tsutsuriko
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翌週、私の勤め先に夫が退院した事を伝ええ、お見舞金のお返しに菓子折りを渡した。『良かったですね~!日常が戻って来ますね!お返しなんてよかったのに〜』と喜んでくれた。 するとまた、今度は快気祝いをくださった。 えーっ!そんな申し訳ないですよ。と返したが、社長ご夫妻は『いいんですよ、今度はお返しはいらないですからね。気にしないでくださいね。』と。人が良すぎるご夫妻だ。 まだ検査結果は出ていないが、ありがたく頂戴する事にした。検査結果が分かったとしても、報告するのはやめておこう
食事療法を開始して3、4日経過した頃、今週末退院かも。と夫からLINEが来た。意外と早いね。良かったね。と返す。先日の検査の結果はまだ時間がかかるとの事で、自宅にて療養となった。結局、病名がはっきりわからないままの退院となり、薬も特に処方されず不安な日々を過ごすことになる。会社へ提出する診断書の病名は変更されていた。 『閉塞性黄疸 膵疾患の疑い』と。 …え…。どういう事?診断書にこう書かれたという事は、もはや急性膵炎ではないという事だ。ネットで調べても、出てくるのが膵臓癌、も
夫は入院中に自身の誕生日を迎えた。入院で絶食なんて人生最悪の誕生日だろう。こんな誕生日はあとにも先にも今回だけにしてほしいと思っているはず。そんなこんなで、遂に60歳になった。別に誕生日だからって今までも特別な事はしたことはないが、普通にご飯を食べて、甘い物に目がない夫はケーキは必ず食べていた。まぁ私が作っていたのだけれど。 その普通の事が今回は出来なかった。普通の日常生活が送れるという事は、つくづく幸せな事なのだと改めて感じた。病気が治って、来年はケーキが食べられますよ
この日、私は仕事だったので、夫は入院の荷物をまとめ、電車で病院に向かった。人生で2度目の入院だ。実は今から20数年程前にも入院したことがある。その時は友人と飲みに行き、酔っ払って顔から思いっきり転んで顔面強打、前歯がほとんど折れてなくなってしまうという大惨事だった。私も若かったし娘も産まれたばかりで、当時の事はほとんど覚えていない。 話を戻して入院当日から点滴治療が始まった。当然絶食、禁煙だ。夫は腹減った、腹減ったとLINEを送ってくる。頭の中は食べ物の事でいっぱいだ。飴
夫が病院に行く数日前、私はパートの面接を受けていた。昨年の9月で退職し、そろそろ仕事をしなくてはと焦っていた矢先、何気なく見ていたネットの求人募集に目が留まる。時給1,200円、工務店の事務だ。 ホームページを見てみると、なんか可愛らしくてほのぼのとした感じが伝わってくる工務店。 自宅からも車で15分程。パソコンはなんとなくわかる程度だけど応募してみた。 年齢が年齢だけに採用されるか不安だったが、なんとその日に即決で採用が決まった。 事務員を雇うのは初めての試みだそう。
急性膵炎と診断され、通院をして検査をしながら治療をしていく事になった。 最初に受診した日から1週間が経ち、再び病院へ出向いた夫。先週と同じく、血液検査とCTを取り、薬の服用の為か少しだけ良くなっていると喜んでいた。これなら入院しなくても大丈夫、と先生も言っていた。 しかし、夫はなんとなくすっきりしない様子だった。 この1週間の食事内容はというと、ほとんどお粥やゼリー飲料などで、急性膵炎の為、ある程度、膵臓の機能が回復するまでは食べられない。 人間が生きる上において食
今年に入ってから、食欲がいまいちな夫。 体調も怠いとのこと、なんとなく顔色も悪いなと思っていた。ほぼ毎日飲んでいたビールも遂に飲まなくなった。いや、もう苦しくて飲めなくなったのだろう。 本人はネットでいろいろと調べあげ、自分の症状に当てはめ、おそらく膵臓の病気だろう、膵炎かもしれないと予測をつけ、病院に行くと言い出した。お腹の真ん中辺りが痛いのと張る感じ、それと背中の痛みを訴えていた。それにとにかく疲れやすい。 年齢的にも来月で還暦を迎える夫。 今まで病気らしい病気はし
はじめまして。人生も折り返し地点に入り、これからの過ごし方をブログに残しておこうと思いました。趣味はパン作り、お菓子作り、お料理全般と多肉植物にはまっています。愛犬ももちゃん(柴犬♀)とのお散歩の様子、日常生活で感じたこと、夫の病気発覚の事などを綴っていきたいと思います。 主に写真が多くなると思います。 拙い文章ですがどうぞよろしくお願いします。