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人生は 1/1 (いちぶんのいち)ではないと思った

私の娘は、小学校、中学校、高校と吹奏楽部に入部している。

今日は吹奏楽コンクールのため、娘は始発電車に乗らねばならず、私は弁当作りのため4時起きだ。

娘が吹奏楽を始めるまでは、音楽は私の人生の中で一番遠いところにある物の1つだった。

でも、娘が吹奏楽を初めてくれたことで、クラッシックを聴くこと、吹奏楽のコンサートやコンクールに出かけることが、定例行事となった。

娘からの「お母さん、この曲知ってる?」というような会話も日常のものとなった。

もちろん、吹奏楽を続けることは娘自身の人生だ。

でもこうやって、娘のおかげで今まで知らなかった世界が私の人生に加わる。
「娘の人生のおすそ分け」を、私がもらう。

人生は1人に1つ。
その人自身が経験し歩んでいく、1/1の人生であるけれど、関わりのある周囲の人々からその人の人生を少しずつ分けてもらっている様に思う。
人と関わることで、私の人生は1/1より大きくなっていく様に思う。

訪問看護もまた、利用者さんと関わらせて頂く中で、私は様々な方々の人生のひとときを共に過ごす。

「私の若い頃はね・・」
「先日、こんなことがあってね」
他愛のない日常のできごとの会話。

「病気になってこんなこともできなくなった」
「苦しんでいるのに何もしてあげることができない」
「やっと、1才になりました」
生活の中での苦しみや喜び。

「出来る限り仕事を続けたい」
「私はこれからどうなるの?」
「このまま家にいたい」
「このまま自然に逝かせたい」
「痛いのと苦しいのは嫌だ」
どう生きていくのか。

私は、今までどれだけの方々の「人生のおすそ分け」をもらったのだろう。

私が乗っている電車は、コンクール会場がある駅に向かって進む。
通常なら、私が訪れる事はなかったかも知れない場所。
今日で2度め。
初めて訪れたのは、そう、夏の吹奏楽コンクール。

電車の窓には、ひんやりと薄く透き通った冬色の空が広がっている。

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