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月の砂漠のかぐや姫 第161話

「うおっ、あぶねぇっ」
 大岩の塊をぐるりと回ったところで、冒頓は大声をあげました。
 馬の駆ける速度を上げてサバクオオカミの奇岩の後ろへ回り込むつもりだったのですが、いざ大岩の塊を回り切ってみると、自分たちの目の前に現れたのは、サバクオオカミの奇岩の後ろ姿ではなく正面から見た姿だったのです。つまり、彼の試みを遠くから見通していた母を待つ少女の奇岩が、それを逆手にとってサバクオオカミの奇岩に待ち伏せを指示していたのでした。
「前だっ! 突っ切れぇ!」
 冒頓は、思わず上げてしまった驚きの声に続けて、空にも響くような大声で指示を出しました。
 今にもこちらに向かって襲い掛かろうと態勢を整えているサバクオオカミの奇岩の目の前で、馬首を返そうとして走る勢いを落とすなどすれば、奇岩たちに襲い掛かる好機を与えることになってしまう。それよりは、全速力で走っているこの勢いのままで突っ切った方が被害が少ないだろうと、とっさに判断しての叫びでした。
 ドドン、ドドウオッ、ダダァ、ダアン!
 ドッドウ、ドドウッ、ダン、ドドドドドン!
 予想もしていないところで待ち伏せに合えば、反射的に立ち止まろうとするか、あるいは、方向を変えて逃げ出そうとしたくなるのが、人の性というものです。しかし、騎馬隊は冒頓のあげた叫び声に素早く対応して、勢いを保ったままで鋭い矢のような隊形を整えると、奇岩の群れに向かって真っすぐに走り続けました。
「おおおおおううっっ!」
 冒頓は左手で握っていた弓を背中と矢筒の間に収めると、右腰に付けた鞘から短剣を引き抜きました。そして、愛馬の腹を思いきり蹴ると、こちらに向かって歩を進めてくるサバクオオカミの奇岩の群れのちょうど真ん中に飛び込んでいきました。
 ザフザフ、ザフンッ! ガツン、ザフザフザフッ!
 サバクオオカミの奇岩はうなり声の代わりに足元の赤土を蹴って、自分たちから逃げるのではなく、反対にまっすぐに向かってくる一団に対して、敵意を現わしました。
 騎馬隊の先頭を走る冒頓は、わずか一呼吸の間に、奇岩の群れへ到達しました。
 ザザアアァンッ!
 もっとも近くにいたサバクオオカミの奇岩が、冒頓に向かって飛び掛かりました。
「おらぁっ!」
 ビヒイイィイ! バシイイイイッ・・・・・。
 冒頓は愛馬の手綱を左手で操って、奇岩の攻撃から馬の首をそらすと、短剣でサバクオオカミの胴に切りつけました。ぱっくりと大きな切り口が空いたサバクオオカミの奇岩は、二つの砂岩の塊となって大地に落ち、冒頓の後に続く騎馬隊に踏みつぶされて、砂に還りました。
 別のサバクオオカミの奇岩は、冒頓に続いて飛び込んできた騎馬隊の乗り手でなく馬の方をめがけて、大きく口を広げて飛び掛かりました。でも、その口が馬の肉の温かな感触を得る前に、その額に固い蹄が撃ち落されました。この奇岩も、騎馬隊が通り過ぎた後には、その原形を保ってはいませんでした。
 冒頓のとっさの判断は、功を奏していました。
 騎馬隊の側に相手を攻撃し易い角度、攻撃し難い角度があるように、サバクオオカミの奇岩側にも同じようなものがあったのでした。
 それはつまり、馬に対して側面から飛び掛かるのは簡単なのですが、馬の前方から飛び掛かるのは、勢いよく振り下ろされるその前足で攻撃を受ける恐れがあって難しいということでした。では、馬の後ろから飛び掛かるのはどうでしょうか。まず、自分と逃げる馬の間には走る速さの違いがあり、追いすがって飛び掛かること自体が難しいのですが、仮にそれが可能であったとしても、馬の最大の武器である後ろ脚での一撃で、あっという間に体を砕かれてしまうと思われます。いずれにしても、馬を攻撃する場合には、集団で横から襲い、その腹や足に食いつくというのが、サバクオオカミの奇岩にとっては、一番容易い方法なのでした。
 勢いよく跳躍して騎馬隊の乗り手を直接攻撃する場合には、どうでしょうか。その場合には、前後左右どこから攻撃してもさほど違いはありません。もちろん、一頭で攻撃すれば、冒頓に切られたサバクオオカミの奇岩のように、短剣の餌食になってしまいます。でも、乗り手は片方の手で手綱を持ち、もう片方の手で短剣を操っています。たとえ手綱を離したとしても、手は二本しかありません。複数の奇岩が一度に襲い掛かれば、乗り手を地面へ引きずり下ろし、集団でその肉を食いちぎることもできるでしょう。
 遊牧民族の戦いが、弓矢を基本とするというのであれば、サバクオオカミの奇岩の戦いは、個に対して集団で襲い掛かることを基本としているのです。
 それなのに、冒頓の騎馬隊が、恐ろしい勢いを保ったまま一塊になって、真っすぐにサバクオオカミの奇岩の群れに突っ込んで来たので、一騎に対して複数で取り囲んで攻撃をするということが、できなくなってしまったのでした。
 冒頓の騎馬隊は、自分の馬の速度が落ちないように気を付けながら、自分たちや愛馬に向かって隊の外側から散発的に飛び掛かってくる奇岩をかわし、あるいは、短剣で切り、さらには、その蹄で砕きつつ、熟れ切った果実を鋭いナイフで切るかのように、群れを二つに切り裂いていきました。



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