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何かを変えるということ


あっという間に1月も終わりましたね。
なんて前回の投稿から約1年近く経ってしまいました。

2月の頭に書きはじめて、今日は既にバレンタインです。(1年前も似たようなことを言っていた気が…)

お風呂に浸かりながら、「あぁ1日が終わるなぁ」と思うことが日に日に増えた気がします。時間の惜しさに改めて気づいたのかもしれません。

それと同時に、何かを為せた実感のない、漠然とした焦燥感にかられることも増えました。おそらく自分に対するハードル、要求が高すぎるのが原因だとは思います。自分を過大評価しすぎている。


学生で、いやどんな人でも、勉強で、或いは勉強ではなく他のことをしていても「できるようになった感」「成長している感」というものは欲しいものでしょう。モチベーションにも関わりますから。


ただ、そこで見てしまいがちなのは、やはり「結果」で。


点数、合否、数字…。


結果というもの自体は紛れもない事実と評価ですが、ある一つの側面、点でしかないというのも事実で。
結果にこだわればこだわるほど、達成できなければ、「意味がない」と思ってやめてしまうし、
達成できたとしても、その過去に執着して成長が止まることもある。




”結果は原因に対する反応でしかない”

梅原大吾 勝ち続ける意志力 小学館 2012年



この記事を書こうと思ったのは、今読んでいる本を整理したいと思ってのこと。
自分を客観的に見つめる時間が必要だとも思いました。
そうした中で、やはり自分自身も「結果」と言うものに向き合わされてきた(それを選んだのは自分だけど)弊害が、今も昔もあるんだと感じます。



ずっと言い続けてきたことでもあるし、思っていることでもありますが、大学受験はゴールではありません。
ましてや定期テストの結果で何が変わるんでしょうか。
そんなものに常に向けさせるから、主体性も知的好奇心も何もかもが失われていくんだと思います。

黙って観察していればいいんじゃないかと思います。

そしたら勝手に上手くいくように試行錯誤するはずです。それが分析だし、観察だし、何より主体的な学びです。

そしてそれは、結果一発で満足する思考ではなく、常にチャレンジし続けようとする姿勢になっていくのではないでしょうか。

単発の結果にこだわるのではなく、常に勝ち続けるためにどうしていくのかを考えること。
それは決まった型にこだわるのではなく、いろんな方法を柔軟に取り入れたり、或いは捨てたり、得意なことだけでなく苦手なことにも踏み込んでいくことが必要です。



「で、何が言いたいの?」



うんとハードルを下げて、毎日の自分の変化やチャレンジを記録する。
具体的であればあるほどいいと。

例えば、「いつもと違う道で帰ってみた。」「いつもと違う商品を頼んでみた。」「自分でやりたいことを決められた。」などなど…

普段の生活のほんのちょっぴりの変化に気づいてあげられるといろんなことに目を向けるきっかけになるし、自分を俯瞰的にみたり、何より自分の頭で考えたり…ということに向かっていくんじゃないかと。



生徒と一緒に、僕も記録していこうかなと思います。



それでは。

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