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令和6年能登半島地震

この度の地震に関しまして
ご連絡をいただいているみなさま
お気遣いいただいているみなさま

なかなかご連絡を返せずに居ましたが
これを書いている1月6日現在も、私は無事です。

1月1日夕方に起きました地震の際、
輪島市の自宅の中に義母と息子と居りました。

1回目に来た地震が弱くいつもの地震かなと思っていたところに間も無く、2回目に来た揺れがとても大きく、立っていられない程に揺さぶられました。なんとか耐え忍び、そのとき家族が居た居間は2階が落ちたり柱が落ちずに無事であったこと、玄関入り口も通れる程に保っていてくれたこと、そしてストーブが揺れですぐに自動消化されたこと、悲惨な状況下の中でも、大きな怪我がなかったこと。

様々なことが重なりに重なって、自宅からは脱出が叶いました。

同時刻、輪島市三井にて運転中であった主人も、車を近くの駐車場に止め、なんとか土石流等で埋まってしまった道を回避しながら、車に積んでいたスコップ片手に、走って家までかけつけてくれました。発生から2時間後に合流が叶いました。無傷でした。

そのまま1日は自宅集落近くの田んぼ道に車を止め、車中泊をしました。避難所まで行く道が確保出来ずそうなりました。余震もひっきりなしに続きます。何かが倒れたり、崩れたりする音も夜間鳴り続けました。ガソリンがそんなに無かった為、この先を考え、夜通しエンジンは点けれず、暖房も頼れません。輪島はその日0℃か-1℃。寒さと恐さで一睡も出来ず。夜がとても長く感じました。

明朝、1月2日、近くの施設へ移動できるかもと同じ道に車中泊していた人たちから聞き、施設へ向かいました。

そこを臨時避難所とし、2日目を過ごしました。支援物資はもちろんありません。個々が自宅から持ち寄った米や炊飯器、発電機器で耐え忍んでいました。

胸にどこの町内の何番目の避難者か貼っておき、この先に備えることになりました。

大きな余震はこの日もあります。小さな地震は数えられない程の数。

3日目、両親の住む七尾に避難する為に出発しました。10時頃に出発し通れる道を迂回迂回を続け、18時頃になんとか辿り着きました。

そこからすぐに考え始めること。夫婦で経営するコンビニ2店舗をどのように回していくか考えながら、断水も続いている為、飲料や食料を求める方が多く居られたことから、少しでも地域の為になればとお店を開け続けています。
もちろん、従業員の雇用を極力維持し、その先の家族へと繋げる目的もあります。

この地震の最中、心無い対応の方もおられました。当たり前とは何か、と改めて自身も感じました。

スプーンが無い、コンビニのくせに無いのかと怒ってくる人
どうせ人を選んで売ってるんだろと声をかけてくる人嫌味を言う人
足りない人手の中、片付けの中、自身が機械の操作が分からないからと、店員を捕まえて全部代わりに自分ごとをやってもらおうとする人
断水の中、トイレを提供しているのに、教えたやり方を守らずにぐちゃぐちゃにし、何も言わずにさっとお店を出ていく人
災害に紛れて店から商品を盗んでいった人

こういう時こそ、
その人本来の姿も出るのだと思う

思いやりをもって行動することは出来ます

想像力をもって物事を捉えることが大切です

お店の人も、被災者。

そこにはいろんな背景があるのです

自分さえよければいいや

いえ、決してそうではないのです。

イライラするなぁ。とか、不安だなぁ。とか。
余裕がないんだよ、とか。
それぞれにあるとは思います。

でもそれを態度や行動であからさまに他者にぶつけても仕方がないこと。

何より大変なときは、助け合いをしたい。

親切にされると、誰しも、嬉しいですよね。

お店で働く方々も、まず人であり、
みんな一緒なんです。

一方的にお伝えしたり、責めたり
不満の捌け口にするものでもありません。

どんな思いでお店を開けているんだろうか

全て分からずとも、なんとなく、周りの状況を見て想像を働かせること、出来るんじゃないかなと思います

本来、ごはんを食べれるということすら、ありがたいことのはずで。

スプーンが無いなら箸でも食べれるかもしれない
他の方法を考えてみればいいのです。

何も無いわけでは、決して無いのです。

今この瞬間も、食事が摂れない人もいるかもしれない

握り飯一個で一日乗り切っている人もいることでしょう。

お店を開けるのも当たり前じゃなく

当たり前など、ひとつもないんです。

休む暇もなく、動き続けている人たちがいること。

どうなるか分からない中、
目の前のやれることに、精一杯な人たちがいること。

想像してみることも大事です。

心無い対応をする人もいる一方、珠洲から逃げてきたご家族が居ました。うちの店に寄られました。お姉ちゃんがトイレがしたくて困っていて、泣きそうな顔をしている。急いでトイレを提供する。やり方も教えた通りにしてくれ、そして、本当にありがとうございます、助かりました、と声をかけられる。

断水中の能登。少しでも本当に困る人の助けになれば、今もそう思っています。

助かりました。ありがとう。の声に。
救われる。


私たち夫婦の今後については、救助、道路状況等、落ち着きを見せ次第、輪島に再び戻ります。

家は土砂ダム警戒区域となり、そして住むには難しい自宅状況でもあり、まだ、そのまま様々なものが取り残されたままとなっております。写真やアルバムなども今後取り出せたらなぁと思っております。

まだまだ何も分からないけれど、今は目の前の出来ることをやっていくしかない

能登は、気力でみなで頑張っています。

またあの素敵な街並みの、田舎み溢れる奥能登の景色に触れ合えますように。


何か力になれないか
出来ることがあれば言って欲しい

そうお声がけくださる皆様
本当にありがとうございます。

私自身、戸惑い、まだ何が必要か、何からやる必要があるか、全て整理は出来ていません。。

これからじわじわ沢山出てくると思います。
頭を抱えることもあると思います。

お気持ち、ありがとうございます。

少しずつ、進んでまいります


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