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月の砂漠のかぐや姫 第180話

「チィィ、くそっ」
 冒頓は短剣を横に払って彼女の胴を切ろうと動きましたが、既に彼女は彼の横を走りすぎて後続の男たちの中へ飛び込んでいました。
 足を止めて多数の者に取り囲まれるのを嫌っているかのような彼女の動きは、冒頓たちが騎馬で多数の者と戦う際の動きに似ていました。実際に自分たちよりも素早い彼女にこのように動かれると、冒頓たち護衛隊にとって非常に厄介になるのでした。
「そら、そらぁっ! くぅっ」
「なんだ、こいつ、速いぃ・・・・・・。ぐふぅ」
 母を待つ少女の奇岩は、冒頓の首を飛ばすことには失敗したものの、それ以上彼にこだわることはせずに、攻撃の対象を後続の男たちに移していました。彼女は自分の両腕をまるで剣のように振り回したり、棒のように突き出したりしながら、勢いを保ったままで男たちの間を駆け抜けました。
 母を待つ少女の奇岩は、右側から現れた男の振う短剣を左に跳んでかわし、同時に左側から攻撃を加えようとしていた男の腹を激しく突きました。男が体を折り曲げて大地に倒れる横を駆けて前へ出ると、頭上から振り下ろされた短剣を左手で跳ね飛ばしました。そして、その短剣を握っていた腕を右手でガシッと掴むと、攻撃をしてきた男の体を恐ろしいまでの強い力で後方へ投げ捨てました。
 今度は、母を待つ少女の奇岩は、自分を傷つけようと切りかかってくる護衛隊の男の短剣を身体をくるりと回転させてかわすと、その脚と思われる分かれた部分を男の太ももに叩きつけました。ビシイッと嫌な音がその場に響き渡り、男は苦悶の表情を浮かべて太ももを押さえながら崩れ落ちました。
 母を待つ少女は、さらに前へと走りました。
 自分の両脇から同時に二本の短剣が突き出されましたが、彼女は軽々と超越してそれをかわしました。飛び上がった彼女は、その場に突き出された男たちの手の上に降り立ちました。
「グアアアアアッ!」
 短剣を握りしめた手の上に砂岩の塊を載せられた護衛隊の男たちは、大地にねじ伏せられた状態で絶叫を上げ続けました。
 自分の足元で叫び声をあげる男の頭を踏みつぶそうと思えば、母を待つ少女の奇岩にはそれができたでしょう。でも、彼女はそれをせずに、前を向きました。短剣を構えている護衛隊の男たち数人の向こう側には、ゴビの荒れ地が見えました。もう少しで護衛隊の中を突破できそうです。彼女はまた走り出しました。
 護衛隊の最後尾にいた苑は、自分が見ているものが信じられませんでした。人間のようにほっそりとした砂岩の像が、冒頓の必殺の剣をかわし、屈強な先輩たちを次々と打ち倒しながら、この最後尾までやってきたのです。
 それでも、苑の体は動きました。年若いとはいえ、彼も冒頓の護衛隊の一員です。恐怖で身体がすくんで動かなくなることなど、ありはしないのです。
「アアアッ!」
 苑は横にいた隊員と呼吸を合わせて、向ってくる奇岩に短剣を突き立てました。
 ゴウッ。
 母を待つ少女の奇岩は、苑たちの攻撃それぞれに別個に対応するのではなく、ひとっ飛びに彼らの横へ跳ねると、苑の横にいた男の腰を脚で蹴り飛ばしました。男の体は、まるで丸太で突き押されたかのように浮き、苑の身体を巻き込みながらゴビの大地の上に転がりました。苑は突然に生じた真横からの衝撃に対応できませんでした。彼の視界はグルグルと回転したのち、ゴビの大地を上にした状態で止まりました。
 とうとう護衛隊を突き抜けて反対側へ飛び出した母を待つ少女の奇岩は、その後も止まらずに走り続け、十分に安全な距離を取ったと確信してから、ようやく振り返りました。
 母を待つ少女の奇岩に向かって行った冒頓たち護衛隊は、隊の中央を彼女に突破されてすっかりと隊形を乱していました。もともと、冒頓が率いていた男たちは二十数人の小さな集団ではありましたが、たった一度の母を待つ少女の奇岩との接触で既に半数近くの者が大地に倒れていました。
 その様子を見て取って手ごたえを感じたのか、母を待つ少女の奇岩はぐっと体を前に倒し、再び男たちに向かって駆けだそうとしました。
「やべえな、このままじゃジリ貧だぜ・・・・・・」
 今は彼女から最も遠いところにいる冒頓は、急いで彼女に向かって走りました。
 残念ですが、先ほどの様子から、自分の部下たちでは彼女に立ち向かうことができないと認めなくてはなりません。再び彼女に隊の中に飛び込んでこられたら、さらに犠牲者が増えるだけです。
 なんとか彼女に最初の一太刀を浴びせてその動きを鈍くしなければ、多勢の利を生かすことなどできません。そして、それが可能なのは自分だけだと、冒頓は判断したのでした。
「いいか、お前らぁっ。俺があいつに一発くらわすまで、手を出すなっ」
「う、うすっ」
 護衛隊の男たちは、自分の近くに倒れている仲間たちの体を引きずりながら、慌てて左右に分かれて行きました。
 母を待つ少女の奇岩。
 匈奴護衛隊の隊長である冒頓。
 二人は僅かな距離を置いた状態で正対をし、にらみ合うことになりました。
 自分たちがその緊迫した状況を崩してしまうのを恐れるかのように、護衛隊の男たちは固唾をのんで見守ることしかできないでいました。




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