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本との向き合い方

す今しがた平野啓一郎著「マチネの終わりに」を読み終えた。
そして数日前に読み終えた夏川草介著「本を守ろうとする猫の話」を振り返って、いろいろと思うところがあった。

自分の本の選択、ちょっと変えてみようかな、と。

とりあえず気になるものを手当たり次第に手にとっては貪り読むタイプだが、関心の対象が幅広く、本を守ろうとする猫の話で例えるならば迷宮の先にいた主人たちのようになっているのかもしれないと感じた。この作品を読んでいない人には分かりづらい例えで恐縮なのだが、どうにも各迷宮に潜む真実と嘘に心が揺さぶられ、主人公のナツキが高校生なりに自分の答えを編み出す過程で、一人の読書家として反省させられる点が多々あった。

先ほど読み終えた「マチネの終わりに」に出てきた洋子もその生い立ち・または性格故か、職業柄なのかとても見聞が広く、魅力的な登場人物であったのだが、こちらも先ほどのナツキ同様に古典に精通している感じがした。

振り返って我が身だが、膨大な情報量の中で置いていかれまいと必死にアクセスしている割には果たして身になっているのかいまいちピンとこない日々の中で、どっしりと構えて一つのいわば「難しい作品にどっぷりと浸かる」という経験は敬遠してきてしまっていた。量を読むためには第一の迷宮の主人の様に一度読んでしまったものには二度と手に取らないぞと言わんばかりに鍵をかけて眺める対象にしてしまう。そして第二の迷宮の研究者の様にまるで本を切り刻むかのようにその一冊に込められた言葉の一つ一つには目を伏せ、あらすじを切り取っただけで解釈したかのような錯覚に陥る。

ひとつひとつのストーリーには「やむを得ない事情」があり、言わばその「ソリューション」を提示したのが各人であって、事情を鑑みれば致し方ないとも受け取れてしまうところが「現代の読書」なのかもしれない。乱暴に言ってしまえば一冊にかけられる時間はそう長くなく、短時間で多くを取り入れる必要に迫られているのだろうと思う。そんな読書を、自分もしていたかもしれないな、と。

言われてみれば古典には関心があるわりに手に取ったことがほとんどなく、難解そうなイメージから手を出しずらいという印象が強い。一度読み始めてしまえばそこに何時間要するか分からず、ほかの作品に進むことは容易ではないだろう、と。

でもそうした良書をゆっくりと読み進めどっぷりと浸かる、という体験こそ今の自分にとって必要なのではないのか。重要な部分に線を引き、繰り返し何度も読めるよう手元に置いておく…すぐに理解が及ばないところこそ調べ、一冊にゆっくりと時間をかける。なんというか、消費する本から味わう本、というイメージ。拙速を尊ぶ価値観から少し離れ、腰を下ろしてそのひとつひとつを噛みしめるように。


早速古典に触れてみたくなり、調べてみた限りではあるが関心があるものを数冊オーダーしてみた。全然進まなくてもいいや、わからなくてもいいや、とりあえず手に取り中の活字をゆっくりと追いかけてみよう。

不安や心配よりワクワクが勝る今、本の到着が待ち遠しい。

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