自分を育てるのは ”自分”。そして、自分の育て方には、自由がある。
ふと気になって、再度、パラパラしたくなる本があります。ただ、最初から最後まで読み直すには気概や心の準備が必要で、真剣にならないと読み始められない本。なんせ重厚だから。でも、だからこそ、パラパラしたくなるし、良質な本だから、バラパラしてふと目に入った言葉でも、感心・気づきがいつもある。
で、昨晩、パラパラして再発見した気づきがこれ。
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ま、そうですね。ここまでは普通。それぞれの方法で育てないと成長しない。その通り。だから、ひとを育てるときは個々をしっかり見つめて、その人に合った方法で育てようね、みたいな。こんなことかと単純に思う。
でも、リンゴは梨と違うという比較と、人間の個々が違うという比較は、階層が違う。同じリンゴでもそれぞれの個体は違う、と言うなら、人間の個々が違うという比較と一致する。。。
で、つまり、こんな単純なことではないのです。
この著者がすごいなぁ、と思ったのは、この「育てる方法」を「自由」と表現しているのです。それぞれにふさわしい「自由」があって、だから成長する、というのです。え、なんで自由なの? 決まった方法なのに?
で、なるほどと思ったのは、誰かが誰かを育てる話ではなくて、自分が自分を育てるという文脈なんです。だから、「自由」なんです。
ひとには、自分を育てるに、ふさわしい「自由」がある。そのひとなりの道を歩む自由がある。自分を育てる、成長させるそれぞれの道、自由がある。そういう主旨。
自分を育てるのは自分。だから自信を持って自分の道、自分にふさわしいと思う道、育て方を自由に進もう!!!
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これもこう言ってしまうと当たり前。でも、こんな当たり前を伝えるに、ちょっと粋な遠回し。素敵に知的。心に残る。
読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_26)
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