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旧友が60歳になり退職祝いをしました。24年も前からの付き合いで、当時、僕は事業会社のブランドマネージャー、彼はプロモーションエージェンシーの営業でした。仕事がきっかけで付き合い始めたのですが個人的にも親しくなり、気づいたら24年です。一緒にいくつもの仕事をやってきました。そして彼は最終的にある大手広告会社系列の制作会社社長にまで出世しました。その間の様々な苦労や心労を知っているだけにお祝いの酒は格別でした。「これからどうするのですか?」彼は広告関係の社団法人で役員をやりながら人材・キャリアの相談にのる事務所を立ち上げると言っていました。事実、その準備も出来ていて国家資格キャリアコンサルタント2級(かなり難関)も取得していました。

同じく週末に鎌倉の友人と横浜でランチをしました。仕事の打ち上げです。これまでもコンサル案件で度々サポートをして頂いている方で、今回も僕の至らないところをお願いしたのです。彼もまた60歳くらいの年齢です。現在、クリエイティブ・ディレクターとして独立自営で仕事をしています。独立されたのは随分前ですが、いくつかの事情かあってご自身の会社を退職。そして去年、たった一人で再出発されました。なるほど「才能」という言葉がこの友人には相応しいうえに「人間は自由であること」を信条としています。それが再独立の理由でした。やはりこれまでのご苦労や心労を知っていたのでこちらも大いに盛り上がる時間でした。

人生100年時代。この言葉もすっかり定着したように思います。僕にとっては、正直、やや重い言葉です。「100年もの長い時間をいかに生きるか」はポジティブな思考とネガティブな思考の両方が交差します。この2人はどう考えているのか、聞くのを忘れました。しかし少なくともどちらの友人もポジティブに捉えているようでした。正直、勤めていた頃より若々しくいきいきとされているように感じました。最初の友人はこれから始まるセカンドライフ(キャリア)に「大きくて美しい海」を見ているように思いました。希望と不安を抱きつつ自分で泳ぎだしていく世界です。二人目の友人は「いよいよ本当に自由に生きられる」という解放感でしょうか。同時に仕事はどうにかなるという健康的な楽観を感じました。二人を見ていて「未来への信頼」「自由」「可能性」、こんなものが人生100年時代の後半を始めるキーワードかなと考えていました。