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機能に縛られる

 とりあえず毎日90人フォローする癖をつけておけば、
今月中にフォローした人は1000人突破するだろう。
 とりあえず毎日90回スキをしておけば、
1000スキはそんなに苦も無く到達するだろう。

 どちらもnoteの許容度に縛られての事である。
 もともとnoteはクリエイター向けに作られてるらしく、
そういった使い方は違うということなのだろうが、
なんとなくボタンがあると押してしまう癖があるのでね。

 とにかく人間は縛られてることが多い、
解放されたりはしない、環境に縛られ、現実に縛られ、日常に縛られ、
余裕を持って暮らせてる人のほうが少ない、にもかかわらず、
さらに機能でも縛られる、解放されることは無い、
人間として挑戦心を持つことは悪いことじゃない、
けれど分不相応の望みというものは絶対にあって、
特に幼少期からの暮らしをあまり変えずに送っている僕のような存在は、
週五、就労継続支援b型に通うので手一杯だ。
 大体、四単位以上拘束されるので、事実上一日向かい合うことになる。
それは労働に自分を慣らすためではあるが、かれこれもうすぐ、
二年目くらいだろうか? 詳しく通い始めた日を覚えていないので、
大体そんなところで、ちょっとあやふやな記憶なのは確かだ。
 この上に労働をするように求められるとしたら、それは日常の崩壊、
それを意味する。 もともと、普通に働くことが出来ないから、
社会からドロップアウトした人間であって、さらに躁転している時の、
病状が人一倍激しいのもあり、あまりストレスを抱えると、
全ての人間が自分を肯定していると思い込むことにもなるだろう。
 全ての事象が自分を肯定しているという全能感は本当に半端ない、
一度はまり込むと、あらゆる本が、あらゆる情報が、全部、
自分を全肯定しているような錯覚に陥る、要は全ての事柄が、
全部自分を中心として回っているという感覚だが、

 もっと分かりやすく言うなら、アニメの主人公は自分を元にして、
作られてるに違いないとか、 漫画のストーリーは自分の半生に、
近しいとか、 あらゆるニュースには自分がいまいる状況を、
下支えするために仕組まれたもので、まるでトゥルーマンショーの、
ように自分の人生は仕込みを入れられてあらゆる人が遊んでいる。
 そんな根拠もない妄想に囚われるわけである。
 これの逆が鬱状態において現れる症例である。
全てが自分を否定しているように感じる瞬間だ、
あいにくこっちの発作は引き起こすと割に大きな確実で失敗する。
 すぐ死を選ぼうとするし、ありとあらゆるニュースが自分を、
嘲笑しているように感じ、些細なニューストピックも自分が原因で、
起きた事故、事件。 自分が間接的に関与したことにより、
人が多く死んだと思い込むなど、国家ぐるみで1人の人間の人生を、
監視していて、僕の行動で国の指針が決定したり、
突然起きる全ての人類の災いは自分がサタンの子だからだ、とかも、
要するに加虐妄想に囚われて、完全に勇気が砕かれる。

 これがもう少し悪化すると統合失調症と似通った症例がみられる。
さっきまでの躁転と鬱状態のアップダウンを一歩突き抜けたところに、
自分の頭の中にあるものを即座に一字一句大声で吐き出すという、
症状がある、これは引き起こされるとかなり周りを含め、
家族がパニックに陥るので、あまり起きてほしくない症例だ。
 どんな感じになるかというと、まず、先ほど書いた、
あらゆる事象が自分を中心に回っているという妄想が浮かぶ、
そして、その妄想を根拠に言葉を組み立てて、すべてのことが、
自分を中心に出来ていると、自分が今まで歩んだ履歴やであった、
事柄、特にインターネット内での人物関係などに想いを馳せながら、
世界は滅亡に瀕していて、その滅亡を阻止するために自分は作られ、
滅亡を阻止するための未来予測からの、自分のやらなければならない、
こと、更に、たまたま起きたありとあらゆる事柄全部を、
自分の予測したことと一致したと更に加速させてみせて、
全てのひとが自分を見ていることを前提として話を進める。

 その様は双極性障害の最たるものなのか、それとも、
軽い統合失調症を体感しているのかは、医者の診断が複数あるので、
定かではないが、 あきらかに分かっていることは、
自分が体験してきたこと全部のせにして作り話をするということだ。

 何にしても、僕はその状態が長引かなくて、
単発的なもので良かったと思ってる、その発作は、
確実に自分の首を絞めるものであるし、もし人前で起きたら、
とりあえずかかりつけの病院に電話されるのは普通なこと、
下手したら救急車よばれるかも、一時間以上、
作り話を大声でしゃべりたてて、
その後に疲れ切ってダウンしてしまうからだ。

 悪いところは、自分でもそうなったものをどこか俯瞰できていて、
話していた内容を完全にではないが覚えてる事だ、
余計に恥ずかしさが増幅しもする。

 ただ僕の病状はストレスと因果関係があることは、
なんとなく理解出来ていて、ストレスが限界を迎えると、
双極性障害の躁の波、鬱の波に従って自分のことを肯定、否定、
どちらにせよ、自らの生死をかけるような強い使命感をもって、
何もかもが、降りかかっている感覚に囚われる。

 だれが、モビルスーツを現実に作って、それを、
自分が乗るように仕向けて、アラブの国が大戦争になる、
そんな妄想浮かべて、即興の作り話でペラペラし続けるというのか?

 僕である、結局、ありとあらゆるフィクションを現実視し始め、
最終的にそのすべてを解決する術を持つのが自分という、
とてつもないお話を作り上げるのである。 勘弁してほしい。

 まだマシなのは、今こうして客観的に見れる自分がいるように、
衝動的になっているからといって、理性を完全に捨ててるわけじゃない、
その事である、僕の病状は自分を大きく揺り動かして、
時に、人間としての機能に縛れているから、
本当に働いてくれてる、毎日のように動いている理性だけが信用おける。
 そう、理性は信用のおける友達のようなそんざいである、
自分がいくら混乱した状態にあっても、常に俯瞰していて、
混乱していた時のログを残しといてくれる。
 これがもし、その時の記憶を完全に失ってしまうとしたら、
僕は今頃多重人格者として暮らしているかもしれない、
全てはテンションによって作り出される自分の状態なのだ。

 で、と、もし躁と鬱に中間があるとしたら、その中間が一番つらい、
どう辛いのか理解してもらいたいが、元気にやってる自分が躁で、
死にたいといってる自分が鬱だ、分かりやすく決まっている。
 じゃあ残された中間にいる僕は何なんだろう?
この僕は、二つの移り変わる気分に揺り動かされて、迷惑被っている。
鬱の時は一日中寝ていたい衝動に駆られ、
躁の時は一日中働いていたい衝動に駆られ、
中間の時は、二人のやらかしたことの尻拭いに追われる。
 理性を保つ僕が一番可哀そうなのである。
 もし僕の性格が躁のような人間だったら、ずっと、
働き続けて、壊れて、死ぬだろうし。
 もし僕の性格が鬱の様な人間だったら、ずっと、
眠ったまま、眠った時に見た衝動に囚われ続けて、
自殺を選んで、飛び降りて死ぬだろうし。

 で、今いる冷静でいられてる僕だ、この僕は、
今までずっと二人の間で悩み続けてきたのもそうだし、
なにより、この二人を産み出す原因になったのも、
僕の理性である。

 僕は完全に自分を押し殺して生きようと思ってた、
理由は簡単である、居場所がどこにもないからだ、
学校にも家にも、どの環境にも自分を自分のままにして、
成長させてくれる居場所が無いからだ。

 幼少期はまだ小さい身体が、その不安を受け止めても、
未成熟であったから、環境との摩擦も少なく、
落ち着いていたのだろうけれど、これが成長するといけない、
今まで以上のスペースが必要なのに、
家には自分の部屋など存在していないし、
自分の為に存在する勉強机も逆光が差し込む窓辺にあり機能しない、
そう機能不全に陥ったのだ、我が家は。

 じゃあ、一人暮らしをしたら?

 まだそれに必要なだけのお金を手に入れられていない、
恐らく、社会問題化している4070問題などと呼ばれるようになってからだ、
一人暮らしを始めることになるのは、それこそ、社会福祉に関わる、
仕事の人の本格的な介入が我が家に始まるには10年くらい待たなければ、
いけないことだろう、やっと政府が目を覚ましてくれた頃合いである。
 中年の39歳以上のひきこもりが本格的に社会問題化してると、
データが出始めた頃である、僕も今でこそ通えてる場所があるが、
今までずっとニートだった経験を持っていて、その孤独を費やすために、
非人間的な動きをずっと続けてきた、その事を僕は獣と呼んでいる。

 夜の公園を走り抜ける猫を追いかけたり、
夜の公園で大声出して歌ってみたり、
夜の公園で遊具で遊んでいたり、僕は囚われていた。

 未だに囚われている。 理性のある僕は、他の僕に引きずられている。

 あと10年、耐えられるだろうか?
甥っ子が無事に12歳で中学に通うだろう頃合いに、
僕は一人暮らしを目指して、自分の精神状態が完全に安定し、
躁と鬱の狭間で苦しむ理性を解放できるだろうか?

 少なくとも、今は、自分を客観的に見る事の出来る、もう一人の、
自分でいられている。 自分の人生をみつめることが出来ている。

 あ、本当の話、人の顏を描くのが一番性分に合ってるけれど、
それだけじゃあまりにも色鉛筆の肌色が無くなり続けてしまうので、
どうしようか迷ってるところ、そしてデジタル化というものは無理だ、
僕には自宅に部屋が無いし、勉強机も荷物置きと化し、座ることも出来ん。

 はっきり言おう、この状態で働きに出れることは異常だと、
一人暮らしを始められた姉はパイオニアであるし、
今、実家暮らしをしてる二女である姉の働くバイタリティは凄まじい、
次男に値する弟は、アルバイトを続けていて精神に異常もきたしていない、
健康がこの環境で持続できることは羨ましい限りである。
 そう思うと勇気が貰えるが、僕は駄目だ、

理性を保ってられる時間に、エロ動画サイトを見たりしてる猿だ。
 結果として獣と何も変わらない、落ちてくる幸運に吠え続けている。

 全人類が束縛されることなく解放されることを望んでいる。
 それは悪い結果をもたらさないだろう、皆、解放されたくて生きている。

 こういう時、すぐシンギュラリティがAIがBIがというけど、
具体的に救ってくれるのはやっぱり人だ、人が全てを救ってくれる。

 で、状況は変わりそうか?

 どうだろうか? 僕は未だに自分を末の弟と比べている。
末の弟は恐らく病院にまともに通ったなら、何かしらの障害で、
診断を受けることになるだろうことはわかっている、
彼は僕よりもっと恵まれていない、母は自覚しているかしていないのか、
どうかは分からないが、とにかく家に居場所というものが無くて、
未だに母さんと布団を一緒にして寝てる環境に居る。
 かれこれ25歳も近いのではないだろうか?
彼のどこが可哀そうかって、何より、勉強机は物置と化しているし、
好きなものに手を伸ばす事が出来ないし、
生きている性分がまず怒りっぽかったり、すぐ気持ちが切れてしまう、
雷に想像以上に怯えるし、犬も苦手だ、赤ん坊からも逃げてしまう、
おおよそ発達障害を抱えているのだろうが、母は、意図的か否か、
無視しているといってもいいだろう、それでも毎日の食事も、
コミュニケーションも一応とっている、喧嘩も滅多にしない、
母が未だに主導権を握っているからだ。
 母は、今年62歳になるのだろうか? 女性から正確な年齢を、
訊くことが出来ないから未だに分からないし、
僕は人の誕生日を覚えていられるほど、余裕が無い、
心掛けの問題じゃあないかって? 記念日を忘れるなんて、
酷い人間じゃないかって? 僕は人間ではない、獣だ。
 この年になるまで、教育を受けていたのではなく、
与えられた教材に噛みついていただけで、人らしい、
教育をまともに受けたとは言えない、僕を教育し、
まともに指導してくれる先生には未だに出会えていない、
皆、自分のことで手一杯であり、教育に真に力を掛けられない、
そして僕の家の事情なんて誰も知る由が無い、
誰も知らない。

 僕の家は五人姉弟の六人家族、僕は母子家庭に育った。
というのも僕が小学生一年かの時に、父が他界したからだ。
父は正確には自殺らしいのだが、死の状態によっては、
我が家は父の死により一家離散もあり得た、が免れた、
奇跡的に遺族年金が入って、マンションのローンも降りたらしく、
持家ありで今まで、姉弟五人を母一人で育てることが出来た。
 が、同時にそれが災いしてもいた、
誰でも幼少期から家事手伝いをするのは当たり前のことだろうが、
僕の家でも当然幼少期から家事手伝いをしてきたわけで、
役割分担の考えから、晩御飯まで作るのが普通という事らしかった。
 今の今まで生きてこられたのも奇跡に近いが、
とにかく家族みんなの忍耐は僕の生きてきた31年持っている。
そしてあと10年持つのかというところであるが、
僕はもっと元気に暮らさなければならないだろう。

 母はいくつまで生きれるだろうか?
 僕は一人暮らしをはじめられるだろうか?
すべては僕のネットでの活動に掛かっているし、
現実にバイトなどを始められるかにも掛かっている。

 働かざる者死すべし滅ぶべし、神はそう言った。
働かざる者は死ななければならないし積極的に滅ぼさなければならない、
一分一秒働かざる者を殺さなければならないし、
働いていない人見かけたら殺し文句を言い合わなければならない、
たとえ相手が自殺未遂者であったとしても知ったことではない、
働かなければ死ぬしかない、それが現代日本の状態である。
 日本は確実に人を殺して生きるだろう、
それが人口減少に少しでも役に立つのなら、
大きな地球のため、世界の為になるというのなら、
人を殺す手を止めたりなんかしない、もっと死ぬべきだ日本人は、
率先して死ぬべきだ、この先働けなくなる人間はもっと死ぬべきだ、
働くという美徳を受け入れられない人間は生きている価値が無い、
神は働かざる者を殺せと命じられた、ならば殺さなければならない。
その破滅的な思想に感化されたものが世界中にばらまかれている、
一億総活躍社会では一丸となって働き続けるモデルが継続、
されていかなければ、一億総クリエイター社会においては、
一億人全員がクリエイターでなければ、人間は延命することが出来ない、

 人間は弱い生きものである、何かを殺さなければ生きられないほど、
ひっ迫している、僕もきっと殺すのだろう、多くを、もっと沢山、
そうして、一億火の玉となって殺し続けた先に未来が開けている。
 そう、人が不要になる社会の実現だ、もっと死ね、もっと滅べ、
もっと殺しあえ、もっと殺戮を繰り返せ、
 働かざる者死すべし滅ぶべしは、遂に全ての人間にもたらされる。
 全ての人間が働かなくなった時、人は全ての憎悪をぶつけあって、
殺しあう、殺すことが労働だと言わんばかりになって。

 人間は弱い生きものである、僕は信じている、
全てのひとが苦しむことなく死ねるように、
僕もまた自分の墓を作り続けている。

 今日は絶好の死に日和だったから人が死んだ。

 そう思える社会の実現はそう遠くは無い。




おしまい

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!