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世の中、不平等。だって、自分こそがひとを不平等に扱うのだから


1.
焼き肉を食べに行く。あれ?前回と味が違う…


とても若かりし頃、上司と焼き肉を食べに行った。「とても美味しいよ!日本一だよ!」とのこと。大げさな、と思ったら、上司の言うことが正しく、めちゃくちゃ美味しかった。メスの処女牛を一頭買い、という拘りらしい。

で、しばらくして自分と他の仲間で再び行く。が、あれれ、そこまで美味しい訳ではない。なんで? 頼んだ部位も、支払った額も、ボクの体調の問題も、会話の盛り上がりも問題ない、のに。なぜ?

理由は簡単。その上司は、常連であると同時に、お肉について一定の知識があり、そして、いつもお心付けを5千円ほどあげていた。

なるほど、そういうことか。

いつも美味しいけど、この常連の上司が行くと、”より”美味しい部位の、”より”美味しい場所が提供される。そして、マスターがうまく焼いてくれる。

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2.
人生は平等ではない。平等に扱われることを期待してはダメ。リソースが限定なのだから


まだまだ幼稚だったボク。世の中のお食事屋さんは、美味しいお店とイマイチなお店があるけれど、それは誰に対しても同じレベルを提供するという前提で考えていた。また、お店のみならず世の中の”ちゃんとした”組織なるものは、差別なく、平等に、同じ価格でサービスを提供する、と思い込んでいた。そんなことはない。

上司は大切なお客様 = ”より”美味しいお肉
ボクはそこまで大切ではないお客様 = 美味しいお肉

世の中は平等ではない。人生は平等ではない
平等に扱われることを期待してはダメ
リソース(美味しい部位の美味しい場所)が限定的なのだから

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3.
相手を批判する前に、自分の質をあげよう


誰かから失礼な態度をされたり、無視されたり、無下にされたり、は、相手が無神経で、レベルの低いひと、かもしれないが、ある意味、自分がその人にとって失礼に対応しても良いと思われている「程度」である、とも言える。つまり、相手にとってボクはそこまで大切ではない、ということ。

大切に扱ってもらいたいなら、その人の有限なお金、時間がボクにまわってくるような存在になることが先。ボクを含め誰にでも丁寧になんてできないのだから。相手を批判する前に自分の「質」「程度」「レベル」「大切さ」を上げていく。

自分が無下にされるのは、相手の人格の問題ではない
自分が無下にされるのは、自分が優先されない問題
悔しかったらまずは自分の「質」をあげる

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4.
そして、自分こそが相手/ひとを不平等に扱うことも知っておこう


ただ、ボクは焼き肉は好きじゃないので、心付けをしたり、常連になったり、お肉に詳しくなってマスターと会話を楽しもう、なんて思わない。

こちらもお金や時間が有限なのだから。

だから、何から、誰から、より大切にしてもらうか、つまり時間とお金を使うか、は自分次第。どうでもいいことや相手は無下に扱ってしまいます。平等になんて扱えない。

つまり、自分も、色んな相手に対し、平等なんてことはありえない。不平等に扱っている。知らず知らずに、気づかずに、うっかり。。。

焼き肉屋さんに行くといつも、この若き頃の気づき、「不平等にされるのは自分の「質」の問題」、そして「自分こそ、ひとを不平等に扱う」、を思い出すのでした。

気をつけないと。。。



読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_57)


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