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嫌ったら「好き」が出てきた

運動が苦手だ。「苦手」という表現では足りないくらいだ。学生時代、体育の時間は地獄でしかなかった。得意不得意は誰にでもあるからいいじゃん、では片付けられなかった。わたしの運動音痴っぷりは、本当に本当に酷い。
ペーパーテストは隠せても、運動音痴は隠せない。晒し者だった、と言ってもいいだろう。

「うちのチームは碧がいるから最下位だ」と言われ続けたリレー、「碧はいらない」と言われたサッカーのチーム分け、たくさん舌打ちされた長縄跳び、「真面目に走れ」と怒られたマラソン大会。

背の順は後ろの方でBMIは痩せすぎだったわたしは、どうやら信じられない程の運動音痴には見えなかったらしい。だから余計に、やる気がなく不真面目で滑稽に映ったのかもしれない。真面目に、真剣に、取り組んでいたのに。

団体競技は、地獄中の地獄だった。

鉄棒や縄跳びや水泳などの個人競技はまだよかった。中学生になったら見事にそれらがなくなったのが本当に残念で悲しくて恐怖だった。


運動会とマラソン大会と球技大会の日、熱を出して休みたいと何度願ったことか。漫画のように前日に水のシャワーを浴びてみたが、翌日はピンピンしていた。

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運動能力がなさすぎる代わりに、勉強は得意なほうだったのがせめてもの救いだった。
「運動:勉強=2:98」くらい、たぶん。思い出してみても、恐ろしくなる程にわたしは運動ができなかった。

授業参観がテスト返却だったらよかったのに、と何度思ったことか。スポーツの優劣と違い、成績は隠されがちなのは何故なんだろう。
運動の才能もなく努力も実を結ばなかったわたしは、そう思っていた。否、思っている、現在進行系で。

「ノロマ」とか「役立たず」とか運動神経に関する悪口は聞かぬふりをするくせに、「頭悪いね」はタブー扱い。不平等なんじゃないか。おこ。(…死語かしら)

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体育は、運動は、トラウマだ。学生時代から10年以上が経った今でも、スポーツ番組を見ることができない。オリンピックやワールドカップの開催時期も知らない。スポーツ関連のニュースも、駄目だ。もっと言ってしまえば、スポーツ選手らしき人たちが出演しているCMも見たくないくらいだ。申し訳ないけれど。

スポーツに関して嫌な思い出を挙げたらキリがないけれど、わたしの今までの人生はスポーツだけで埋め尽くされているわけではない。ほんの、一部。
良い思い出も少しはある。それらを、嫌な事たちで覆い尽くして忘れてしまいたくはない。

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スポーツについて考えてみたら、その他の事柄についても考えの連鎖が生じた。

目に見えて分かりやすいものは、人々から持て囃されるのだろう。だからといって、目に見えない事たちを頑張らなくて良いというわけではない。人それぞれ得意不得意や好き嫌いがあるから、得意と好きを努力して伸ばせば良いのかなと思う。それがスポーツであっても勉強であっても他のことであっても。

「運動は苦手、嫌い。」とばかり考えてしまっていたけれど、ネガティブな方向に傾けてしまうと尚更嫌になってしまいそうで。例えスポーツに対してあまり良くない感情を抱えていたとしても、他のことにはポジティブでいたいと思う。わたしはわたしの「好き」なことに対する気持ちを、大切にしていきたい。そしてスポーツや運動も、好きになりたい。



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