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あの日の”ざるそば”


こんにちは・・・れ・・・令和?
でいいんだったっけか?
(先、猫みたいな顔した人に
  教えてもらったけど。)


令和のみなさん。
今、ここは、

あんまり、はっきり言うなって
先の人に言われたので・・

「昭和30年代後半だ。」


当然、はじめましてだよなw

オレの名前は、

「林 幸一(はやし こういち)」

ヨロシクな!

2899・・・2900・・・

2901・・・フッー

えっ?

何やってるのかって?

”ヒンズースクワット”

知ってるかい?

力道山道場の名物で、

これが、

”3000回出来て一人前”

って、言われてるんだ。

オレはね、

”プロレスラー”

なんだよ。凄いだろ!

昭和34年12月に、

大相撲、間垣部屋にいたんだけど。

「キミの体なら来ていいよ。」

なんて、合格もらったので
力士を廃業して、

力道山先生率いる

「日本プロレス」

に、入門したんだぜ。

このヒンズースクワットも、

入門当日にやらされてな。

450回でぶっ倒れたよ。

オレの数か月後に、

馬場・猪木なんて

後輩が入門してきたんだ。

あ、そうそう。

先、名前言ったけどな。

昭和37年秋の
沖縄遠征シリーズから、

豊登(とよのぼり)

って、先輩がいるんだけど。

変わったリングネーム
付けるのが好きでな、
オレは、

「林 牛之助 」

ってリングネームに、変えさせられた。
オレと同じ、相撲部屋出身のあいつも、

「上田 馬之助 」

他にも、「高崎山猿吉」「大熊熊五郎」
それに先紹介した、馬場、猪木、
さらに、小鹿なんてのもいるからさ、

口の悪いマスコミが、

「日プロ動物園」

なんて、言いやがるんだぜ。
やんなっちゃうよなwホント。

でもよ、オレはね、
この名前、
以外と気に入ってるんだぜ

ホントだぜ。(照)

・・・・・ん?
力道山先生の事が聞きたい?


あぁ・・そうそう・・・
オレが入門した直後にな、

富山で巡業が、あったんだけど、
そこで、酔っ払った先生が、
女をブン殴っちゃってな。
事件になった事もあったな。

これも、オレが入門した年、
12月だったな。

石原裕次郎の誕生日
呼ばれた先生が、
いい機嫌で
浪速町の道場に帰ってきて、

暴れだしてさ、
窓ガラスに手を突っ込んで
切ってしまった。

なんて事もあったよな。

コワイんだよ。ホントに。
そんな先生も、
オレたちに、

「小遣い」

を、くれる事があるんだよな。

でもな、その小遣いを、
もらう言い方が、これまた難しい。

いくらでも結構です。って言うと、

「そうか・・・
 そんなにゆとりがあるなら
 無くて結構!」

といって、一銭もくれなくなる。

だからといって、

ふっかけて、高く言うとだな・・・

「バカヤロー!
 てめーがそれほどのタマか!」

って、ゲンコツを食らわされる、
とも限らない。

そうかといって、
控えめにいってみると、
控えめの額、そのまましかくれない・・。

その駆け引きっていうかね・・
心理作戦が、
試合の駆け引きより、
難しいんだよなあ。

わかるかい?大変なんだよw

でもな、聞いてくれ。
オレは、母子家庭だったんだけど。

先生に、
父親の姿を重ねてるんだ。
だから、先生のいない所で、
こっそり、

「おやじさん」

って呼んでるんだ。
ナイショだぜ。(照)
おやじさんも、
たぶん、オレの想いが
わかってるんじゃないかな?

ああ~~暑い、暑い。
事務所に、
おやじさんがいるから、
ちょっと行ってみるかな。
機嫌が良ければ、
何かおごってくれるかもな。




<読者のみなさまへ>
ここから林が
しゃべる言葉は、
林「〇〇〇〇」
になり。通常のスタイルになります。
ご了承下さい。


(日プロ事務所内)


”ガチャーン!”
(ビンの割れる音)

事務員A「社長、機嫌が悪いな。」

力道山の晩年は、
プロレス人気が低迷し、
常に、イライラしてたと言われている。

酒が入り、ビール瓶(ビン)で、
殴る逸話は、有名であるが、
晩年においては、
コーラやサイダーの瓶を、
イライラすると、
投げつけていたという。

事務所内には、
力道山、豊登など、
レスラー数人と、
事務員たちがいた。

事務員B「社長~。暑いですね~。」

力道山「夏は、暑いに決まってるじゃないか。
    一生懸命仕事をしてればだな、
    こんな暑さなんか、目じゃねえんだよ。
    いいか、リングの上はな、もっと地獄なんだよ!」

豊登(ああ~。余計な事いっちゃって。
   リキさん。いつもだけど、不機嫌だな・・。)
    


”ガチャ”(扉が開く音)


林「ちわ~~~~。
  お疲れさまで~~す。」


豊登(牛のやつ!バカ!
   空気読めよ!)

力道山「・・・・・(イライラ)」

事務所内の空気を感じる林。

林(なんか、空気悪いな・・。
   よし、オレが何とかすっか!)

力道山の近くに寄る林。


林「先生!
  今日は、暑いですよネ~!
  
  そうだ!先生!!
  こんな暑い日は、
  ”ざるそば”に、
  限りますよネ~~!」


力道山「!?」


林「先生~~♪

  みんなに、ざるそば・・
  おごって下さいよ~~♡
  ねえ~先生~いいでしょ~。

  

  ざるそば、ごっつぁんです!」




豊登(何、言ってんだコイツ!!!
   リキさん、暴れるぞ~・・。
   知~~らね・・・。)


(呆れた顔で・・)

力道山「ワシも豊登も、
    ざるそばなんぞ、
    くわんからな。

    こんな時は、血のしたたる
    ビーフステーキに限るわい!」


林「・・・そうですか・・・。

  (あ~・・・わかった。
   先生も立場上、
   ざるそばが、食いたい。
   なーんて、いえないもんなー。

   はいはい。わかっております。
   この牛めに、お任せ下さい!)」


豊登(ふんっ。はやく座れ牛・・
   ・・?何、周り見てんだよ。)


林「じゃあ~・・・
  先生と豊登さんは、
  お食べにならないとして・・

  皆さん、どうですか~?
  ざるそば食べたい人は、
  手を挙げて下さい~~~!

  さあ、さあ、遠慮なさらずに!」


他のレスラーたちは、
巻き込まれたくないので、
下を向き黙る。

豊登(手なんか挙げられるわけ
   ねーだろーがよ!コイツ!
   なんで、そんなにそばに
   こだわるんだよ!)


力道山「ほ~~~れ。
    牛よ!
    誰も挙げんじゃないか。
    ムッフッフッ。」

呆れて笑う力道山。


林「そんなぁ・・・。」


力道山「よし!わかった!!!

    俺がおごってやる!!!」


林「ホントですか!!!先生!!!(涙)」


  

力道山「その代わり・・・・・・

    ざるそば・・・・

    20人前注文しろ!!!!」


(30分後・・・・)
 
20人前のざるそばが到着。


林「わぁ~~!
  ざるそばだ~~!!!」


力道山「牛よ・・・
    お前は、
    いつも15分1本勝負の
    試合に出とるだろ。」


林「ん?
  ・・・・はい。先生」




力道山先生



力道山「このそばを、


    15分で全部食いきれ!
    

    そしたら、


       

    俺が小遣いを、


      

    たっぷりやろう!




    ・・・ただし。


      

    食いきれんかったら。


    そば代は・・・・


      

    全部お前さん持ちだ!!!


    さらに、罰金1万円!!!

    お前さんの


       

    給料から引いとくからな!


    ガハハハハっ!!

    何、泣いてるんだ!


       

    さあ、始めんか!」



    

林「そんなぁ~~~(涙)」



後年、林自身の証言によると、
この頃、1試合7000円で、
力道山急逝後の、
昭和39年春から、
1万2000円
ファイトマネーが、
上がったという。


豊登(うぇ~~~。
   地獄だぜ。こりゃ。)


力道山「それ、林さんよ!
    お前が食べたい、
    食べたいといってた
   
   ”ざるそば”が、
    目の前にある
 
    早く、食べんか!
    残さず全部な。
    ホレ、ホレ、食べろ。」


林「ひぇええええ~~~~」

林は、3枚4枚と、
このざるそばとの
15分1本勝負を、
順調にこなしていたが。

林「うげえ・・・」

10枚ともなると、
地獄の苦しみを、
味わう事になる。

力道山「いいか!牛!
    一本でも残したら、
   
    そば代に、
    罰金の1万円
    だからな。

    わしがみてると
    そばも
    喉を通らんじゃろ。

    あとは、豊登が
    立会人として、
    見届けるから
    時間内に食いきれよ!

    ガハハハハハハ~~!」


そういうと、力道山は、
外に出て行った。

林「もう・・た・・べ
    ・・オェエエエエ!」

豊登「ああ~ひでえな。

   鼻からそば、
   出してるやつ
なんて、
   初めてみたぞ。」


〇 20枚ざるそば 

     VS

    林 牛之助  ●


(12枚でギブアップ!)

こうして、林牛之助は、
ざるそば20人前との
戦いに敗れたのである・・・。


で・・・その後・・
どうなったかと言うと。

1か月後の給料日・・・


林「どうせ・・・
  引かれてるんだろうな。
  はぁ・・・。」

(給料袋を開ける)


林「うそ~~~~!!!!」



中身は・・・
20人前のそば代も、
罰金の1万円も・・・

何一つ引かれてなく
満額のままだった。


林「おやじさん!!!!
  アイラブユ~~~♡♡」


林の想いを、
力道山が、感じとっていた
ざるそば事件であった・・。


時は流れる・・・・


1963年12月8日

「力道山刺傷事件」





入院中の力道山を、
林が見舞う・・・。

(林が、後年語った話から、
 12月13日だと思われる。)


(病室のドアを開ける林)


林「おやじ
   さ~~~~~ん(涙)」



力道山「おお~。牛か。
    うるさいわい。
    病院だぞ!!
    ガハハハハ!!」


林「どうなんです!!
  先生!大丈夫ですか?」


力道山「俺は、
    
    ”怒涛(どとう)の男”

    だぞ!!!

    ナイフくらいじゃ

    やられんわい!!!」


林「元気そうで、
  よかったです。」


力道山「それより牛!
    まんじゅう食うか?

    それとも・・・

    ”ざるそば”にするかw」


林「もう、ざるそばは、
  勘弁して下さいよ~w」


力道山「牛よ。
    今は、プロレス人気が
    低迷してるけどな。

    この後、きっと
    盛り返すからな!」

林「はい!先生!」


力道山「そうしたら。
    ワシは引退。
    事業に専念できるワイ。
    豊登、馬場たちが、
    後は、やってくれるだろう。」

林「先生!そんな事いわず
  もっと続けて下さい!」

力道山「牛よ。
    お前さんは、
    豊登、馬場のような、
    看板レスラー
    ・・・
    じゃあないよな。」

林「はぁ~・・。」


力道山「でもな。
    よく聞けよ。牛。」

林「はい。」


力道山「プロレスってのは、
    看板レスラーや、
    華やかなレスラー、
    だけじゃ成り立たぬ
    興行なんじゃい。」

林「・・・・。」

力道山「前座をつとめる
    まだ未熟で弱い、
    そういう若いのも必要。

    怪しい奴、
    コミカルな奴。
    客から憎まれる
    ヒールの悪党も必要。

    リングアナウンサー、
    試合を裁くレフェリー、
    まあ、観客もだけどな。

    プロレスの興行ってのは、
    そういうのが、
    どれ一つ欠けても
    完成しない、
    ジグソーパズル
    のようなもんなんじゃ。


林「難しい話ですが、
  なんとなくは、
  わかる気がします。」

力道山「フッ。
    海外にお前さんも、
    行けば、わかるよ。」

林「はい。行きたいです。」


力道山「当然、
    お前さんもいなければ、
    興行が成り立たない。

    牛よ。
    お前は、看板レスラーの
    ような大きな輝きは、
    リング上で出せぬかもしれん。

    だがな・・・。
    牛は、牛にしか出せない
    大きくなくたっていいんだ。
    牛にしか、出せない輝きを、
    お前さん自身が、見つけて
    リングで輝かせて、
    観客の目に、焼き付けろ!」


林「先生。
  オレにも・・・
  ”オレにしか出せない輝き”って
  あるんでしょうか?」

力道山「なかったら、
    入門させんわい!
  
    金にならんやつは、
    いらんからなw

    ガハハハハハ!」


林「先生~~~!!」


力道山「牛の事は、
    50年もすれば、
    
    スーパースターの
    わしと違い、
    覚えてる人間は、
    おらんかもしれん。

    ・・・だがな、牛よ。
    目の前で、
    お前さんの試合を
    観た子どもが、 

    大人になって、
    年寄りになっても、

    林 牛之助

    っていう名前の、
    レスラーを覚えていて
    くれたなら。

    それだって、
    ワシは、
    スゴイ事だと思うぞ。」


林「はい、先生!!!」


力道山「わかったら、
    早く帰って、
    トレーニングに励め牛!!」


林「頑張ります!!」


力道山「そういえば、
    もう少しで、
    年越しだよな。

    牛よ、
    退院したら、

   ”年越しそば”

   一緒に食うぞ!」


林「退院して欲しいですけど、
  そばは、もう勘弁して下さい!(涙)」


力道山「ガハハハハ!!!」

(急いで、病室から出ようと
 ドアを開ける林)

力道山「牛よぉ~!」


(振り返る林)

林「は・・はい?」


力道山「 ”いいレスラー”になれよ! 」



林「はいっ!!!
  絶対なります!!
   失礼します!!!」


(病室のドアを閉める林)

林が、病院を出ると、
既に暗くなっていた。

林「おやじさん。
  元気そうでよかったな。
  あの分だと、退院もすぐだな。

  おっ!満月か!
  星もたくさん。」

(空を見上げる林)

林「オレは、
  この満月のような輝きを、
  リングの上じゃだせん。

  だけど・・・。
  だけどな・・・。
  このたくさんの
  小さな星たち、
  一つ、一つの輝きが
  それぞれ違うように、

  たとえ、小さな輝きでも、
  どの星でも、出せんような
  
  林 牛之助だけにしか
  出せない
  誰にも負けない、
  小さな輝きを、
  リングに出してみせる!

  おやじさん!
  早く元気になって、
  オレにしか出せない輝きを、
  見て下さい!!!」

(駆け出す林)


しかし、林にとって、
これが師匠、
力道山との、
今生の別れとなるのであった・・。


この日より2日後・・・・


12月15日


入院中だった
力道山の
容体が急変、


手術をするも、
同日午後9:50分頃
死亡が確認される。


享年39歳

(注:年齢に関しては、諸説あります)



(合宿所)


”ジリリリリ”(電話のなる音)


”ガチャ”


林「はい、もしもし」


他のレスラーたち「どうした?」


林「おやじが・・・・

  死んだって・・・・」



連絡を受けた林が、
こう言った後、
絶句していたという・・・


12月20日
池上本門寺にて、
葬儀が盛大に執り行われ


力道山は、

伝説となった・・・。




力道山胸像(写真AC様より)



1973年

林は、海外武者修行中に、
「日本プロレス崩壊」を知る。


1976年

帰国した林は、

ジャイアント馬場率いる
「全日本プロレス」入団。


恐らく、
この時期に、

「ミスター林」


という、
リングネームに
改名したと思われる。

全日本時代の林は、
コミカルなファイトで、
前座レスラーとして、
人気があったという。

私は、だいぶ前に、
ミスター林の試合を
当時、観た方が、
書かれたブログを覚えてる。

その日は、
力道山の長男、
百田(ももた)義浩
との
試合だったそうである。


試合中、
ミスター林が、

ボストンクラブ(逆エビ固め)

で、百田を苦しめるのだが・・。
これが、ただのボストンクラブではなく、

”百田の股間を掴みながら”


”荒技”であったという。

百田「いてぇ~~~よ!!
   股間!股間!!」


と、レフェリーにアピール。
林は手を放し、
掴んでないとアピール。

この繰り返しで、
百田は、ギブアップする。

どうやら林は、
自らが輝く術(すべ)を、
このリングに
見出したようである。


ちなみに、こちらが(下図参照)
ボストンクラブ(逆エビ固め)。

片方の足だけになりますと、
ハーフボストンクラブ(逆方エビ固め)
と、いう技になります。



ボストンクラブ(イラストAC様より)





1979年8月26日

日本武道館で行われた

全日本プロレス
新日本プロレス
国際プロレス

3団体による夢の懸け橋

プロレス夢のオールスター戦

林は、

第1試合

時間無制限
3団体参加バトルロイヤル

出場している。

残念ながら試合の方は、
新日本プロレスの
山本小鉄が、

全日本プロレスの
大仁田厚を破り勝利。

勝利こそないが、
林にとって、
最も華やかな舞台で、
あったのは、
間違いないであろう。


1982年

現役を引退。


その後は、
全日本プロレスの
レフェリーとして活躍。


1983年

リックフレアー

 VS

グレートカブキ

NWA世界ヘビー級王座戦を裁く。


1986年

「’86チャンピオン・カーニバル」

開幕戦となる

後楽園大会を持って

全日本プロレスを退団。


その後は、

ジャパン女子プロレスで

レフェリーを務める。

口ひげ

突き出たお腹

ギクシャクとした動きで、

レフェリーとしても、

林は、

リングで自らが
輝く術を、
見出したようだ。


時は流れて・・・


1999年11月4日


林 幸一


逝去


享年 57歳
(Wikipediaだと、58歳
 とありますが、たぶんこっちです。)




林 幸一
の物語も、
ここで、ようやく、
幕を下ろせそうです。

今回は、
林 幸一に関する
資料が少ないので、難儀しました。

プロレスに詳しい人でも、
あまり知らない
そういう人物です。

私も前に、ヒゲのレフェリー
時代かと思われますが、
写真をみて、この人かぁ~と、
子ども時代ですから、
レフェリーに興味がなく、
なんとか覚えてたくらいで
現役時代は、観た記憶がありません。

彼に関する、
体験と知識は、
全くない状態からのスタートでした。


ちなみに、
レフリーと、レフェリー
どっちで書いても正しいのですが、
プロの方を拝見しますと、
レフェリーと、書かれてたのが
多かったので、レフェリーにしています。

話を戻しますと、
林 幸一は、
日本プロレス史において、
メインストリームでは、
ありません。

ただ、
主流でない人物を、
どう主流のように
書けるかどうか、

そこは、
書き手の、
醍醐味
であります。

一つの作品で、
それまで悪だと
されてきた人物が、
英雄視され、人気が出たり、

はたまた、
それまで全く
無名であった人物が、
一躍有名になるなど、

一人の書き手の
素晴らしい作品で、
今までの評価を、
ひっくり返せる、
面白さが、
歴史小説には、
あります。


私の好きな
歴史小説を手掛ける
作家さんが何人か
おられるのですが、

その方々の作品を
読んでいますと、
何百年とか遥か昔なのに、
読んでると目の前に
パァーっと、その光景が
飛び込んできて、

あたかも、その時代を
目の前で体験しているかの
ような感じになります。

グイグイ引き込まれて
夢中になって読みます。

今回のような
歴史に関わる記事では、
少しでも、
お読みくださる皆様を、
時間旅行に、
お連れ出来ればなと、

思っております。
いかがだったでしょうか。

力道山の名前を知っていても、
あまりよくご存知なかったり、
プロレス自体が、あまり興味なく
普段は、接してない方など、

これを機会に、
今でなくても、
どの時代でも構いません。

ほんの少しでも、
プロレスに興味を持って
お好きになられたら、
書き手として、幸いです。


色々と話が脱線しましたが、
あまりない資料と知識で、
なかなか進まなかった時、

日頃から、
動画を拝見させて頂き、
勉強させて頂いてます、
YouTubeの
「燃える王道」チャンネル様

紹介されていた書籍
また、林 幸一に関して、
ネット上で書かれていた方など
を、

参考にさせて頂く事で、
今回の記事は、
完成する事が、
出来ました。

改めて、それぞれの方に、
深く御礼を、申し上げると共に、
最後に、それぞれを紹介させて
頂きましたので、

読者のみなさまも、
お時間がありましたら、
それぞれを訪れて、
更に深く知って頂けたらと、
思います。

なお、
数々のエピソードは、
単に、物語にする為に、
数珠つなぎにしてる
だけに過ぎないので、

時系列的には、
お詳しい方が見た時に
間違っていると思います。

そこは、ご了承下さい。

そして、
記事中にあります、
病院内でのやりとりは、

面会した事実と、
日付は、本人の証言で、
合ってると思うのですが、

内容に関しては、
全くの私の創作であります。

実際は、
何人かのレスラーが
身の回りの世話などで、
行ったりとかあったので、
その程度だったか、

個別に面会しても、
林クラスだと、
短いと思われます。

多くのレスラーに関しては、
見舞いに行った際に、
力道山は、
「まんじゅう食うか?
  そばでも頼むか?」

と、おおむね
温かく迎えたそうです。

ただ、力道山から
「アゴ」と呼ばれていた
猪木だけは、

「アゴ!
 お前はこなくていい!」

「アゴ!
 今日は、何キロ走った?」

とか、他の選手とは、
扱いが違ったそうです。
それに関しては、
長くなるので、機会があれば。

今回は、
単に物語にするだけでなく、
プロレスに興味の無い方に、
どう、楽しんで頂けるか?

これも、命題にしていましたので、
どうでしょうか?
楽しんで頂けたでしょうか?

退屈な思いをさせてしまいましたら、
私の力不足ゆえ、お許しください。


今回の記事が、
実は、10回目の
記事となります。

最初の投稿から、
ご覧頂いた方々、
今回の記事で、
初めてご覧頂いた方々。

全て、みなさまが、
貴重なお時間を割いて、
ご覧になって頂いたお陰です。

そして、10回目の記事が、
大好きなプロレスや、
力道山に関する事だったのも、
何か因縁めいた物を、感じます。

2024年は、
力道山生誕100周年の、
メモリヤルイヤー
と、
いわれております。

記念すべきこの年に、
私がnoteを、
始めたのも、
何やら運命を感じますので、

また、何か機会がありましたら、
力道山やプロレス黎明期、
昭和プロレスに関する、
記事を書きたいと思います。

その時は、
みなさまの貴重なお時間を、
また拝借いたしますが、
どうか、よろしくお願いします。

それでは、
今回は、きれいに
終わりたいと思います。

(本当は、
 ボストンクラブの
 画像の所で、
 マニアックな展開を
 入れようと思っていましたw)

では、また次の記事で、
お会いしましょう。
さようなら!


(参考にさせて頂いた書籍)



(参考にさせて頂いたサイト様)


Wikipedia「力道山」


「男の魂に火をつけろ!
 ~はてブロ地獄変~」様


(参考にさせて頂いた動画チャンネル)

YouTube 
     燃える王道チャンネル様






ありがとうございました!!




懐かしいやら、マニアックな内容やらですが、 もし、よろしければですが、サポートして頂けたら 大変、嬉しく感激です! 頂いたサポートは、あなた様にまた、楽しんで頂ける 記事を書くことで、お礼をしたいと思います。 よろしくお願いします。