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月の砂漠のかぐや姫 第146話

 冒頓はまず、交易隊とけが人をこの広場で待機させることに決めました。
 冒頓が率いるこの隊は、国から国へと長い旅をする交易隊と彼らを護るための戦いをすることが仕事の護衛隊から成っていました。根拠地を離れたところで長く活動する必要があることから、彼らの中にはけがの治療の心得がある者がいましたから、敵から襲われる恐れのない場所を確保できれば、けがをした者の手当をしっかりとすることはできそうでした。
 冒頓は、一度安全を確認してしまえば、この広場は警戒がたやすい地形になっていることに、気づいていました。広場の自分たちが入ってきた側は、岩壁の表面を伝っている細道しか通り道がありませんから、そこを警戒していれば足ります。また、広場からヤルダンの方へ進む側も、出入り口となる交易路以外のほとんどが岩壁でふさがれています。つまり、広場の両側の出入り口となっている交易路以外からの敵の侵入は考えにくく、そこの箇所だけをしっかりと警戒していれば、安全に留まることができそうなのでした。
 とはいえ、落ち着いて治療を受けたとしても、昨晩受けた大けがが夜のうちに癒えて、明日の朝には再び旅立つことができる、そのようなことが起きるはずがありせん。やはり、けがをした者はしばらくの間、休ませる必要があります。冒頓は、部下たちを動ける者とここに残る者とに分けることを決めたのでした。
 冒頓は、さらに話を続けました。
「俺たちを襲ったのは、出発前から話には出ていたヤルダンの奇岩、母を待つ少女に違いねぇ。悔しいが、第二回戦はあいつらにやられちまった。だがなぁ、お前ら」
 冒頓の体から発せられた熱量にあおられたかのように、男たちの中央でたかれている炎が、ゴウッと大きくなりました。
「あいつらを、良い気にさせたままにするつもりはねぇだろうな。お前らっ」
「おうっ!」
「もちろんだぜ、冒頓殿っ」
 冒頓と同様に、ここに集まっている男たちの体からも、熱い何かが発せられていました。
 人質として匈奴から月の民に連れてこられた冒頓に従って、彼らも匈奴から月の民へやってきました。文字通り、冒頓と共に異国の水や飯を食らいながら、多者の中の少者、勝者の中の敗者として、生きてきたのでした。そして、若くして人質となった冒頓が逞しく成長し、御門と阿部から「護衛隊」という組織を立ち上げて交易に組することを許されるようになると、この隊こそが自分たちの生きる場所だと定めて、ここまで来たのでした。彼らが「冒頓の護衛隊」に対して持つ思いは、自分の一族に持つ思いそのものと言っても過言ではないのでした。
 これまで、冒頓の元で鍛え上げられた護衛隊に、ここまでの大きな損害を与えた盗賊や山賊はありませんでした。それだけに、このヤルダンの奇岩、母を待つ少女に対しての彼らの憤りは、とても強いものでした。なぜなら、母を待つ少女は、異国の地でようやく彼らが作り上げた「自分たちの居場所」を、大きく揺るがしたのですから。
「そうだ、お前らっ、この匈奴護衛隊に手を出したことを、あいつに後悔させてやろうじゃねぇか。もっとも、あいつの頭ん中に、脳みそが詰まっているかどうかはわからんがなっ」
「ははは、違いねぇっ」
 部下たちも自分と同じように怒りに震えていると感じられて、冒頓の調子はいつものものに戻ってきました。激しい言葉の中にも、冗談が交じるようになりました。冒頓の短気が表に出ているときには、逆にこのような冗談は引っ込んでしまいます。これが出ているときの冒頓は、心に余裕を持てているときであり、この状態で彼が下す判断には間違いが少ないことを、部下たちは経験上知っていました。だからこそ、冒頓の話の中に交じる冗談は、言葉の面白さ以上に、部下たちの心を和らげるのでした。
「聞けっ」
 冒頓は、もう一度皆の注意を集め、最後の伝達を行いました。
「さっき、俺は交易隊とけが人はここで待機すると言ったな。そして、徒歩のものも、そいつらを護るために残ると。いいか、騎乗のやつらは、明日の朝一に俺と共にここを立つ。ヤルダンに乗り込むぞっ。王柔がいねぇんだが、今は王花の盗賊団が、ヤルダンに入ってねぇからな。案内人の王柔がいなくても俺たちが王花の盗賊団に襲われる心配はねぇ。それに、俺はヤルダンを何度か通っているから、あいつの案内がなくても母を待つ少女の奇岩が立っている場所はわかる」
 座っていた冒頓は立ち上がり、腰の剣に手をやりました。
「騎馬隊だけで、母を待つ少女に挨拶をくれてやろうぜ。もう、あいつが何をしているかの調査なんて、まどろっこしいのは無しだ。今日のこの騒ぎで十分わかったってもんだからな。一連のヤルダンの変異の原因は奴だ。俺は、あいつを砕く。それで終わりだ。わけのわからん敵がいなくなったヤルダンは、またいつもの通りに戻るさ。いいか、お前ら、今日はゆっくり休んどけよ。そして、明日は後れを取るなよっ」
 焚火を囲む男たちも次々と立ち上がり、剣に手を当てて叫びました。
「おおっうう!」
「冒頓殿、あいつへの道は俺たちが開くぜ!」
 いつもの夜であれば、この岩壁の間の広場にはねっとりとした闇が満ち、風の音の他には何の物音も存在しないのでしたが、この夜の様子は大きく異なっていました。中央で炊かれている火と男たちから発せられる熱気で、闇と冷気はこの場所に入り込む隙間を探しだせず、周囲をうろうろとさ迷い歩いているのでした。



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