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「先生」なんて要らない

僕たちが「講師」を嫌う理由。

「先生」や「講師」と言った言葉は危うさを持つ。

その言葉は絶大な力を持つ。

その人から発せられる言葉によって、盲目になり得る。

「これは、あの先生が言っているから正しい。」
「あの人が言うのだから間違いない。」

疑問が消えていってしまう要因の一つだと思う。


「これはまだ習っていないから使っちゃいけません。」
「模範解答とは違うので減点です。」
「言った通りにやりなさい。」
「こんなものもわからないのか。」…etc


先生の威厳は保たれるであろう。
そしてごく一時的な優越感を得ることができるかもしれない。
そして生み出されるのは、多くの呪縛を抱えた子供達。


「だって先生が言っていたから…」
「模範解答と違うから、だめだ…」
「暗記すればいいんですよね?」…etc


何も子供達に始まったことじゃないかもしれない。


大人でさえ、当たり前や先人、その道のプロの言葉に盲目的になる。
自らの頭で、それが如何に働き、如何に影響するのかを調べ、考えようとすることが少ないかもしれない。


何も論破しろと言っているわけではない。
そして、あなたの考えが稚拙だからと自らの思いを卑下にする必要もない。

あなたの視座はあなただけのもので、私たちが気づかない、非言語下にある思考を言語化してくれる。

あなたの発言、提案、意見は全て(物事などの解決に向かうかは置いておいて)、かけがえのないものなのだ。


カビの生えた経験が何になるのか。
それに齧り付く「先生」なんてものは、もはや必要ない。


必要なのは対等な関係。対話。


そんな場所が溢れることを、願ってやまない。

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