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”友達とは?”を考えることは”幸せにつながる”。Part.1

"2020.6.7"


あなたは”友達”。あなたは”友達ではありません”。

考えたこともない問い。
けれども、その境界線はどこにあるのだろうか。

私たちは、
誰を友達と思い、
誰を友達と思わないのか。

どのようにその境界線ができていくのか。


そんなことに少し、耽ってみたいと思う。

思った以上に長くなってしまったので、
Part.1 Part.2にわけて書いていきたいと思う。


***

結論から言うと、”友達の定義に答えはない”


きっと、その”答え”には絶対解はなく、
それと同様に、”答えを求める”と言うことすらも間違っているのかもしれない。

そして、絶対解がないということと並列して
個人個人で返ってくる言葉は異なる。
返答は異なる。

100人いたら、100通りの答えが返ってきてもおかしくない。

それがきっと”友達”と言う定義。


結論から言ってしまって読む意味がなくなってしまった。
と思うかもしれないが、究極的な結論は、
”友達の定義に答えはない”である


***

だからこそ私たちはこの問いに向き合うべきでもある

友達の定義に答えはないが、
だからこそ私たちはこの問いに向き合う必要もあると思う。

なぜなら、”友達の定義は人によって見解が異なる”からである。
言い方を変えるなら”友達の定義は自分で持っていた方がいい”と言うことである。

自分たちでもっていく、死生観のように
どのように生きて、どのように死ぬか。
ヒトは誰かと常に関わっていないと生きていけない生き物だからこそ、
この問いには向き合っていく必要があると思う。


***

友達の定義って?


友だちの関係はさまざまな人間関係のなかで独特の位置を占めている。人間関係には,親子,兄弟姉妹といった血縁関係,向う三軒両隣から地域共同体にいたる地縁関係,そしてこのいずれでもない社縁関係がある。社縁関係は会社などの職場の人間関係をはじめ,各種の教育機関における同級・同寮・同窓関係,信仰を共にする宗教団体,政治的信条を分かつ政治結社,職業を同じくする同業者団体,趣味・スポーツなどの同好者団体など,ある時点で共通の関心や利害をもつ人との関係に始まり,同郷者の会,戦友会,遺族会,さらに各種の被害者同盟など,過去の経歴,体験ないし歴史を共有する間柄の人たちとの関係を含む。  (世界大百科辞典 第2版)

または、

一緒に勉強したり仕事をしたり遊んだりして、親しく交わる人。友人。友。朋友 (大辞林 第3版)

等、様々に定義されている。


これだけ長い文章で定義すると言うことは、
つまり一筋縄ではいかず、簡単には説明ができないと言うことの裏返しである。


簡単に言うと、
「血縁関係的な血の繋がり、先天的な繋がりのない親しい関係性を持っている。」ということではないかと考える。


あなたの”友達とは何か”を一度ここで、考えてみてほしい。

友達と言われてどんな人が思い浮かぶか。

友達と言われて、どんなことを思うだろうか。

もし、言葉で説明しなきゃいけないとしたら、なんと伝えるだろうか。


ここからは少し、私の考えを述べていきたいと思う。


***

”友達の定義”をするためにする2つのこと


いくつか考え方があると思うが、私なりの考えを述べていきたいと思う。


簡単にまとめるの2つのステップがあると思う。

1. 自分の中で”友達とは”こうである。
 ということを今いる自分の友達の中から考える。
2. 自分の人生のどこに位置するか、位置してほしいかを考えてみる。


1つずつ解説していくが、今回は1つ目を書いていこうと思う。


***


1. 自分の中で”友達とは”こうである。ということを今いる自分の友達の中から考える。


先ほどもお伝えしたように、100人いたら100通りの考え方がある。
だからこそ、自分なりの"友達"の考えを持っておく必要がある。
以下のやり方であれば自分なりの友達の考えは醸成されていく。

1-1. 今、思い浮かぶ友達の名前を挙げてみる=グループ化

1-2. なぜその友達のことを”友達”と呼ぶか。を考えてみる=言語化

1-3. 3年前(くらいでOK)の友達を考えてみる=再グループ化

1-4. なぜその友達のことを”友達”と呼んでいたのか。を考えてみる=再言語化

1-5. 1-2.1-4の言語化した部分から共通項を見出す=一般化


今の自分の友達の定義と過去の友達の定義を考えていくことで、私が今まで考えていた友達の定義ってなんなのだろう。と考えることができる。
その共通項を見出せるようになると、”なぜ、そのように考えるのか”という部分において、厚みが出てくる。

短期的な付き合いではなく、何年も仲良くなれるような人が見つかる可能性が高い。自分が何年も友達と思えている人。それはもちろんこれからも、友達だと思える可能性の方が高い。
長期的にみて、自分のメリットになる、幸せになるための人かどうかを自分で選択していくことができる(大事なのは、それが本当に正しいかということよりも、選択できているという満足が得られるかどうか、という部分である。)

そういう意味で、その場で愛想笑いをして楽しむだけの、”うわべの付き合い”は格段に減っていく。(うわべにするかどうかはその人の運と、それを味方につける努力でもあるのだけれど今回は割愛。)


ここはその人によって本当に異なってくるので、正解も間違いもなにもない。
問いに対しての、仮説的な答えが成り立つだけである。ただ、あなたの中では必ず正解になる。だからこそ、出てきた答えに対しては誰かに無理強いすることなく、正解として自信を持っておいて欲しいと思う。

***

今日のまとめ


友達の定義

100人いたら100通り=人と異なって当たり前
自分なりの定義を持つことが大切
・ 自分の中で”友達とは”こうである。ということを今いる自分の友達の中から考える。
 <考え方>
 1-1. 今、思い浮かぶ友達の名前を挙げてみる=グループ化
 1-2. なぜその友達のことを”友達”と呼ぶか。を考えてみる=言語化
 1-3. 3年前(くらいでOK)の友達を考えてみる=再グループ化
 1-4. なぜその友達のことを”友達”と呼んでいたのか。を考えてみる=再言語化
 1-5. 1-2.1-4の言語化した部分から共通項を見出す=一般化


***

いかがだったでしょうか。
「友達の定義」
普通は行わないことですが、一度向き合ってみても良いかもしれないテーマではないでしょうか。

明日は、Part.2を書いていきます。
もしよかったら明日もみてください👋



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