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他人との比較や、将来と今の比較。「比較」もイイものと思うのです。

親戚の子供(小学生)がバレエを習っていた。身体を動かすのが大好きな女の子。で、バレエにはまってしまって大好き! 友達もたくさんできた。

が、最近止めて、ゴルフに切り替えた、とのこと。理由は、ぽっちゃりさんだから。バレエが大好きなのにどんどん太る。

本人は気にしていないが、バレエには合わないよな、と気になる親が誘導してゴルフへ。今はゴルフに熱中。「なんでもいいのよー。身体が動かせて、ご飯食べられたらぁ」とは親の声。

この話を聞いて、子供ってやっぱり面白いな・ステキだな、と思ったのだ。

「バレエ」をしたいのに「スタイル」は気にしない。周りの友達の細さが目に付くはずだけど、ぽっちゃりの自分は気にならない。バレエと太るが同居できるのだ。だって、バレエしているのが楽しいのだもの。純粋にそれだけ。そしてご飯を沢山食べるのも好きよ。

もう少し歳を重ねて、「比較」ということに気づいたら、どうだったかしら。自らバレエは止めようと思ったか、周囲との違いに気づいて体重管理を始めたか。あるいは、高みを目指そうと「楽しさ」から「本気」に変わって、自らに様々な「変化」を起こしたのか。今回は「比較」に気づく前に、ママ・パパの思惑でゴルフにスイッチ。

他人との「比較」は、現代社会ではあまり良いものとはされません。自分の未来と今の「比較」は良いけど、他人との「比較」はダメよ、上には上がいるし、下には下がいるし、ひとはひと、自分は自分、なんだから。人と比較してばかりだと心を壊しちゃうよ。そんな主張でしょうか。

仮に釈迦にアドバイスを求めたら、未来と今の「比較」ですら不要と言われそうですが、一方でボクは「未来と今の比較」は有りだと思う派でして、そしてこれを許容しちゃうと「他人との比較」も許容せざるを得ないのです。残念なんだけど。。。

というのも、人生やっぱり「本気」でいるから面白いというのか、生きているなって充実すると思うのです。これが前提にできない場合はボクの主張は理解できないと思うのですが、「本気」だから「充実」「満足」「達成」「幸せ」などが発生するだろうし、「悔しい」「悲しい」「つらい」「よし次だ!」なんてこともある。こんなが好きな派なのです。。。

で、この何かに「本気」になるとは、目指したい未来の姿と今を「比較」しているからこそ起こると思うのです。「比較」して、がんばらないと近づかないとわかる。だから「本気」になりえる。

「本気」は「比較」から生まれる。

そして、「本気」になって目指す未来は、大概は、ロールモデルがいるものです。あの人のようになりたい!って。全くの未知の、未開の状態を目指す場合もありえるのでしょうが、結局は、誰かと誰かの足し算だったり、誰かの歩んだ道をそこから更に進んだ未開の道だったりと、捉え方ですが、何らかの先人がいるはず、だと思うのです。

だから、つまり、どうしても他人との「比較」になると思うのです。野球のメジャーリーグで言うと、”野茂英雄選手のようになりたい ~ 大谷翔平選手のようになりたい”、が延々と続く。これも他人との「比較」と言えますものね。「目標」という言葉が使われがちですが、「比較」でもあるかなと。

だから、「比較」はありなのかな、と思うのです。親戚の子供も「楽しさ」だけだったけど、そこに「比較」を否が応でも感じだして、そこに「本気」が追加されたら、その結果、自発的に自らを変化させて、成長させて、その道を突き進むのかな、と。

そして、もうひとつ大切かなと思うのは、その先に「失敗」はありませんね。「成功」はあるかもしれません。でも、「失敗」なんてことはないのです。本気で楽しみながら進んだ先に失敗なんてことはない、そう思うのです。


読んで頂きありがとうございます。
(最近出会った素敵な気づきフレーズv7_77)


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