見出し画像

月の砂漠のかぐや姫 第160話

 冒頓の騎馬隊は、盆地にいくつも転がっている大きな砂岩の塊やところどころに口を開けている大地の割れ目をかわしながらも、できるだけの速度で馬を駆けさせました。
 隊の最後尾を走る苑は、サバクオオカミの奇岩が近くまで迫ってきたら、自分の怒りを込めた矢をその頭に打ち込んでやろうと、なんども背後を確認しました。でも、どうやら馬の走る速度に比べるとサバクオオカミの奇岩が走る速度はわずかに遅いようで、苑が矢を射るほどのところまで迫ってくる奇岩は現れませんでした。
 冒頓は、盆地の入り口の方へと逆戻りする形になっている騎馬隊の進路を、少し右手に逸らすように指示を出しました。これまでは、盆地の外周に近いところを大きな円を描くように走っていたのですが、その円を少し小さくしたのです。そして、隊の先頭を別の者に託すと、愛馬の進む速度を少し遅くして、隊の最後尾の苑の傍らにまで降りてきました。
 ドッ、ドドゥ、ドドドッ・・・・・・。
「おう、どうだっ。あいつらはっ」
「は、はいっ。ずっと、後ろについてきてるっす。追い越そうとか、横から襲おうとか、そんなことは考えてないみたいっす」
 ドドウ、ドドツ、ドドドドウッ・・・・・・。
「くそっ、考えてるんだか考えてないんだか知らねえが、一番嫌なことしやがるなっ、あいつらは」
 馬上で大声をあげながら、冒頓は苑に状況を確認しました。
 探りを入れる意味もあって、自分たちが走る方向を変えてみたのですが、サバクオオカミの奇岩たちには、自分たちを追い越して前に回ろうだとか、岩を回り込んで横から襲おうだとかの変化は現れませんでした。ただ愚直に自分たちの背後を追走してくるのです。
 隊の真後ろも、真正面と同じように弓矢を使いにくい位置です。それに、仮に騎馬隊の進路を急に転換して、サバクオオカミの奇岩の群れに向かって走り、できればそれらを左側に置いてすれ違いざまに攻撃を加えようとしたとしても、奇岩たちがそれをゆるしてはくれないでしょう。この位置関係では、奇岩たちがわずかに進路を変えるだけで、騎馬隊を真正面から襲うことができるに違いありません。
 多少なりともお互いが走る方向にずれが生じれば、それを利用するように騎馬隊の進路を変えて、弓矢を使えるようにすることもできるのですが、いまのサバクオオカミの奇岩の位置は、策を施すのがとても難しい位置なのでした。
 ドドド、ドドウ、ドドドッ、ドドドッ・・・・・・。
「このままだと、先にこっちがまいっちまうしなっ」
 今の状況は、冒頓が忌々しげに吐き捨てた言葉の通りなのでした。
 彼らの乗っている馬は、全力に近い速度で大地を駆けています。でも、この勢いのままで、長時間駆け続けることはできません。そのようなことをすれば、サバクオオカミの奇岩に追いつかれる前に、限界を超えた馬が泡を浮いて横倒しになり、男たちをゴビの大地の上に放り出すことになってしまうでしょう。
 一方で、サバクオオカミの奇岩の方はと言えば、こちらに追いつくほどの速さは見せないものの、一定の速さでしつこく追いかけてきています。
 冒頓は、先の戦いで体の一部を失いながらもなお動き続けたサバクオオカミの奇岩の姿を、思い起こしていました。生身の体ではなく何らかの不可思議な力の作用で動いている奇岩たちのこと、おそらくは、疲れることなく一定の速度でずっとこちらを追い立て続けるのではないでしょうか。
「俺は先頭に戻る。苑、矢を無駄にするなよっ」
 ドド、ドド、ドドッ。ドドドウ、ドオドッオッ・・・・・・。
「わかりましたっす。無駄矢は撃たないっす」
 ドオ、ドドドドッ、ドドオドッ・・・・・・。
 彼らは戦いに備えて背中の矢筒に十分な数の矢を入れていましたし、中には鞍に予備の矢筒を括り付けている者もありましたが、何しろそれは有限であります。矢が尽きてしまえば、あとは接近戦で決着をつけるしかありませんが、野生のサバクオオカミを一回り大きくしたようなサバクオオカミの奇岩と短剣などを持って戦うことは、かなりの犠牲が出る危険な戦いになることが容易に想像できました。
 やはり、遊牧民族の戦いは、主に弓矢を用いる戦いです。
 なんとか、それを用いるための有利な位置を得たいと、隊の先頭に戻った冒頓は、速度を早めたり進路をこまめに変えたりを、馬に息を継ぐ暇を少しずつ与えながら試し続けました。
 すると、冒頓の目の前に大きな岩の塊が見えてきました。ここで冒頓は一計を案じました。ぐるっと大きな岩の塊を回るようにして、騎馬隊は方向を変えました。そして、サバクオオカミの奇岩から自分たちの姿が見えない裏側に来たところで、急に速度を上げて、奇岩の後ろに回り込もうとしました。
 でも、自分たちの後ろを追いかけてきている奇岩からは見えないように行動できても、それと同時に、盆地の真ん中の方からこちらを見ている母を待つ少女の奇岩の目からも隠れるということは、とてもできませんでした。
 追いかけてきているサバクオオカミの奇岩の不意を突こうという冒頓の一計でしたが、母を待つ少女の奇岩からの冷静にこちらの動きを分析した指示が、普通の声であれば届くことができないほど離れているはずなのに、騎馬隊を追いかけているサバクオオカミの奇岩の頭の中に届くのでした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?