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社員に足枷をはめながら、自律たれ! とごまかす会社。変わらないと潰れちゃう


自律。ひとはどうして自律するようになるか。2つの真逆の道があるみたい。

1. 自分で決めて行動する。そのプロセスや結果が、
他人と同じ・調和していることの経験を積み、
自分の価値を実感でき、どんどん自律できるようになっていく。

2. 自分で決めて行動する。そのプロセスや結果が、
他人と異なっていることの経験を積み、
自分の価値を実感でき、どんどん自律できるようになっていく。

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他人と同じと感じて心地良いのか、違うことで心地良いのか、とも言えそう。国民性、地域性、文化、慣習が大いに影響してそうです(遺伝子的な生まれながらの個性も関係するでしょうが)。

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ところで、人は誰でも自律していた、はず、と思うのです。赤ちゃんは「自律」の最たるもの。だけど、育って行くうちに、色んな「枠」に制御され、「自律」が失われる。親の目、先生の目、上司の目。。。

そして、大人が、社会が、一旦、自律を拒絶しているくせに、中学生ぐらいから社会人になっても、「自律した人になろう」なんて、どこに行っても常に指導・鼓舞される。

まるで、不必要なルール・足枷をはめ、自由を奪っているけれど、それを隠すかのように、自律的でいよう!とカモフラージュ。ごまかし? あるいは、ルールを守る(従う)ということを「自律的」に選んでね、と誘導しているかのよう。

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上述の1型で成長すると、知らず知らずにその呪縛にはまっても気づかない。自分が心からしたい、ではなく、目に浮かぶ上司や組織(組織ってなんだ?)がやるであろうことを、選んで行動しようとする。「自律的」に。

でも、そんなある意味「穏やかな時代」(真似る、見習う、従うで済む時代)は終りつつある(終わった?)と思うのです。過去踏襲や金太郎飴的では会社は存続できないし、社員に豊かな人生を提供できない。

そもそも成熟社会でなんでもあるし、でも、急激な人口減(日本の場合)で上市しても売れる訳ではなく、気候変動で概念的にも「過去踏襲」は受け入れられないし、デジタル技術の驚異的な進歩で「新しい」人間活動があちこちで生まれて、且つ、ひとがそこに不要なオンライン中心の世界で、地球の物理的距離がますます無くなる世界同時競争、とかとか。

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もはや若者の現代っ子のチカラ(知識、経験、考え方)に任せないと会社は成長できない。でも、中小企業には若者が来てくれない。

企業は、若者に来てもらう総合的な努力とあわせ、ひとの心に本来備わっている自律性を呼び覚まさせないと、上述の2型に”戻って”貰わないと、そう思うのです。

せっかくの個性が集まった多様性が会社にはあるのだから、素直に個々が自分が”今”、正しい/好きと思うことを、過去にとらわれずに、実行できる。これが最低限必要かなと。

でも、どうしたらこうなるの? 足枷の無い「自由」を一歩一歩、組織の中で実現して行くしかないかなと思うのです。自由は自律の必要条件。自由は信頼のあかし。だから自由は成長の必須条件。なんて思うのです。



読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_37)


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