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ひとのちから

人ってさ ほんとにものすごい力を秘めてるんだなぁ

って
私はそう思うんです

いざって時の力。

あるよね いつもは眠ってるけど
実は。

そんな爆発的な力。底力のようなもの。

それを目の当たりにしたときさ

ひとって ほんとにすごいな と

改めて感じるんだ___

1月1日 突然やって来た地震

その時私は、息子と義母とお家の中に居て、
主人だけは別の場所に居ました

車で自宅に向かっている最中のことでした。

揺れ始めてまもなくね、どんどん大きくなるその揺れに、咄嗟に主人はその場に車を停車。車内でじっと耐えていたそう

次の瞬間、数メートル先が崩れる

あっ 土砂崩れだ。

ほんとに一瞬のことだったという。目の前の道路が埋まった。

あと数秒ズレていたら
止まらずそのまま行っていたなら…

間違いなく、その中に居たんだろうな

でも咄嗟に車を停車していた、
そして土砂にも巻き込まれはしなかった。

他の走行車も幸いそこには居らず
誰も巻き込まれずに済んでいました_

揺れが収まってすぐ近くの駐車場に車を停めて
その時にはもう、頭の中は家族の安否でいっぱいです。

私たちの家は、築100年程。

古い昔ながらの造りのお家。
その年月や状態を考えた上で、とてもじゃないけどあの揺れには耐えられないな

そう思ったのだそう。

エアコンもない。ストーブが常のお家。

だからこそ地震で崩れて
火が回り、燃え始めているのか、
そのまま家ごと潰れてしまっているのか、
主人の頭にはそれしか浮かばなかった

雪すかしの為に乗せていたスコップを車からひっ掴む。完全に無意識だ

すでに自宅を目指すことに決めていた。

道路はガチャガチャになり、
土砂崩れで通れない箇所もある。
そんな時は道路の脇に降りたり
道なき道を歩きながらでもなんとしてでも行くと。最悪、川や山を辿ってでも行こうと思ったらしい。
もうそれしか考えられなかった。

恐さや自分の身の安全よりも
家族のことを早く助けたい。もうそれしかなかった。

主人の頭にはすぐに一般的に示される生存時間、命のリミットというものがチラついてはいたそうで

埋まってるならすこしでも早く行って
助け出さなきゃいけない...!

なんとかして出さなきゃいけない

そう思ったんだ、っていう。

そこから、自身の家を目指す
主人の死にものぐるいの旅は始まっていました_

同時刻のわたし

揺れが始まってすぐ、只事じゃない危機を感じ
玄関への道が閉ざされないように、咄嗟に一歩を踏み出します。
しかし、揺れに足を持っていかれて転んでしまう。思うようにも動けない。
でもなんとかせねば。
なんとか這いつくばりながらも前に進み、玄関入り口まで辿り着きました

室内に取り残されている義母と息子が気が気じゃない。
だけど激しい揺れの前にはそばにも行けず、
咄嗟に思いついたのが、わたしが玄関に近い。
出口を確保しなきゃ、
それだけだった

ここさえ、ここさえなんとか保てれば...!

すぐそこの部屋だから。
母と息子は逃げられるかもしれない。
そう思った

軋む玄関の枠がこれ以上ひしゃげて崩れないように。必死に両腕で咄嗟に両端を掴んで
広げるように力を入れて押さえる
ふんばった。

口からはひたすら

おかあさーん、◯◯◯ーーー

頼むから潰れないでくれよ。無事でいてくれよ。
そんな気持ちで名前を叫ぶしかなかった

大丈夫ーー。わたしはだいじょうぶだからーー。
伝え続けた。

掴んでいた扉はどんどん抜けては地面に倒れる
続いてはめ込んであったガラスが目の前に飛び散った。
だけどまだ枠はあるんだ...!
だからふんばって引き続き押さえ続けた。

あのときはほんとにそこを守ることしか考えてなかったと思う
冷静に見ると本当に危なっかしい行為だった

安全などは私の頭からはとうにどこかに行っている
家族が助かってくれたらと。
ただその為に必死だった

上から瓦が落ちてきても
柱が落ちてきてもおかしくはなかったけれど
でもそんなこともわたしの頭にはなかった

確かに後で見ると瓦礫は傍にあったし、
爪もむしれていたのに気づいたけれど
でもそれもしばらくはわからないぐらいで

痛みも不思議と感じないしもうそれどころではないのだ
あの時はすべてを超えていたように思う

揺れがおさまったタイミングで再度叫ぶ

部屋から義母が息子を抱いて出て来た…!

2人とも無傷だ。。

お互い顔を見るなり涙が溢れ出る
途端に震えが来る

状況の整理が何一つできなかった

急いで外に出てからは、ひとまず障害物のない土場に移動した。

徐々に近所の人たちも出て来るのが見える
みんな大パニック
お正月気分が一転、大パニックです。

あっちがねぇよ、、、!

誰かの叫ぶ声が聞こえた

言われた先を見ると、土砂が押し寄せて以前とは違う街の風景があった。

ルームウェアに靴下姿。
私は携帯すら掴んで出ていなかったことにハッとして戻ろうと思う。
玄関がガラス散乱がひどいので、靴は諦めた

携帯があれば…!
ただ、主人や周りに連絡を取りたくて。
家の中に恐る恐るまた入り、なんとか携帯を見つけてはすぐに出た

回線が混乱している中
やっと入ってくる連絡たち。
けれどそこに、いっこうに主人の名前はない…

土砂か道路陥没、事故に巻き込まれたのか、
トンネルが崩れてしまって閉じ込められたのか。。

嫌な予感が私の頭をかけめぐり
どんどん不安と焦りも生まれてきます。

ただ必死に連絡をし続けました。

後で聞いたことですが、主人は主人で発生後すぐに「無事です。大丈夫?」そう送っていたのだそう。

お互いに安否を知らせはするものの
見事にそれは宙に浮いて、届かなかったんだね。

無事を信じて。互いに前に動くしか。
会えるのを、待つしかなかった。

混乱の中

一部の人たちは避難所を目指すことになってきました。
市内中に津波警報が鳴り響いていたからです。

私たちもすぐに移動するように声はかけられます。

けど、私たちは拒否をしました。

道路状況がわからなかったし
なにより主人が万が一ここに向かってるなら。
わたしはこの地域から離れずに待とうと思った
それ一択だった

寒さがすごくて。とりあえず子供と母と車に乗り。近くの田んぼ道まで移動する。そこに集まった地域の皆さんと話しながら

常に携帯で私は連絡を入れながら
ひたすら主人からの連絡を待った。

2時間が過ぎた頃、もう心配で不安で
いてもたってもいられない。
やっぱり探しにいこうかと。そうなった頃、

車の窓越しに向こうから
見慣れたジャンパーの人が走ってくるのがわかった

その人がついにうちの車の横に来て。
車の窓ガラスを叩く

主人だった。

泣き崩れる私と息子

泣き出す私たちに、運転席に居た母も泣き出す
主人も泣く。もう言葉には誰もならなかった

よかった...!

みんな、生きてたんだ...!

主人の手は冷たくて。わたしの手も冷たくて。
靴もズボンもびちゃびちゃで。

こわかったよぉ。。
パパの顔を見て安心した息子は泣きじゃくっていた

みんなでしばらくはただただ互いに抱き締め合っていたのを思い出す。

通常なら車で10分。
その距離を2時間。死にものぐるいで向かってきてくれていた

道中危ない道もいっぱいあったと思う
ひとりで怖かっただろう不安だっただろう
二次災害の危険もあっただろう

でも、家族のためならって。
ただそれだけだった

人間ってね、いざ誰かを守るためなら
愛する何かを助けるためなら
もしかしたらありえないぐらいのその行動や
決断ができるのかもしれないね

私はそう思った

意を決して動く

恐れはある
でもそれ以上に守りたい、
助けたい、どうにかしたい何かがある。

だったら動く。怯えてる場合じゃ、ない。

今なんでこの話が浮かんだんだろうな


そう思いながら
これを書いている自分がいますが

でも。
あぁ多分、人間の底知れない力というか

湧き上がる生へのエネルギーというか。

いざなんとしてもね
守りたいんだと。
ひとは究極そこに至ったとき

危険だろうがなんだろうがその最中に飛び込んでいくし突っ込んでいくし。

それで自分が命を落とそうが、
それはある意味、
頭にはない状態で勝手に身体が動いてもいて。

でもそうしたということに。
そこに全く嘘もなかったと思うし

あれだけの勇気がさ、力がさ、
実は自分にはあるんだな、
眠っているんだなと感じられると。

これから何かピンチに差し掛かった時もさ
乗り越える力が湧いてくるよねって

そんな話をね、
今日主人ともしてました


人間には すごい力がやっぱりあるんだろうね

そしてそれを、
何かを助ける 愛する人のために。

そんなことに使っていけたならば。

成長していけたなら。

きっとさらにさ、そこに素晴らしい世界がね
創造されていくんだろうなって

私はそう思っています。



▼▽▼ 地震発生後初めて(1月6日)の記事はこちら▼▽▼

▼▽▼ 地震から3ヶ月目の記事はこちら▼▽▼

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