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逃げた記憶


学生時代、それが楽しくて仕方がなかった。


音楽活動、バンド活動。


初めはただの憧れだった。
物心ついた時から好きだったBUMP OF CHICKENに影響され、
中学1年生の誕生日に、これが最後という制約と誓約から、
アコースティックギターを買ってもらった。

ギターコードのサイトを調べ、YouTubeでMVとか音源を探して、
それに合わせて弾き語りするのが、どんなゲームより楽しかった。
学校の理不尽さをそこにのせた日もあった。うるさいと親に怒られもした。
厨二病。それでもそれで良かったんだと思う。


高校に上がって、同じ中学の友達とバンドを組むことになった。
初めて合奏を体験する気持ちよさ。
中学生時代は軽音部もなく、スタジオを借りるとかもなかったから、
永遠に弾き語りをしていた。一人で。
そしてそこで初めて、合奏を経験する。溢れる感情がすごかった。

「響く」「曲の一部になる」そんな感覚を得て、出た初めての文化祭。
初めてのお客さん(とはいえほとんど友人や先輩方だが)を前に、脈は早く打った。
少しだけ高いステージ。必死でカッコをつける。
憧れへと一歩近づいたのだと思った。

いつしか、僕らはライブハウスでライブをすることとなる。
地元や隣町のライブハウス、県を跨ぐこともあった。
運動部とかの「試合」みたいなもんかもしれない。
結果や評価を受けて、夢を見るようになる。ありふれた、幾千の星の一つと同じように。


「音楽で飯を食う」
何にでも言えることだけど、それで飯を食うということは、
そこに価値を感じてもらう必要がある。

価値を見出してもらうために、生産する何かに責任を負う。
責任とは、スキルやクオリティ、時間だったり、熱量だったりだろうか。
楽しくやっているばかりが、それではないこと。

今ならきっと、その意味をもっとうまく飲み込める。
いや、当時も別に分かっていなかったわけではない。
だから身を引いたのだ。

努力ができなかったのを、才能のせいにして。
楽しくできないのを、彼らのせいにして。
僕は、卑怯で、ズルくて、弱くて、逃げることしかできなかった。

管理や干渉されまいと、SNS等の連絡手段を絶った。
そんな大学生だった。


そして社会人となって。
音楽を演奏する、作る側から完全に離れることは難しかった。
「夢」と呼ぶには甘すぎる思いをズルズルと引き摺って生きた。

不意に飛び込んでくる、彼らの活動。
恥ずかしくなるような青さ。
だけどそれは大人になって、忘れてしまうようなものだった。
「夢」を本気で見つめる眼。

「夢」は眩しくて、時に人を追い立てるくらいの輝きを放つ。
でも「あれを見てないと、生きてる意味が分かんないから、目潰れてもあれを見るんだ」っていう勇気と覚悟を持ったやつが、成し遂げていく人間で。
それがアイツらなんだと、羨ましく、妬ましく思えた。

それでも「がんばれ」とは思えた。
遂に言うことはできなかったが。


年明け前に、一番色々話をしていたメンバーの一人に、
「久々に飯でも」と誘われた。
時間というものは不思議なもので、あの時あれ程拒んでいたにも関わらず、
今は飄々と返すことができる。「いいよー。」

会って話したのは何でもないこと。
許されたとは思っていないけど、一緒にいてくれるだけでありがたかった。
「ありがとう。」


いつ芽を出すかわからない種を持って、
甘い甘い思いを引き摺りながら、
きっとずっと忘れない苦い思いを背負いながら
それでも僕は…。


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