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人間体安定

 僕が人間を保ってられるのはそんなに長い時間ではない、
僕は人間でない時にひたすら堕落している、ただ堕落にも順序や、
序列が存在しているようであり、まわりの状況一つで、
堕落も様相を変える。
 惰眠をむさぼってるときが一番、楽に過ごせてる時間だ、
人間体安定をせずに済む人間体からほどけた状態、
それに自分の形があるように感じてる次第である。

 人間体の状態を保っていて不安定であり、
そんな存在に自由を与えたらどうなるのだろうか?
 勇者融合ブレイブンには安定しない勇気の結末がある。
同じように僕にも僕の結末が存在していた。
 僕は自分を信用できない、
自分自身を信ずることそれが上手く出来ない、
ありとあらゆる不確定な衝動や欲求に苛まれ、
自分をここに置いていくということが上手くやれないのだ。
 それはいくら支援の手があっても、
医者にかかっても直すのが難しい性分のようなものだ。
 僕は性分に関して呟いたことがある、
その際に気付いたことは、人間は努力、工夫、忍耐では、
性分に勝つことが出来ないという事だ。
 そもそも努力も工夫も忍耐も、自分の性分をねじまげて、
社会に順応するために作られた言葉に近く、
誰かの勇気を認めて絞り出された言葉というわけでもない、
性分に従わないことが勇気だろうか?
 実際は違ってる、僕の性分は性格である、
性格を改変するには莫大な力を必要としている、
いくらこねくり回しても個人の性格も性分も変えるのは難しい。
 何故、僕が、文章をこねくり回しているのかといえば、
それは今できる一番楽なことだからだろう、
絵を描けばスペースを管理を必要とする、
自己管理が必要なことほどシビアに感じる、
性分は年月とともに徐々に出来上がったものでもない、
天性とも言えるものに近い、だって本当なら、
一日中ゲームをしているような人間であったし、
遊ぶこと以外の勉強には不慣れで怠惰な人間でもあった、
それが実際、自分の本性なのだ。
 その本性を努力、工夫、忍耐で覆い隠そうとするのは、
それこそ苦痛であるのは確かで、
ゲームや遊びをとうと昔に他人事のようにしてるところはあるものの、
自分が堕落することや抑圧に対しての耐性は日に日に、
うまく制御出来てるとは言い難い状況にある。

 そんな中で受けれる支援も限られてるだろう、
僕をなんとか保っていられる時間はそう長くない、
年に二か月ほど集中する時間を作り出せれば良い方であり、
それ以上となると努力も工夫も忍耐も何もかも必要になってくる。

 自分に必要なのは休養、そう言えるほどに自分を酷使してるのは確かで、
他の人からすれば怠惰にも近しい歩みだろうとは思うけれど、
常に元気になっている、元気でいられてるというポーズをするのにも、
かなり気を張ってるのは確かだろう、自分の思想や思考が、
それほど改善していかないのも社会との関わりあい方が全然分かってない、
ようするに社会から受けた恩に対して死ぬまで返済し続けないと、
到底、還元できないと思ってる節があり、
僕がたったひとりの人が見続けてくれる限り続けられた、
聖本物川語りのアップロードもすべては自分を殺してでも、
他者の物語に参画し、社会に命を還元したかったからに違いないだろう、
わたしゃ人間の全部をかけて毎回ぼろぼろにならなければなのだろうか?
 2017年は作品と何もとくにかかわらずに過ごしたように覚えている、
そして2018年はリハビリも兼ねて作品を作っていた時期であり、
棒人間のお話が丁度、僕の可能性を広めるのに丁度良かった、
大体、二か月間ほど棒人間と向かい合って描くことで、
自分の画力の限界を悟ることが出来たし、
何より全ての人が資料を頼りに制作しているマンガというものを、
子供の落書きレベルで持続するにも体力が必要だとよく分かった作品で、
そう、僕は長い長いリハビリを今始めたところなのである。
 絵を描くファイトはそこまで残されていない、
そもそも努力、工夫、忍耐、この三つをかけて、
テキストを先行させたり、絵コンテを先行させたりして、
無理からに絵を上げていくというやり口でファイトやガッツを、
自分の底の底から作り出していたという具合であって、
そんな無理からなやり方で練りだしていても、
あまり他者のスペース、共有できる領域に到達しない、
一人ぼっちの世界から羽ばたけずにいるのは確かなのである。

 では、僕に居場所を与えてくれるだろうか? 社会は?
実際問題、社会には少しずつ居場所が無くなってきている、
僕が年を重ねるほどに社会から必要とされなくなり、
皆が必要と求めるものはよりシビアになって個人の力で、
紡ぎだせるものよりも組織だって作られるものが優先され、
よりシステマチックな娯楽を皆が欲するのは知れたことであり、
そんな中で自分で自分の世界を抱えることに必死になった、
人間は、自分の居場所を見いだせないし、
曖昧な人間ほど社会が嫌うものはないだろうから、
先鋭化され専門特化した人間のみが職に就くことが出来て、
やがて僕のような曖昧で中途半端な人間はふるいわけられて、
今受けている社会資本は受けられなくなり、
福祉の手から外れ、孤立する事だろう。

 それが努力、工夫、忍耐を限界まで常に続けることの出来なかった、
人間の末路なのだ、僕はその未来を受け入れるしかない、
周りの人から支援の手が無くなり、期待されず、
完全に視界から排された状態で生きるしかない、
努力、工夫、忍耐、どれを使っても現状を打開できない人間は多くいる、
お前は障害が重く無いのだから努力、工夫、忍耐を使うことが出来ると、
人は言うだろうが、僕は三つともを使って自滅した。
 自滅を繰り返せというならやるだろう、失敗を繰り返すことで、
まぐれあたりの成功を掴みだせと、傷だらけになることを要求される、
そうならば、それをするしかないなら、自滅の道を選ぶだろう、
 でも分かってほしいのは、どれだけ軽い障害であったとしても、
努力、工夫、忍耐には限界があるってことである。
 その人に与えられた社会資本はそこまで多くないことは、
あらゆる人を支援している上で分かりきったことだろう、
何故、あの人に出来ていて君は出来ないのか? 比較することだろう、
あらゆる場合、あらゆる時間、あらゆる瞬間、
出来る人と出来ない人を比較して努力量を算出し、
努力した人間にのみ救いの手を出すことになるだろう、
そうして努力と工夫と忍耐を失った人間は排除して社会は成立する。
 常に頑張り続けなければ、常にファイトを出さなければ、
常に、人間で在り続けなければ保てないとそうやるのである。
 社会資本をより有意義に使うためには福祉の世界でも、
人を見限る必要が出てくるのは確かである。
 あらゆる人間を助けられるほど人的余裕も、
資産的余裕も、無いのである、組織は自らが持つ役割を、
果たすために存在するのだから、人を自立させると決めた組織ならば、
支援の手を伸ばしてる時、対象が自立の道を諦めた時点で、
切るのが最適な判断なのかもしれない。
 となると、やはり社会の為には僕は社会資本を増大させるためにも、
自立するか、自らを切り捨てるか決めなければいけない、
人生を終わらせるにはまだ早いと言われるかもしれないが、
社会資本を増大させるのがあらゆる組織の目的なのだから、
社会資本を損耗させる存在は排除の対象である。
 もし自立の道が無いのであれば早々に自らの命を絶つ必要があると、
いつも思ってきたところであるし、それは今も心の根底にあって、
止められない衝動の一つではある。
 そんな危険な思想に偏らないで、自立の道を探れと言われたとして、
僕は危険な思想を捨てることが出来ない、
自分の根源にも関わっていて、表現をする時に、
振り切らなければ描けなかったことに由来している。
 ほんとならば普通の表現をするのが一番で、
あらゆる人間にむけて可愛げのあるイラストでかつ抽象的で、
さらに究極的には市場受けするものを生産しなければ社会資本として、
合格ラインに達しないことはよく分かるのであるが、
僕が求めている人生の有意義な過ごし方は、
始めから自分を社会資本だと認めてくれるイージーモードである。
自分を保存、保管してくれる場所が決まっていて存在する、
そんな人間を守れる世界観である。
 そんなもの存在していないと恐らく言われる事だろうが、
僕は、常に、自分を救う方法を考えてきた、
何でもよかった、自分を助けてくれる何かは何でもよかったあるならば、
ただ自分を救う方法に結びつかなかった、
あらゆる努力は自分の時間をどんどんと縮めていくしかなかったし、
あらゆる工夫は自分の気力をすり減らして存在するシナリオだった、
あらゆる忍耐は自分の体力を必要以上に求める限界突破に近しかった。

 僕は常に死に掛けである、既に心が死んでいる、
おおよそ、何度も心を殺しに掛かっている、
自分の護りたいものは決まってきている、
子供の頃遊んでいた玩具箱の安寧である、
玩具は壊れない、扱うものが壊す意思が無ければ、
玩具は玩具箱の中で存続し続ける、
そしてなんどでも、玩具箱の中で出番を待ちわびている。

 僕は玩具と一緒に遊びたかった、それが守られないし、守りきれない、
玩具は皆、社会から名前を与えられていて、正確な名前で、
呼ばれなければ遊びを存続させられない状況にあった。
 そしてその遊びは二次創作という名前がついていて、
あらゆるものは個人が保有していたにせよ大元の生産者が存在し、
決して自由に自分の世界で自分だけの名前で遊ぶことが出来ない、
あまりにも多くのキャラクタが生産され、その量が圧倒的であり、
どこにも役割も居場所も無いことに怯えていて、
与えられた玩具はどれも残らなかった、
 では玩具がもとあった世界、アニメや特撮の世界を見て、
それに憧れを持っていれば玩具を失わずに済んだのだろうか?
 決してそうではない、あらゆる子らが玩具箱の安寧を求めるが、
そう、それは自分の物なんかではない、
自分だけの玩具など存在しないのである。
 それが分かった時、子供は玩具で遊ばなくなるだろう、
最大のわがままだが、自分のものといえるものが無ければ、
自分の物と言える作品が無ければ人は空虚になる、いくらでも。

 少し話が脱線したように思えるが、
僕は自分の作品を玩具のかわりにしようとしている節がある。
 何せ、玩具遊びを続けることが出来ないことは決まっていて、
あらゆる人がその所有の大元に立っていて、
常に子供たちを見張っているのは確かだからである。
 子供たちを玩具と一緒くたにして遊んでいる限りには、
いつまでたっても僕らは自分の玩具で遊ぶことは出来ないだろう、
常に、所有の限界でせめぎあい、自分のスペースの限界を知ることになる。
 自分の領域の限界、広く広く社会に広がっていくはずの自分の、
領域が、閉ざしてしまう瞬間がある、誰もが期待して、
作品を打ち出すがあえなく限界を迎えてきた理由は他ならぬ、
あらゆる人たちの領域の限界にある。

 そう、僕は餓えている作品を共有する機会に餓えている。

 どれだけ新しく居場所やスペースを創りだしたと、
人が誇ったとしても、見せつけたにしても、
個人の居場所が無いことには変わりは無い、
大人が自分の居場所を探すことは本当に難しいことである。

 自立するか自決するかである。

 人間一人の居場所を創りだす事も容易ではないのだから、
当然人の環境を汚染する可能性のある個体をそのままにはしておけない、
努力もせず工夫もせず忍耐も無いのなら誰がその存在を生かして、
おけるものだろうか? 僕は抹殺される運命にあるだろう、
自分で考えていた世界を自分の力で粛清し、
社会に合ったそぐった自分にしない限り永遠に解放されない、
社会は冷徹に事実のみを述べるマシーンとなった。

 お前には居場所が無い、お前を支援するのはもう限界だ。
 お前は自立しなければならない、出来なければ自決せよ、
 完全にお前の未来は決定した。 生か死か選ぶがいい。
 どちらを選んでもお前に自由など与えられてはいない、
 全てが社会の決定によるものである。
 個人は個人の意思で生きるのではあらず、
 社会の決定によって個人は生きるのである。
 社会がなければ人間は存在しえず、
 社会が人間の全てを決定している。
 社会の決定に背くことは死を意味する。

 社会は拘束力をもってして個人の意思を凌駕する、
もはや僕には意志は残されていない、
全て社会が決定する、社会は完璧なシステムである。
僕は完全に社会の傀儡となって踊るしか他ない、
社会は人間を作り出した、
社会は生産責任を負って人間を義務に駆り立てる。
人間に権利など存在しない、
義務を果たさないものに権利など無いのである。
人間を社会のパーツとして扱う為には、
無限のエネルギーが必要であって、
人間には無限の努力、工夫、忍耐が要求される。
それのみが完全なる社会を支える仕組みとなっている。


 汝、社会人たれ、究極なる社会の模範となれ。

 逃げる方法があるだろうか?
僕は資本に飛びついた、
だが資本は資本で永遠に自己を偽り続けなければならない、

 資本は人間を形作る基礎であり、
すべて投入された資本は人間のカラダのなかで還元され、
インプットされたデータはアウトプットされなければならない、
人間は究極的に資本で体を作られているのだから、
恒久的に資本を労力でカバーして還元しつづけなければならない、
限界を越えた資本流通を支えなければならない、
消費は人間に求められた最高の表現手法であり、
全てのものが消費にちなんで人間性を開花させる。
 消費しない人間には成長は訪れない、
消費することが人間を躍進させてきた、
資本を回すことが経済のエンジンとなって人間を進化させてきた、
人間の進化、革新のためには常に資本を使い続け、
投資の対象となるものを成長させることで、
自己もまた成長させなければならない、それを継続することだ。
 人間は資本で作られている、
君の資本は君の為に在るわけではない、
君に投資した投資家たちがバックを求めていることが分からないのか?
キャッシュバックが必要なのだ。
 君はキャッシュを最終的には支払わなければならない、
あらゆる君を形作ってきた資本に答えるために、
消費をし続けなければならない、そうでなければ成長はあり得ない、
全ての人は消費することで始めて成長してきた、
裏道も無い他にルートも存在しない、ひたすら真摯に、
ストイックに続けてきた結果が資本主義の成果に繋がった。
 君はどんな人間になるのかね? お金の為にお金を使う人間になるのだ。

 蓄財が許されていない、散財が求められている、
自己を保つためによりよい人間になるために、
お金を使って自分を成長させ続けなければならない、
最強の人間は莫大な資産を保有している、
それだけ沢山の人間を保有できている証拠である。
 人間は金の力によって人を自由に出来るのだ、
それだけの力を与えられた、君は自分に与えられた資本を、
社会から与えられた資本を社会に還元し社会を回さなければならない、
その為に君は作られたのだから、君は機械の人形に等しい、
社会の為になるために、君は散財しなければならない、
君は自分を失う危険を恐れてお金を使わないが、
それは間違っている、お金は人間を支配するためにあるのだ、
お金によってはじめて君は社会に生まれることが許された、
全ての人は資本によって自己を成立させている。

 お前は資本に忠実な犬にならなければならない。

 どちらに向かって吠えても帰ってくる声は大体同じである、
自分らしさなどないのである、それを求められてはいない、
作家に必要なのは個性では無く市場調査である。
 生き抜くためには資本になる絵を発表し続けなければならない、
全部、お金と社会の為だ、自分などいくらでも替えが効く、
死んでしまっても人間にはさほどの価値も無い、
せいぜい葬儀屋を中心とした経済が回るという事だけだ、
どちらにしても社会を回すことになる。
 どちらを向いても誰に背いても社会を回し続けることになる。

 人間、人間が求められる、無限に人間が求められる、
理由は資本を回すため、経済を回すため、社会を回すため、
真に社会に還元した人間になるために、
 その命を捧げよと、永遠にささやかれるのだ。 永遠に。




おしまい

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