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月の砂漠のかぐや姫 第182話

「ハァ、どこか、どこかに隙はないか・・・・・・。ハァ、ハァ」
 冒頓ほどの強者であっても、視界が狭くなるということがあるのでしょうか。母を待つ少女の奇岩の隙を探す、そのことに意識を集中していた彼の体の動きが僅かに鈍ったのを、母を待つ少女の奇岩は見逃しませんでした。
 パシィイン・・・・・・。
 母を待つ少女の奇岩の左腕が下から上へ跳ねあがり、冒頓が握っていた短剣を上空へ跳ね飛ばしました。
 短剣はくるくると回転しながら空中で大きな弧を描き、二人から遠く離れた大地に突き刺さりました。
「アアッ・・・・・・」
 少し離れたところから二人の戦いを見つめていた護衛隊の男たちの間から、悲痛な声が上がりました。
 短剣を無くしてしまうということは、単純に冒頓から母を待つ少女へ攻撃を仕掛けることができないというだけではないのです。反撃を恐れる必要が無くなった母を待つ少女の奇岩が、これまで以上の攻撃を冒頓に加えることにもつながるのです。
 戦いに慣れた護衛隊の男たちには、冒頓の命そのものが危険に晒されていることが、はっきりとわかりました。
「冒頓殿っ!」
「これを使ってくださいっ」
 数人の男が、素早く自分の短剣を冒頓に向って投げました。そのうちの一本が、冒頓から二飛び程離れてところに転がってきました。
 冒頓にそれを取らせまいと母を待つ少女の奇岩が踏み込もうとしたその時、またもや、大地に振動が走りました。
 ゴオオ、ゴオオン!
 それは大きな地震でした。ヤルダン全体が地の底から揺さぶられているかのような、激しい揺れが長く続きました。そのために、母を待つ少女の奇岩は冒頓に向かって突進するのではなく、その体が倒れないようにするために足を踏ん張らなければなりませんでした。
「ありがてぇ!」
 冒頓には「進むためには立って歩かなければならない」という固定観念はありませんでした。彼は勢いよく短剣の方向に倒れこむと、体を数回転させて揺れるゴビの上を進みました。確かに、この状況ではそれが一番確実で速い移動方法でした。
 母を待つ少女の奇岩は、仲間が投げ渡した短剣に冒頓が転がりながら近づいて行くのを、ただ眺めることしかできませんでした。
「せっかく短剣を弾き飛ばしたのに・・・・・・、あの男たちめっ。余計なことをしてくれてっ」
 あの男たちが冒頓に短剣を投げたせいで、戦いがまた振出しに戻ってしまいました。母を待つ少女の奇岩は、冒頓に短剣を投げた護衛隊の男たちに、燃え上がるような激しい怒りを覚えました。
 不規則な揺れが続くゴビに片膝をついて体勢を整えた冒頓が、さっと母を待つ少女の奇岩の方を見上げると、彼女の顔は冒頓に短剣を投げた男たちの方を向いていました。
 彼女の様子を見た冒頓の背に、冷たい汗が流れました。
 せっかく作り出した好機を潰されて、彼女は護衛隊の男たちに憤りを覚えているようです。あの様子だと、彼女は自分よりも先に、短剣を投げた男たちを始末しようと動き出すかもしれません。 
 このままではいけません。母を待つ少女の奇岩の注意を自分に向けさせる必要があります。彼女と戦うだけの力量を持っているのは自分だけです。それに、いまの男たちの中には、短剣を自分に投げてしまって丸腰の者もいるのです。
「やべぇ、奴の気を引かねぇとっ。・・・・・・そうだ、あれだっ」
 冒頓は思い出しました。母を待つ少女の奇岩が、特に反応を示した煽り文句があることを。もう一度彼女の注意を自分に向けさせるために、今ここであの言葉を叫ばなければと、冒頓は考えました。その言葉が、なぜそこまで彼女の感情を逆なでするのか、そのことにまで考えを及ぼす余裕は、今の彼にはありませんでした。
「おい、お前っ。そっちじゃねぇ、こっちだぜっ。お前を一人にしたのは俺だっ。お前が一人になったのは俺のせいだということを忘れんなっ」
 大声で発せられた冒頓の言葉が耳に届いた瞬間、母を待つ少女の奇岩の全身はビリリッと震えました。
「そうだ、そうなのだ。わたしは、何をしているのだ。あの男だ。あの男のせいで、わたしはずっと一人だったのだ。あの男だっ!」
 離れたところで固まっている護衛隊の男たちの方を向いていた母を待つ少女の奇岩の顔が、さっと冒頓の方に向きなおりました。その砂岩でできた顔に表情などあるはずがないのですが、正面からその顔と向き合った冒頓には、自分に対してこの上もなく強い怒りが向けられていることを感じました。
「お前だ。お前だ。お前だっ! お前のせいで、わたしはずっと一人だったのだ。わたしだけ、わたしだけが、ずっと一人だったのだ。お前だ、お前のせいだ。お前のせいだっ!」
 ゴオオオオッ!
 炎のようにゆらゆらと揺れる青い光が、母を待つ少女の奇岩の顔からほとばしりました。それは、崖の上から流れ落ちる滝のような激しい勢いで冒頓に向かって飛びました。
 そのあまりの速さに、冒頓は飛び退ってかわすどころか、手を挙げて顔を守ることすらもできませんでした。
「・・・・・・アッ・・・・・・」
 シュワンッ!
 母を待つ少女の奇岩が発した光に呑み込まれた冒頓の口からは、小さな吐息が一つこぼれただけでした。





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