見出し画像

事故紹介(大学受験編)(閲覧注意)

皆さん。二度目まして
週末はどないなもんやってん?(ネイティヴ和歌山弁)

最初に

前回https://note.com/blumenkranz/n/n6c47f6d0476b
発達障害者の10代前半を振り返った。❤️押してくれた方、ありがとうございます。

今回は、そんな私が大学受験に臨むにあたり、
勉強法はどうしたのか
人間不信に陥った過程

をご紹介する。
追想すると、障害の影響もあったと思えるエピソード満点である。
ゆっくりしていってね!(『追想五断章』は後に書評を書きたい)

舞台

プロフィールにもあるように私は偏差値大体50の高校を出ている。
「え・・・あなたの高校偏差値低すぎ・・・」(ネタが古い)と思われるかもしれない。

だがちょっと待ってほしい(天下の朝日新聞風)都会の方には信じられないかもしれないが、我が故郷から通える高校は偏差値45と50しかないのである。私の選択はあながち間違っちゃいないのだ。そもそも選択肢がないんだから。

以上、これが和歌山の実態なのである。
高校の選択肢はなく、コンビニは走って(車で)20分かかるのが私の生まれた環境なのだ。

当然、母校の生徒どもの学力もまちまちで(学力での選別が効いていない)、Fランもいれば国公立大学現役合格する者(腹パン好きは私だけ)もいた。

入学当初は、頑張って校内で上位にいきさえすれば受験は何とかなるという希望にすがっていたのを覚えている。

「え?でもそんなに上手くいくの?」と思われた方もいるかもしれない。
真面目で通っている私が高校でサボるなど・・・

そんなことは




あります

以下、何があったか詳細な説明を加える。

大学受験の、前

母校は大学受験に力を入れていることになっていた。しかし、

高校受験は定員割れ

私の代に限り、クラスが6になったのである(前年までは5クラス)。
教師が大学受験への発破をかけるも生徒には、馬の耳に念仏であった。

それは私も含めてで、前回触れたように2分以上の話が聞けないので授業中は性に絡んだ妄想、太宰治や村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を読んでいた。放課後は部活に明け暮れていた。19時まで部活があったので家に着くのはいつも20時以降だった。勉強などするわけがない。これが高2の夏頃まで続く(たまに腹パンイベントが入る)。

なぜか教室にボコボコに凹んだ金属バットが5,6本あり(車あたり殴ったのだろうか)、やたら周囲にトタン屋根のみすぼらしい建物が多いと思ったらそういう地区(まじで詳しいことは書けない)だったこともあり、私以外の生徒もおよそ生産的な活動はしていなかったはずだ。
根拠としては、クラス内で現役で国公立大学合格したのは私だけであることを述べておく。

理系クラスで、私だけが現役で法学部(国立大)に合格したのだ(説明はちゃんとする)

私が長野(都会に行った我々はかなりの確率でトラブルを起こすと教師たちは信じてやまなかった)にスキーしに行った修学旅行で夢精し、全校に名を轟かせたり、
知り合いが図書室で性行為に及んでいるのを尻目に、学年でも十数人はコツコツ勉強していた、そういう状況だった。他の生徒たちは・・・察してほしい

ついに受験に向き合う

当時懇ろにしていたベースの上手い身長170cmの同級生(♀、そのときは全裸で葉巻を口にしていた)(腹パンはしていない)に
「あんた、そろそろまともに勉強せな高卒で働かなあかんようなるで。あんた、まともに働けるわけないやろ」と正論をぶつけられセンター試験の過去問を見に行ったのが私の受験勉強の始まりである。

当時は高2の夏。
国公立大学は学費が安く、4年ほど働かずとも誰にも何も言われないこと。
センター試験を受けなければならないこと。

受験についてはそれだけ知っていた私は、働きたくない一心で過去問に向き合うことを決めた。

見たところ、
いかに自分が通用しないかを思い知らされた

特に英語、数学がまずかった。今でも思い出すとあの時の恐怖がフラッシュバックする。解ける気が全くしなかった。

数学の問題は机に長時間向かい、ひたすら多く問題にあたる勉強法が王道である。
衝動性だけで生きてきた私には難しい。
間の悪い事に私は理系クラスにいた。

英語は、単に高校入ってからまともやっていなかったのが原因だ。

当時は、高3で数Ⅲを選択しどっかの国公立の理学部工学部にもぐり込む目算だった。

実家の財政状況が芳しくない私は悩んだ。
働くか。
勉強するか。
当然、勉強である。
どうする。数学できないぞ、俺は。文転するか?

高2時点での私は、とりあえず文理関係なく使われる科目、国語数学英語を勉強し始めた。

勉強法

国語

は現代文はもともとできたので、古文漢文ばかりやっていた。
古文漢文は英語のようなところがある。
文法と単語を覚えなきゃいけないということだ。

センター試験対策としては、過去問やら予想問題を多くこなして、解答解説から新たな知識を仕入れることが肝心である。単語は書いて覚えよう!!!

おすすめ参考書は中経出版『センター試験 ○○の点数が面白いほどとれる本』シリーズである。8割取るまではこれで十分かと(他の科目のやつもおすすめ)。

現代文については、指示語(それ、先述した、など)をしっかり棒線引くなり自分にあったやり方を見つけましょう。

私は本番では8割近くとれた。

英語

読解力に自信があるやつは単語を覚えろ。
暗記力に自信があるやつは英文を読み込め。
リスニングは中経出版『センター試験 ○○の点数が面白いほどとれる本』シリーズのリスニングをやればOK
YouTubeとかで気軽に英語に触れられるこの時代に、
「英語できません」は甘えだぜ。

個人的には、YMOの英語歌詞を読んだり、やっていたドラムを通じて英語の曲に触れてきたことが大きいと思う。

これも、本番では8割近くとれた。

あえて、おすすめ書籍を挙げるなら、竹岡広信さんの書いたものや、
「英語たん」氏https://twitter.com/eigotan
が良い。英単語を語源から覚えたりして大分楽に受験に臨めるはずである。
何らかの理屈をつけなきゃ英単語暗記はきつい。本当に。

『速読英単語』シリーズも、文章の中での「生きた」、実践的な英単語の意味を知れる点では強くおすすめしたい。

数学

他の人に訊いてくれ

私は当初数ⅡBのいらない国公立を受けようとしたところ、センター本番では
数ⅡB19点だった。
そんな奴を頼るな。
長時間机に向かってられんのや。障害者やから。

※実際受かった大学では使った。文系科目が強かったのだろう。私は特殊で、異常なので受験生にはマジで参考にしないでいただきたい。

勉強法、のまとめ

①自分の特性を理解する
②「出そうな問題」にあたっていけ

①について。
私の特性とは?
読解力(社会性に問題があり、本でも読まなきゃやってられんかった)と発達障害である。

自分の長所が読解力であることがわかれば、それが活かせそうな分野にフォーカスする。上記の例でいえば、国語と英語である。

しかし、その2科目にフォーカスしたのはこの理由だけではないのだ。
そう、発達障害(プロフィール参照)である。

英単語やっているときはいい風にはたらくのだ。
「この単語と似た意味の単語、前見たから復習しようか」という風に、思考が拡散しておりあっちこっちいくので暗記は強いのである。
他人が1単語を暗記している間に、私は同じ時間で一気に5単語ほど関連づけて覚えられるのだ(プログラミングにもこの特性は活きているとよく感じる)。

数学となるとそうはいかない。
長時間同じ課題に向き合うことは当時、今よりずっと苦痛だった。
今なら、同じ問題でも別の方法を試す、一旦時間をおく、などして自分をコントロールできるだろうが・・・。

まとめると

自分の長所、短所を前回のようなエピソードを通じ理解していたから現役合格、という結果を出せたわけである。これはみなさんにも当てはまるのではないだろうか。

※前回https://note.com/blumenkranz/n/n6c47f6d0476b

理系からの敗走

次の章、「人間不信」にもつながるエピソードである。
要するに、数学物理化学を克服できなかった私は、文転したのだ。

高2まで何とか上記勉強法でやってきた私であるが、気づいてしまった。
「俺、文系しか(の方が)できるんちゃうか?」

高2の学年末定期テストは
物理が3/100点(何もできずテスト時間を持て余した。やたら名前をきれいに書いた)
現代文は99/100点
化学は21/100点
英語は89/100点

という尖った結果になったことから確信したのだ。
それから、高3から始まった数Ⅲがめちゃくちゃに難しい。高校卒業が危ぶまれるほどに。定期テストでは20点越えの方が珍しいくらいであった。

しかし、文転も楽ではない。新たに学校の授業以外に、日本史か世界史か地理を独学しなければならないからだ。(受験のシステム的に)
結果から言えば、私は世界史を独学し法学部に現役合格するのだが、その過程で色々あった。本当に色々あった。
それをこれから書こうと思う。

※世界史も、中経出版『センター試験 ○○の点数が面白いほどとれる本』シリーズに大変お世話になった。あの書籍がなければ今の私はない。この場を借りて感謝の意を述べる。

人間不信

高3の春ぐらいに担任に文転の意思を告げると、すぐに全校へと伝わり、(修学旅行で夢精したから)有名人であった私は様々な目に遭う。
それを教師側、生徒側に分け述べようと思う。何を言っているかわからないだろう?大丈夫。読めばわかるさ。

side:Teachers

まず担任、私の母親、私の三者面談での話。
母親が「ここから入れそうな国立の法学部とかあるんですかね」と質問。
担任の巨乳化け物(♀,39)「どっかの夜間部とかええんちゃいますか」とお粗末な解答(失礼になってしまうかもしれないが、夜間部の偏差値は低い傾向にある。そんなことは当時の私も知っていたし、そんなことは教師でなくとも誰でも言えるのだ)。

次の瞬間、私のママはキレた
「役立たずの公務員が!(母校は県立高)二度とツラ見せんなや」

どうも、教師どもは私を「調子に乗って文転できるなどと言い張る素行不良の不穏分子」と思っていたらしく。まともに相手する価値を感じていなかったのだ。

三者面談は途中で母親と共に帰り、二度と呼ばれることはなかった。私もあの担任をまともに相手する気はなかったし、いい結果となったと思う。

担任は、学生時代に浪人している。現役時代にどこも受からなかったところを当時の教師に言われ、
言われるまま浪人して大阪府立大に進んだらしい。浪人したときはとにかく「がんばった」らしい(こいつ本当にどうでもいいことしか言わない、具体的なアドバイスをしてみろ、いらんけど)。

言われるまま浪人したエピソードをさもいい話のように語る女が私の担任であり、母校の教師のクォリティは似たり寄ったりだった。
・体育倉庫で生徒とレズプレイする体育の女教師(別にいい気もする)
・同僚との子を宿し授業に穴を半年空ける女古典教師(後任用意しないのも悪い)
・部活中に寝る卓球部顧問(論ずるに値しない)

なんと、こいつらは税金から給料をもらっている。

私が減税派になるのは当然の帰結である

他には、数Ⅲの、進路指導部主任を兼ねていた担当が、
「この中に、文転しようとしている奴がおる。無理やからやめろ。」と月に1,2回のペースで、クラス中に響くような大声で言ってきた。

黙れ公務員。おとなしゅう(大人しく)納税者に奉仕せえ。タバコ税は納めとる(時効)。

と、その度私は怒鳴り返し、受験のストレスを解消していた。今思えば彼は私のためにやってくれていたのかもしれない。しかし言いたい「浪人したら金くれんのかよ」と。分をわきまえろ。公務員が。
※教師に「公務員」と言うと、めちゃくちゃに怒ります。高校生のみなさんは真似しないように。

授業中に受験勉強をしていても文句を言われたが、気にしなければなんとかなり、何も言ってこなかったのでここでは割愛する。そもそも受験に役立つ授業しないから、私が苦労しているのだ。

高校時代末期ともなると、イライラしたときは教師を説教していた

疲れてたんですね、私。

side:Teachers

生徒たちもいちいちうるさかった。文系選択の連中は
「独学で世界史とか、なめるな」

理系選択は
**「数学できないヘタレ」
**

などと、”繊細”な私に暴言を吐いてきたのだ(当然3倍ほどにしてお返ししたが)。
かといって、そいつらも大したことはなく、模擬試験の成績において私の順位が上がる度、静けさを増していった。最後は文系で、校内2位となったときの態度の変わりようは見下すには十分だった。

我が母校では、そもそも上記のような連中は少数派で、センター試験すら受けず、
私立のよくわからない大学の公募推薦やらで進路を早々に決めてしまう者が多かった(てぇへんだ、底辺だ)。そういう奴らが、隣で自動車学校の課題をやっている中で私は世界史を独学したのだ。
1月辺りにはたるんだ雰囲気が校内に蔓延していた。ここは進学校ではなかったのかい?

書いてて気が狂いそう。

もちろん、ともに受験(妥協せずに)を乗り切ろうとした仲間もいて、そいつらは今でも友人だし、信頼できる。就職した人々も、彼らなりに頑張っていて、私のような障害持ちには耐えられないような、素晴らしい仕事に就いている。

そもそも、受験とか就職を頑張れない奴に何ができるのか

疑問である。

人間不信 まとめ

ただ、当時の私には冷静さが足りなかった。この世にはいいやつも悪いやつもいるという事実を受け入れず、ほとんどの人間はすぐ妥協し、自分を怒鳴り軽んじている、という思いに囚われてしまっていた(ADHDのせいなのか、私の人格のせいなのかはわからない)。

そのおかげで、点数という数字だけを拠り所にクレバーに勉強することができた。
「あいつらのようにはなりたくない」という思いで取り組めた。

何より、障害のおかげで周囲を気にせず、無能教師の言うことも耳を貸さずにやれたのが良かった。全くブレなかった。

障害を利用して、私は生き延びたのだ。でなければ皆さんとお会いすることは・・・叶わなかっただろう。

当時の同級生によれば授業中に、
「俺は母性に飢えとんねん!!!」と叫んだこともあったらしい。もう限界寸前だ。

さらには「国公立受からんかったら死ぬ」そう本気で思っていた。
特に両親には何度もそう言った気がする。心配かけて悪かったよ。

ただ、色々あり地元に嫌気が差し、日本海側の大学を選んだのは、私自身の人間らしさではないだろうか。私が人間だったらの話であるが。

遅かった春

・センター試験では緊張のあまり、膀胱が痛くなりトイレに行ったら、別の白いものが出た(スピンスピンとかの年、ふざけた問題が多いセンター試験であった)

・A判定なのに前期落ちた(注意欠陥による名前書き忘れ?)

というアクシデントに見舞われたものの、後期試験で
現役での某国立大学法学部に合格という目標が達成できた。



日本海側だったので肌寒く、故郷からは離れているため知り合いは皆無だ。
やることもないのでとりあえず、ということで海を見に行った。

和歌山の太平洋とは違って、冷たく、しかし妥協を許さない強さ、頑固さを感じた。

ふとした瞬間に涙が出ていた。
俺は日本海のこういうところを見て、さっき書いたようなところにずっと憧れていて、障害抱えながらも突っ走ったのかもしれない。
実際にその海を見て、今までの自分を肯定してくれた気がして弱さが出たんだと思う。

正直、障害から来る過集中や衝動性を利用して受験勉強したところがあって、俺が受かったのか、障害が大学に受かったのかわからなくなっていた。

ただ、俺は本当に疲弊していた。
弱ってたんだよ。

日本海に肯定された俺はとにかく強さが欲しい、と思った。
周りに流されず。
数字、点数を誰よりも稼ぎ。
正しさに満ち満ちている。

故郷の地獄を乗り切れた私ならそれを目指しても、誰にも咎められはすまい。


まだまだ寒いこの土地にも、待ちさえすれば桜は咲くはずだ。俺がしっかり待ちさえすれば。

のんびりやることやって待とう。今は。


以上

最後まで読んでくれてありがとう



やばい。センター試験もうないんやった・・・





この記事が参加している募集

何かに使いますよ ナニかに