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職場で日々汚染され、無意識に変わる自分。対抗するには別の「毎日」が必要

小学校低学年ぐらいから、映画好きの父親に連れられ映画館に行き始めた。

小学5年生ぐらいか、1時間ほど電車に乗り、独りで渋谷の映画館に行き出した。親と行く場合がほとんどだけど、独りでも。

当時はまだ窓口でチケットを買う制度。「小学生1枚、お願いします」。毎回信じてもらえず。「独りなの? 中学生でしょ? 生年月日言ってみて? 干支は? 星座は?」

ま、アメリカの美女美男がアクションついでに恋愛する類いの映画も見に行っていたから、疑いなのか心配なのか。

それから数十年。かかさず毎月数回は映画館に行った。父親の墓参りでは、最近の好きな映画を報告していた。。。

が、簡単に”失われた”。


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コロナの影響。2020年、2021年はゼロ。この2年はしょうがない。が、2022年6月に一回見に行くも、その後が続かない。自分が映画館に行かなくなるなんて思ったこともなく、一生、映画が趣味で死ぬまで続けると思っていた。が、行かない時間が続き、欲求がなくなる。

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で、こんな趣味の話は、ま、どうでも良いのです。気にしているのは職場での日々の悪影響で人格や行動、習慣、そして人生が気づかずに変わりえることなのです。望まない方向に。。。

環境で自分の心が「自然」に変わります。無意識で、気づいたら、変わっている。汚染。自分の内発する強い想い・欲求が消える。外因に負ける。ポタポタと気づかずに侵食され、変わっていく。ぬるま湯のゆでガエル。

強烈な、たった一度の、一瞬の、経験で心が変わることも。経験は頻度ではなく、その強烈さ、心に刻まれる深度、ですもの。でも、そうではなくて、

気づかずに、無意識に、自然に変わる。
ここに怖さを感じる。


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「思考を変え、行動を変え、習慣を変え、人生を変えよう!」

なんて言われるが、こんな意図的な思考に力強さはない。環境・条件という外的な要因で、気づかずに自然に自分の行動が変わり、習慣が変わり、人生が変わる。怖い。。。

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自分にとって、より目指す方向に、気づかずに、自然に変わっているのは素敵。でも、逆は怖い。気づかずに、自然に、自分らしくない自分に変わっていく。職場で、リーダーシップのあり方と、それが生み出す社風によって、自分が気づかずに変わる。。。

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一生、気づかないなら、それで幸せ。気づいても、その自分が好きならそれで幸せ。でも、違う自分がそこにいたら、あれれ、何をしていたの、自分? 時間は返って来ない。。。

でも、気づかないのだから、どうしようもない? そうなんだけど、日々、気づくチャンスを増やせたらな、と思うのです。

例えば:
1.目指す自分らしさを文字にして日々、自然に目に付かせ、読む
2.日記をつける (目指す自分らしさに絡めて書く)
3.職場で違和感が起き、継続しそうと感じたその時に、つまり、慣れる前に、日々大なり小なり逃れるべき

かな、なんて思うのです。

ポタポタ小さな気づかない「毎日」の悪影響に抗するには、
コツコツ小さな意図的な「毎日」で戦うしかないのかな。




読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_31)


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