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能登半島地震から3ヶ月目

最近の充実度は、とてつもないものがある

人生で一番大変な時でもあるかもしれないし
一から立て直していく時期でもあったりするけれど

なんだか私は毎日が愛おしく、イキイキと

そしてやりたいことに奔走出来ている気がします

震災を経験してからの私は
あらゆる価値観も変わり

同時にこれはこれからも忘れずに
強く持ち続けようと決意できたものがあったり

人により、この震災の感じ方はそれぞれ違っていますが

私は経験できてよかったと思っています。

確かに、大変だけれども。

同時に。人の役に立てるときでもあるのかな

また命を燃やしていこうって

そう思うことが出来ています



誰しも、自分の生まれた家があります。

私自身も。両親や弟家族などと
時にすれ違いもあったし、
互いに本気で怒ったこともあるし。

それでも今でも大切に思っているし。

近すぎるが故に、ぶつかることってありますよね

でもそれぞれに、根底には
ものすごい愛の塊があるのが分かり。

自分を守るためにそうしたという
そのこころ奥深くの何かがチラついて見えたり。

だから何が今までにあったとしても
私は、家族が大切だ。


そして、私には今同じ様に
大切な旦那さんとその家族が居る。

嫁に行ったり、婿に行ったり。

やっぱり違う家系に触れて。
違和感、なんらかの障害・隔たりを感じてしまうことって、誰しもあったりするでしょう

もちろん私も。
たくさんモヤついたことがありました

ブワッと溢れて 言いすぎたなぁとか。
こうして欲しいんだ!とか。
こうしなければよかった!とか。

パートナーと互いに衝突したこともあるし

でもその度にまた気付きや紡いできたものがあります。

あぁあの出来事があったからこその
今の私たちでもあるんかなぁ。なんて

当時非常にセンシティブだった話題すら微笑ましく。
なんだか柔らかいものにも感じられるようになってきています


今日どうしても書きたくなった話があったので書きます

ここ最近のことでもあるんですが
この間、主人と息子と久しぶりに遠出しました

そこに臨時テナントとして出ていたお店があって

前を通った時にどうしても食べたくなった主人が
ちょっと買ってくるから、かすみちゃん待っててよ。と。買いに行くことに。

私は、そのテナントから数メートル離れた場所で
主人を待つことにしました。

けど、列が長くてなかなか主人の番が来そうにない

決して広くない通路だったし
私がここにいると他の来客の方が通りづらいかな。
後ろの店舗にも影響が出たら申し訳ないなと思って

並んでいる主人には伝えずに
少し離れた場所に移動することに切り替えました。

当然、買い物を終えた主人は、
居たはずの場所に居なくなっている私を探すし

私はここだよと手を挙げてアピールするけれど
なかなか気づかずに。

電話がかかってきてやっと居場所を把握してやってきました。

「ごめんごめんちょっと移動してたんだ」

そう伝えるわたしに、主人が言いました

「通行人の迷惑にならないように移動してたんでしょ?」

「分かるし。全然大丈夫。ありがとう

(場所変えてくれて)。」


これにはわたし、ものすごく嬉しかったわけです。

理由を言わずともなんでか伝わってる嬉しさ

自分が相手を探すことに。
ちょっと苦労したり戸惑ったりもしたはずだけど
そこに何も言わず。

ただ場所変えて待っていてくれてありがとうって。
そこを通る通行人の目線でもあるような
伝えてくれていること。
その優しさというかね、主人に感動しました。

そして昨日。

輪島から今の住まいのアパートに
久しぶりに帰ってきた義母の話ですが。

2人で数時間過ごしていて
またいろんな話をしたわけです

昨日ね、ある施設に届けたお菓子のプレゼントがあって
(そのとき家族みんなで届けに行ったのですが)

またそこに義母が触れては。
私が改めてそのうちの一つを手渡すと、じっと中を見て。
ものすごくいい笑顔で言うんです

「あらぁ。こんな…。
これよう準備したねぇ。
えーすごい。ありがとう

なんか。嬉しいわ。おかあさんも」



わたしはまたその発言に感動してしまい

やっぱり親子ですよ
主人とおんなじことをね、言うんですよ

共通して言えるのは、
自分がどんなに揺さぶられたり。
不安になる瞬間があったって。

相手を決して責めなくて

ただ、どんな想いでその行動をしたのか。
理由があるんだろうな。それは?って。
そこに対して瞬時に感じては
ただありがとうと伝えてくれる人たちだった

そりゃそうかぁ
わたしがとっても好きになった人のお母さん

お母さん自身にも
やっぱり大好きが増すんだよ

大切な人たちで。
とってもあたたかい人たちで。

沢山傷付いてきている人たちでもあり
培われているやさしさ感じて
今日も抱き締めたくなるんですよね

私の信念の一つですが

『 両家を大切にする。』というのがすごくあります。

これは私の信念だから。
もちろんモヤっとしちゃう人もいるかもしれません

けれどこれは私の強い気持ち。

生んでくれた両親だけじゃなくて

今の自分の新しい家族に対しても
それこそ人生かけて付き合っていくのだし。

ご縁があって一緒になった人たちだから

どっちかだけじゃなくよ
もっと大きい家族でね。みていきたい

年に数回会うだけでとか。
あまり関わりたくないわ。とか
最初の印象が良くなかったの、とか。
何かの壁を前に早々に諦めては
疎遠にしていくのは勿体無い

その理由を見ないのは、
知ろうとしないのはもったいないよ。


そこからの始まりじゃないか


現状好きな人や心地いい人だけ抱き締めてたって
味気ないじゃないか


知れば知るほどに
自身が見えていなかったことが
その相手を通して見えて
また自分が知れて。

嫌いだった人が、苦手だった人が。

なんでそう感じたのかを紐解くにつれ
そうじゃなくなっていくかもしれないんだ


あっちは好きだけどこっちは嫌い!

そんな家族関係があるならば
私はそれが苦しい


わたしは。明日死ぬとすれば

本当にこの人に出会えてよかったなぁ って

いろいろ腑に落ちていたいし

お父さん、お母さん、

お義父さん、お義母さん

ありがとう!今日までつないでくれて・・・!


そりゃもう感激して噛み締めて。

家族でやりたい思い出はたんとつくって

言葉にすることは日々言葉にしたいなと思うよ


地震からほんとに色々ありますよね。

けれど改めて、この想いも膨れ上がっています

生死を意識する機会に恵まれたからこそ。
強く感じています。


そんなことを含め

最近の充実度、充足感は
ほんとにとてつもないものがありまして。

何かを決める時の判断基準すら

明日死ぬならわたしはどうする・・・?
そう置き換えてしまっている

大袈裟かもしれないけれど。
本当にそんな感じがあり。

まだ33歳だ。もう33歳だ。

そんなことも関係なくに、
わたしは「今」をすごく
よく味わえている気がします。

そんな今日の16時10分
この気持ちと共に
祈り合わせます。  


▼▽▼ 地震発生後初めて
(1月6日)に綴った記事はこちら ▼▽▼

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