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ナチスの恐怖を詠う詩になぞって、ダメダメ・リーダーを定義

ナチスが社会主義者を襲ったとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は社会主義者ではなかったから。

次にナチスが労働組合員たちを襲ったときも、私は声をあげなかった。
なぜなら私は労働組合員ではなかったから。

その後ナチスがユダヤ人を襲ったときも、私は声をあげなかった。
なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。

ナチスがついに私を襲ったそのとき、私のために声をあげる者は、
ひとりも残っていなかった。


ドイツ人神学者のマルティン・ニーメラーさんの詩。ナチスの恐怖のジェノサイド(大量殺戮。民族浄化。劣等なgene(遺伝子)の粛清)を表現しています。


これを参考に:

大変な仕事に社員が取り組んでいるとき、私は手伝わなかった。
なぜなら、私はリーダーで社員ではなかったから。

次に地震でオフィスに被害がでて、社員の帰宅が困難になったときも、
私は、いの一番に帰宅し、自身の無事を確保した。
なぜなら、私はリーダーで社員ではなかったから。

その後不況でリストラを実施したときも、私はもちろんリストラする
立場で、リストラされる側ではなく、自身の地位は変えなかった。
なぜなら、私はリーダーで社員ではなかったから。

ついにリーダーとしての役割を終えたそのとき、残りの人生に
一瞬でも付き合ってくれる者は、私を助けてくれる者は、
ひとりも残っていなかった。後悔するもすべてが遅かった。


この詩との対比で、より強く、こんなリーダーにはなりたくないと思える。
絶対にこんなリーダーにはなりたくない。心が弱すぎる。利己的。悲しい。
ま、そもそもこんな人はリーダーではないけれど。
あ、でも、時に遭遇する。残念だけど、存在する。結構いる?



読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_75)


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