキラした世界で生きていくような人間ではない。
それで、私自身も彼と一緒に過ごしていく自信がなくなってしまった。

二つ目は、お金を持つことで変わってしまうのが怖かった。
彼は普段は女性が少ない環境にいるし、信用していたので、浮気の心配はしていなかった。
でも、社会に出てお金を持ったら、お金やスペックにたくさん人が寄ってくるのではないかと心配になった。

実際彼は少し変わっていった。
お金を稼げるようになってから、ジムに行ったり、脱毛をしたり、なんかすごく自分を磨くようになった。
美意識が高くなることは別によかった。
でも昔は私のためにイケメンになると言ってくれていたのに、最近の彼は私のためではなく外に意識が向いているのが分かったから、少し寂しかった。

でも、成長していることに文句を言われることをすごく嫌がる人だったから、できるだけ何も言わないようにした。
彼自身はいい変化だと思っているのだろうが、私はその変化を喜べなかった。

三つ目は、私とコンプレックスの領域が近かったこと。
先ほど言った通り、私は平凡で幸せな家庭を築ければそれでいいと彼に話した。
これは本心だけど、少しだけ嘘だった。

私は正直中学生までは相対的に頭がよかった。
まぁ田舎に住んでいたのでただの井の中の蛙というものなんだけれど。

中学校でも塾でも基本全部一番だった。
そして、それが自分のアイデンティティだった。

正直勉強は好きではなかったし、この高校に行きたい!という強い意志はなかったが、私は一番じゃないと嫌だった。

それは単純に自分が負けず嫌いだったということにも起因するが、一番は母親の影響だったと今となっては思う。

私の母は当時あまり体調がよくなく、休職をしたり、家にいるときも自室に引きこもっていた。父は仕事柄あまり家にいなかったし、無口だったのであまりしゃべることもなかった。

中学生になるまで自分が勉強ができる方だと思っていなかったが、中学校で一番最初のテストを受けたら学年で一番だった。
それから母は私のことを勉強ができて、誇らしい存在だと扱った。

テストの返却が当時の母と私の数少ないコミュニケーションだったから、当時の私は母親に失望されたくないという思いで勉強をしていたような気がする。

そこから、中学三年生までほとんど学校では一番だったし、県で1,2を争う進学校の模試の判定は大体A判定だった。

しかし、私も、先生も、親も全員が絶対受かるだろうと思っていたのに、高校受験の結果は不合格だった。
私はそこで、自分よりも勉強ができる人がいくらでもいるということを思い知る。

合格発表より前に、解答速報を見た時点で落ちてるだろうと思っていたけど、そんなこと親に言えるわけがなかった。

母親と合格発表を見に行ったとき、私の番号はやっぱりなかった。
分かっていたので大して落ち込まなかったが、母が、うちの子が落ちるわけないのに、、と言って泣いているのを見るのがただ苦しかった。

そこから、なんとなくで併願していた私立高校に通った。
一番にこだわっていたから、もう高校に入って勉強のやる気は完全になくなった。

と言ってもかなりランクを落とした高校に入学したから運よく指定校推薦を取ることができた。
当時の自分の実力にしたら十分の学校だったけど、自分が勉強から逃げたこと、自分の実力ではないのに大学が決まったことが悔しくてなぜか泣いた。

私も、昔はお金持ちになって、誰もが羨むような生活をしたいと思っていた。
だけど、所謂普通の人生を送っている私がそんなことを言うのは恥ずかしいと思って、私の理想像は普通の家庭になった。
それは今となっては嘘じゃない。

でも、彼は私が昔思い描いていた理想の暮らしを今も追い求められている。
自分の価値がいろんな人に認められている。
そんな彼がうらやましかった。

それに、彼はあまり良い生育環境ではなかったが、ずっと努力を続けていた。
私がちょっとのきっかけで諦めてしまったことを成し遂げている。それも私よりもずっとずっと高いレベルで。
それがなんだかずっと私のコンプレックスを刺激していた。

それに、私のこれまでを思い返すと、勉強ができる自分だから愛してもらえるんだ、といった認知の歪みがあったんだろうと思う。
だから、彼に対してもこんなにスペックが低い自分を愛してくれないんじゃないかという不安がずっとあった。


そして、私の認知の歪みの原因はきっと家庭環境にも起因する。
私の母と父は離婚しているのだが、私が幼いころから仲が悪かった。
小さい頃は喧嘩もしていたようだったけど、私の記憶の大半はお互いがいないものとして過ごす両親の姿だった。

私は両親ともに全く嫌いではないし、二人とも不器用ながらも私に愛情を持っていてくれていたことはちゃんと理解している。

母は明らかに父を見下していた。
勉強ができないこと、収入が低いことを特に。

私は、小さいころから、頭が悪い人と結婚すると話が通じないからね、とか、父親みたいにならないように勉強しなね、みたいなニュアンスのことを言われて育った。

母は好きだったけど、そこがちょっと嫌だった。
確かに父より母の方が収入が多いのは事実なんだろうけど、人には生まれ持った能力の差があるし、そこを責めるのは違うんじゃないかと思っていた。

こんな感じの幼少期を過ごしたことで、彼に劣等感を抱いてしまったり、彼の愛情量は私のスペックに影響されると思い込んでしまったり、キラキラしている彼の生活をうらやましくなったりしてしまった。

これが彼の成長を喜べなかった原因のひとつではないかと自分では分析している。

カウンセリングを通して分かったこと

これまで、さまざまな自分の特性を自分なりに分析してきた。
しかしあくまでも自分が勝手に考えたことなので、私の考えが正しいかどうかはわからない。

それに、分析していくうちに怖くなった。
自分がこのまま人のスペックに関心を持ったままだと、次に付き合った人が勉強が得意な人だったらまた劣等感で苦しくなって、もし勉強があまり得意でない人だったらその人を見下すようになってしまうのではないかと。
まるで父と母の関係性のように。

だから、原因と、解決策をカウンセラーの先生に尋ねてみた。

そこで、私と彼の特性が分かりやすく見えてきた。


・アダルトチルドレンのような特性がある
・愛着は不安型


・自己愛性パーソナリティが強い
・愛着は回避型

私がアダルトチルドレンだなんて大げさな、とも思ったけれど、特徴を調べてみると思い当たる節が結構ある。
私の家庭環境は少し特殊ではあったかもしれないが、決して悪くはなかった。
でも、カウンセラーの先生に話を引き出してもらうにつれ、確かに自分は顔色をうかがいながら生きていた幼少期だったなと気づかされた。

それに、アダルトチルドレンとは機能不全家庭や、虐待ある家庭でなくても発生しうるものだそうだ。

あくまでも傾向だし、彼については私が話す中のことなので断定はできないが、私はとても腑に落ちている。

そして、これまで述べてきた私たちの問題となっていたところがこれらの特性でほとんど説明がついた。

特に愛着についての話は納得感があった。
不安型と回避型は惹かれやすいが、二人でいるとあまりいい結末が望めないらしい。

確かに私の中には、いつかいなくなってしまう恐怖のようなものがあったことは確かだし、相手の気持ちを想像するあまり自己主張ができなくなったりなど不安型の行動に思い当たる節が多くあった。

そして、回避型の特徴を見てみると、彼の特性にとても当てはまった。
回避型で、自己愛が強い人は、挫折を経験したときとても攻撃的になるらしい。
彼は温厚でモラハラやDVとは程遠い人ではあったが、確かに自分の自尊心がそがれるような経験をしたときには、どうなってしまうかわからないような危うさがあったことは事実だ。

それに、アダルトチルドレンの、やりたいこと、言いたいことが言えなかったという特性を持っていると、自分の意思を抑圧していた経験から好きなことをやっている人がとてもうらやましくなってしまうというのもとても納得出来る。

このような少しゆがんだ特性は少なからず誰しも持っているのではないかと思う。
だから、決してこういう特性の人だと分かったから離れてよかったとか、自分が可哀想とかそういうことではない。

たまたま私が持っている気質と彼が持っている気質が、これから長い間時間をともにする相手としては合わなかった。ただそれだけだ。

私たちがこれから長い間一緒にいるためには、きっと他の人よりも努力が必要になる。
きっと、その労力が多いことを相性が悪いというのではないだろうか。


彼は人付き合いとか、話し合いとか、人の感情を理解するとかがあまり得意ではなかった。
でも、私のことを理解しようとしてくれた。
その理解しようとする努力量を優しさとするならば、彼は間違いなく優しい人だった。

だからこそ、もっとちゃんと彼のこと分かってあげたかった。
そして、私に向き合ってくれたことへの感謝で胸がいっぱいになる。


このような指摘を受けたことによって良かったことは、根拠をもって彼を諦められるような気がすること。
科学的に合わないなら仕方がないと言い聞かせられるような気がした。

そして、自分の恋愛における傾向を知ることができたこと。
パーソナリティは完全には変えられないのだろうが、自分を無理に変えようとするのではなく、人よりもこんな感情を感じやすいとか、多くの人は私と違ってこう考えるんだ、ってことを知ることでこれからの人間関係に生かしていけると思う。

そして、自分が本当にやりたいことをやろうと思えた。
そうすることで、劣等感を減らしていくことができるということが分かったから、これからの人生により希望を持つことができた。

しかし、このような話を聞いて、私は少しだけ悲しい気持ちになった。

心のどこかで何年後かに戻れるんじゃないかって淡い期待を抱いていた部分が少なからずあったけれど、このような話を聞いたことでもう戻らない方がいいとちゃんと理解をしてしまった。
今後のことを考えると、とても良いことなんだろうが、やっぱり少し寂しい。

彼の愛着に問題があることは前々から分かっていたことで、そんな人がせっかく自分と向き合ってくれたんだから、最後まで自分が幸せにしたかったという気持ちにもなった。

家庭環境って本当に人生のあらゆるところに影響してくる。
私にも彼にも家庭環境で培われた部分以外のパーソナリティがあって、そこで惹かれていたということは、お互い適切な愛着形成ができていたらもっと長く一緒にいられたのかななんて思って、誰を責めるわけでもなく、なんだか切ない気持ちにもなる。

でも、結論として私は別れてよかったと思っている。
というよりいつかは別れる運命だったのだ。

ずっと一緒にいれない運命だと知っていても、私は彼に出会えて本当に良かったと思っている。
忘れられない思い出とか、好きな人と一緒に過ごす幸せとか、本当にたくさんの事を与えてくれた。
それに、たくさん悩んだけど、悩んだ分だけ成長できた。

こんなことを何も考えなくていいならば、今すぐにでも会いに行きたいくらいだが、会っても私たちはきっと幸せになれない。

きっと会ったら好きだった部分を鮮明に思い出してしまうし、きっと昔の関係に戻りたくなってしまうから。

だから、もう会わない。
悔しいけれど、お互いの幸せにはそれがきっと一番なのだ。








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