note連続300日投稿。何の意味があったのか?
今年の1月1日から、チャレンジしているものがある。
タイトルにもあるように、「noteの毎日連続投稿」である。
そして、今回で300日連続投稿となった。
逆に言えば、令和4年になって、300日が経過したということにもなる。
今感じること。
本当に、この連続投稿に、意味はあったのだろうか?
ということだ。
ボクは、特に何も望まない。
通常のSNSのように、
フォローアーを増やしたいとか、
人に認められたいとか、
人にこう思われたいとか、
そんなことは、一切、思わない。
noteを書いている人の記事を見ていると、
よく言えば、みんなスマート。
違う観点で見ると、なんか、みんな、カッコつけている気がする。
それって、本当の自分なのかな?背伸びしていない?って思ったりする。
多くの若い世代が、自分のキャパより、自分を大きく見せたいのかな?
そんなふうに、感じてしまうのだ。
たとえ、かっこ悪い生き方でも、
本心を書いている人に、ボクは心を動かされる。
でも、このnoteのプラットホームに書いている人たちの、
ほとんどの人に、その魅力を感じない。
ボクが、出会えていないだけなのかな?
なかには、岸田奈美さんのように、
とてもステキで、魅力を感じる人は、時々いるんだけれど。
でも、そのキラッと光る人たちに出会うには、
どうしたら良いの?という感じでもある。
noteでは、そういう人たちとの出会いが、
難しい場所でもあるとも、感じるのだ。
そう思い始めてから、
この場所を、ボクは、
自分の記録をつけるための、プラットホームにした。
人に読んでいただくことは、一切気にしないで、書くことにした。
だから、
映画であったり、サッカーであったり、
週末の田舎生活だけを、この場にこれからも書く。
noteで300回連続投稿をした、
現時点で感じる、投稿の意味。
それは、
自分の生きた日々を振り返るための、投稿。
だったと、思うのだ。
だから、ボクはボクの、「原寸大の投稿」を、
これからも、続けてゆこうと思うのだ。
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